はくおーき 7

土方が店を訪れたのは、丁度昼下がりの時間帯だった。

「案件が上がったって聞いたんだが」

明るい朱歌の声に招き入れられて入った店には女性の客が何人かおり、瀬々良はそちらを応対していた。

「あーはいはい、ほなこちらにどうぞ」

少し焦った様子の朱歌は、いつもなら上に居ますよ、と言って勝手に上がらせるというのに今日は階段には寄せ付けず、一階の奥に通された。

「実は午前に予定入っとった方がなんや長引いとってまだ帰ってはらへんくて。ちょっと俺も心配しとるんです」

「心配?」

「最近幅利かせとる商人の方なんやけど…情報買う、ゆうんは建前で、あらぁ姐さん落とす気なんや思いますわ。散々嫁にどうやら籍がどうやらて話してますさかいに」

土方は出されたお茶に口をつけつつ何てこともないように答えた。

「そりゃ落とせるもんなら落としてみろって普段から豪語してんだから多少しつこい野郎が来ても自業自得ってもんだろ」

「…」

そう言うと、朱歌は少し黙ってからあー…と間延びした声を出した。

「まあ確かに言うてはるんは事実ですけど、一応言う相手も考えてはると思いますよ?あの頭のええ姐さんやし」

「頭がいいのは認めるが…じゃあ今上にいる商人には言ってないってのか?」

「っちゅーか…言うてへんのも勿論ですし、そもそもあの人はどっからうちが情報扱うとるゆうこと聞いてきたんか知りまへんけど、いきなり来やはりましたんや。よっぽど大きい力持ったはる商人でもない限り、若菜姐さんは商人は相手にしはりまへんもんで。商人のお得意様は京よりも長崎の方が多いくらいや」

「長崎?あいつ長崎まで行ってんのか」

「よう行ってはりますよ?阿蘭陀の言葉かて何時の間にやら喋れるようになってはりますし」

「向こうには向こうで姐さんの助手がおるしねー」

そう言いながら入って来たのは瀬々良だ。

「あれ?お前表どないしてん」

「今途切れよったから暫く大丈夫や思うわ。
それより上!若菜姐さんまだあんなん相手してはるん?ええ加減お帰りいただかな土方はんだけやのうて後の予定にも響くわ」

珍しく怒ったような表情の瀬々良は、様子を見てくるとだけ残して階段を上がった。

「仮にも客なのにあんな言い方してて大丈夫なのかよ」

「まああれは俺らからしたら客言うよりも言い寄ってくる身の程知らずな男ですさかいなあ」

「身の程知らず?」

「あの商人、姐さんが情報扱うとることは知っとるみたいやけど、それがどこまで深いもんかまではご存知やないみたいですのんや。ましてや幕府や新撰組、果ては異国とも繋がりあるような方やなんて、ゆめゆめ思うてやしまへんやろな」

「そんなもんが身近に居るって考える方が普通身の程知らずだからな」

土方がそう言うと、朱歌はそらそうや、と歯を見せて笑った。

「ま、精々商人事情に精通した小物屋の女店主、くらいにしか思うてへんのやろなあ…俺らからしたら身の程知らずもええとこや」

「朱歌!出番や!」

音を立てずに素早く階段から降りて来た瀬々良が、厳しい表情でこちらに声をかけた。

「なんやあの男、手出して来よったんかい!」

先ほどまでにこにこと談笑していた青年とは思えない程厳しい表情へと変化した朱歌が階段を上がろうとした時。

ダダダダダ!!

上から質のいい羽織を着た男が転がり落ちて来た。
男は驚きと痛みで顔を歪ませながら階段の上を見た。階段からゆっくりと、男を突き落としたと思しき女が降りてくる。

「女やからて舐めていただきとうはありまへんなあ。
情報も小物も相応の値段で売らせていただいとりますけんど、身体を売った覚えはありまへんえ!」

いつにも増して厳しい彼女の凛とした表情は、今まで土方が見たどの彼女のそれとも違っていた。

頭に差していた簪をするりと抜き取り、男の喉元にその先を宛てがった。


もちろんあくまでただの簪であり、武器とするには心許なく思うかもしれないが、その尖った先で喉を刺されれば勿論命は無いだろう。
男はヒッと息を吸いこみ顔を青ざめさせた。

「今後一切、うちの敷居を跨がんといておくれやす」

決して大きくは無い、だがとても通る芯の強い声で若菜がそう言うと、男は後退りを何度か繰り返した後慌てて店を出て行った。

フンッと鼻を鳴らしてから頭にスッと簪を差し直すと、若菜はこちらを振り返った。

「…あら土方はん、いらしてたんならもっとはように切り上げたらよろしかったわ。お見苦しいとこ見せましてえらいすみまへん」

いつもきちんと着ている着物が肩までずりさがっている若菜が、先程あの商人になにをされそうになっていたかなどはその場にいた誰でもが想像できることだった。

不謹慎にもその露になった肩があまりにも官能的で土方は目をそらした。

若菜は着物直して来ますわね、とだけ残して階段を上がって行った。

「…ほら、身の程知らずでしたやろ?」

朱歌が土方を振り返って言うと、土方は思わず漏れたようにああ、と返事をした。

「あんの男、ほんまありえへんわ…」

瀬々良は顔を歪ませてぼそりとそう呟いて、隣にいた朱歌の着物の首元を引っつかむと蓋を開けたようにわっと怒鳴った。

「頼まれとった案件の代金の二倍渡して嫁に来いやて!あんなはした金で動く女やったら今頃幕府でもに殺されとるっちゅうねん!
姐さんが情けでやんわりした断り方したっとるだけやのに何処をどう見て脈がある思うたんか知らんけど延々と自分とこのお家柄自慢してしまいには手出しよって!ああもう腹の虫が治まらんわ!」

そうやって苛立つ彼女は商人が戻って来たりでもすれば素手で殴り倒してしまいそうな程に興奮し怒りをあらわにした。

「目立たんように通りから一本ずれた此処に店構えたゆうんに、金が無いからやろう言われたんはさすがに苛ついたわあ」

そんな瀬々良とは対象的に、柔らかい面持ちでそう言いながら降りて来た若菜はいつも土方が見ている余裕たっぷりの彼女だった。

瀬々良の肩を優しく叩いてから、土方を見た。

「お忙しい中お待たせしてすんまへんでしたわ。これ、頼まれてました案件にございますえ」

いつも通り丁寧に製本された冊子を若菜が差し出した。
瀬々良と朱歌はそそくさとその場を後にして店に戻って行く。

土方は難しい表情で冊子を受け取る。

「お前…」

「ああ、さすがの土方はんでもあんなん見せられたらびっくりもしますわなあ。うちにとってはようあることですさかいお気になさらんと…」

用意していたかのようにつらつらと並べたてる彼女の言葉を遮るように、土方は彼女の身体を抱き締めた。
若菜の肩はこんなにも小さく華奢だったのか、と土方は内心で驚く。

「なんの…真似ですやろか?土方はんにしてはえらい強引やね」

「ようあること≠カゃねえだろ、そんな青ざめた顔で言うな。怖かったんなら怖かったって言え。相手を追っ払えるからって最後まで強がる必要ねえだろ」

行き場を失ったようにしばらく空を泳いでいた若菜の両手が土方の袖をおずおずと掴んだ時、堰を切ったように若菜の瞳から涙が零れた。


「……怖かった……めっちゃ怖かった…!
いきなり覆い被せられて、腕、抑えられて…
こんな仕事しとるさかいに信じてくれはらへんやろうけどな、うち仕事で身体売ったことないんよ?そこまで情報業に身を削るつもりはあらへんし、何より危ないかも、ゆう時はいっつも朱歌らが用心棒してくれとったから、」

こんなん、めっちゃびっくりした…と、肩をひくつかせて言う彼女はとてもか弱く、愛おしいと素直に土方に思わせた。


しかしやはりそれだけで終わる彼女ではなく、土方の胸に埋めていた顔を勢いよく上げた。

「せやけど、あんなんに汚されるやなんて一生もんの恥やさかい、蹴り上げて階段から落としてやったわ」

零れる涙もそのままに、歯を見せてしたり顔で土方を見上げたその強がった表情に、土方は思わず微笑んだ。

若菜の頭を優しく撫でて、

「よくやったな」

と言うと、若菜は今の自分の状況をやっと理解したのか突然慌てだし、土方から離れた。顔はみるみる赤くなっていく。

「えっえらいすんまへん、気がどうかしとったみたいやわ、ああもう恥ずかしい…

その案件、お代は先に頂戴してますさかいご確認できましたらお帰りくださいね!
ほな、毎度おおきに!」


土方に返事をさせる余地を与えずにそれだけ残すと、若菜は階段をさっさと上がろうとして、数段上った所でこちらを振り向いた。

「土方はんのお陰で男嫌いにはならんで済みそうやわ。おおきにね」

そう笑った彼女の笑顔は、土方にとって初めてみる彼女の本当の笑顔のようだった。


「あー、…やべえな」

去って行った階段を見つめながら、土方は口元を手で覆い隠した。






「落ちた」


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