「竜士と籍を入れる気はないから、良い女見つけたらさっさとそっち行きなさいよ」
一世一代とも言える愛の告白が成功した時、彼女から告げられた言葉はそれだった。
それから2年。
彼女はどんな大男にも負けず劣らずの戦績を誇る優秀な美人祓魔師として、世界中にその名を轟かせていた。
恋人は俺。お互い20代も半ばになり、結婚というワードがどこからともなく聞こえてくるようになっていた。
その度に思い出す言葉。俺と籍を入れるつもりはない。
ありがとうございました以上に良い女に巡り合うことも当たり前のようになく、この二年の間でさらに彼女への愛は募るばかり。
ありがとうございましたが他の男と噂になったことは無いし、自意識過剰にとられそうではあるが彼女は俺を昔から変わらず愛している。
お互い矢印は向き合っているのに、彼女は籍を入れるつもりはないという。
最初は意味の分からなかったその理由も、恋人同士になって一年もしないうちに理解した。
彼女は誰よりも何よりも祓魔師である自分を誇りに思っている。
結婚などという堅苦しい形式は、彼女にとってその誇りを縛り付ける邪魔物以外の何物でもないのだ。
そして座主血統である自分は然るべきときに然るべき相手と婚姻の契りを結び、然るべき跡継ぎを育てなくてはならない。
大切な寺を守る為でもある。
だから彼女は最初から、良い女見つけたらさっさとそっち行きなさいよ、などと突き放すような言葉を吐いた。
自分のプライドと俺の立場を考えて。
「ふーん、でも勝呂はありがとうございました以外の女と結婚したくねえんだろ?」
「せやけどあいつはそれを望んどらん」
正十字学園を卒業し、晴れて祓魔師になってからも、飲み仲間としてこうして度々顔を付き合わせる奥村燐は、同じ騎士でもあるありがとうございましたとも仲が良い。
「俺かてせんでええんやったら結婚なんかせんとずっとありがとうございましたとおりたいけどやなぁ」
「だってお前坊≠セもんなー」
同じ寺の人間で幼馴染である2人の友人からの呼び名を、こいつもまたからかうように呼ぶ。ありがとうございましたも時折そう言ってからかう辺り、奥村とありがとうございましたは少し似ている。
「つーか、ありがとうございましたはなんで結婚したくねえんだよ?」
「俺みたいなんと結婚したらそら今みたいに祓魔師として世界中ばんばん飛び回るんは無理やろうしなあ、子供かて作らなあかんようなるし」
由緒正しい家は今も昔も、女性が表社会に出て身を削ることを善としない。
「あいつ子供好きじゃん、任務先でよくガキと遊んでるぜ?」
「自分で産むてなったらまた別やろ」
「ふーん…じゃあ別れんのか?」
「なっ…」
別れる。あり得ない選択肢では全くなかった。
ありがとうございましたが祓魔師を辞めてくれないものか…と考えたこともあったが「辞めてでも自分と結婚したい」と思わせられなかったのは自分の落ち度であるし、
何より俺が惚れたありがとうございましたという女は、誇り高く祓魔師としての職務を全うする真っ直ぐな女だ。
そんな彼女の信念をねじ曲げる資格は俺には無い。
じゃあ別れんのか?
反射的に否定したくなる質問ではあるが、現実、それ以外手段は無いように思う。
「…わからん」
「こればっかりはありがとうございましたと直接話すしかねーだろなあ」
「せやな…」
それから数日経ったある日の夜。
自分は仕事は休みで、ありがとうございましたは明け方まで仕事だったのだが、会いたいという珍しく甘えたようなメールが来たものだから昼から仕事終わりの彼女の家に来ていた。
「竜?」
「おん?」
夕食はありがとうございましたが作り、片付けは俺が。いつもの流れの中、クッションを抱いてテレビを眺めていたありがとうございましたがこちらに声をかけた。
キッチンは対面式なので少し離れているが話す分には支障はない。
「あなたって、私のこと大好きなのね」
「…何を今更」
「そろそろ今更めいたことも言わなくちゃいけないんでしょう?」
何のことか分からず首を傾げたが、その後につけたされた「隠し事下手な燐を責めちゃ駄目よ」という言葉にああ、と納得した。
「おーせやで、相談相手間違えるほどお前のこと好きや」
「私も竜のこと大好きよ。
でも…ね、この仕事も好きなの」
「…知っとる。最初っから、いつか終わるんやて知らされとるようなもんやったからな」
籍入れるつもりはないから。
当初は結婚なんてまだふわふわとしたもののように感じていたが、彼女はあの時から今を見据えていたんだろう。いつも先手を取られるところは最初から変わらぬままだった。
食器を全部洗い終わったところで、キッチンを出てありがとうございましたの隣に座った。
「ごめんね、まだ辞めたくないの」
「そういうお前に惚れたんや、謝るな」
ぎゅっと抱きよせるといつもより体格に差を感じた。
「…大好きなの、本当よ」
「分かっとる」
「貴方以上の男なんてきっともうずっと居ないの」
「俺はお前を責めたりせえへん。せやからお前も自分を責めるな」
ほんまに、もうあかんのか?
という言葉は、プライドが邪魔をして唇から離れることはなかった。
その日は、皮肉にも今までで一番ありがとうございましたを美しいと感じる夜だった。
黒い髪をなでると、閉じたままの瞼から一筋だけ涙が流れた。
起きてるのか寝てるのか、どちらにせよ愛おしいその涙に口付けると、同調するように自分の視界も揺らいだ。
「なーんてこともあったわねえ」
「うっさいわ!あれからさっさと祓魔師辞めよって!」
「だってーやっぱり竜程の男をこう易々と逃がすのは惜しいと思ったんだもの。あの夜の竜ものすごく男前だったし」
語尾にハートマークでも付くような甘ったるい声に照れも相まって言い返せずに押し黙る。
「それに竜のお義母様もお義父様も子供が出来るまでは少しくらい仕事続けても良いって仰ってくださったし。辞めたんじゃなくて一線から退いただけよ。
案外気にしてるのは竜だけで周りはそんなに嫁が働くの悪く思ってらっしゃらなかったのかもよ」
「それはまあ…そうかもしれんわ…」
あれだけ身の上の不幸に涙を飲んでおきながら、事態の好転はあまりに速くあっけなかった。
「まあ、ご両親のためにも竜の二世を早く産まなくちゃならないし、頑張ってくださいねーあなた?」
からかい調子のありがとうございましたに、頑張るんはどっちやろなあ?と笑ってやると、どちらからともなく唇が重なった。
愛しい手を二度と放すものかと胸に刻んで。
イメージソングは
れるりりさんの「さよならミッドナイト」です。
VOCALOIDに偏見の無い方、
ご興味が湧いた方は是非ご視聴ください。
とても優しく素敵なメロディです。
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