彼の男は涙を流さない
眠かった。
だからついついうたた寝をしてしまって、嫌な夢を見た。
私がまだ女だった頃の夢を。
私が女だった頃の不満について、敢えてあげるとすれば、ひどい生理痛くらいだろう。この時ばかりは女に生まれたことを後悔し、生理の時でもけろりとしている友人を恨み、真剣に死ぬことまで考えた。
今思えば、高が生理痛くらいでと思うが、要するにそんなネガティブな発想になるくらい酷かったのだ。
その点、男はいいものである。
月に一度の苦痛を味あわなくてすむ。嗚呼快適!
まぁその分、社会的な責任等々も重くのしかかる訳だが、正直生理痛の苦しみに比べたら軽い軽い。羽毛布団並みに軽いぜ。
私としては男としての生活を満喫しているのだから、今更女だった頃のことを言われても気分が悪くなるだけである。もう戻りたいとは思わない。
私は自分自身が意外と適応能力が高いことを知った。
まぁ、そんなこんなで、目を覚ましたら目の前に紅秀麗が居てびっくりした。絶対に心臓止まった。
何気なさを装って料理が出来るところを聞いた。気分転換に料理をしよう。
元女だけあって、料理は得意なんだな、これが。
そりゃあ今は見る影もなく男で、何十年も包丁に触ってないけれど、昔は女だったんだから料理くらいなんとかなるはずである。
私の現代知識を駆使して、この国でも食べられるものを作ろう。
……お粥? いやいや、待てよ私。流石にお粥以外のものも作れるだろうが。お粥しか作れないなんてこと……あるかもしれない。
そもそもこの国ってどういう調味料だとかスパイスがあるのか、私は全く知らないのである。況してや茶州だしさ。
彩雲国の料理なら今まで腐るほど食べてきたが、作り方は知らないし。
可笑しいなぁ、私は料理が得意だったはずなんだけど。
オムライスとかスパゲッティとかさ。よくよく考えてみれば私、洋食しか作ったことないかも。いや、学生時代の調理実習で肉じゃがとか焼き魚とか酢豚とかは作ったことある。
こうやって考えると、私ってつくづく現代ッ子だよねえ。
まぁ、いい。肉じゃがと酢豚を作ろう。両方は成功するか分からないから、うまく出来た方は私が食べて、残った方は浪燕青に食わせよう。浪燕青なら腹も壊すまい。





「さぁ、燕青殿。お食べください」
「お、美味そうじゃんか。雲幽が作ったのか?」
「ええ。私、こうみえて料理は得意なんです」
過去の話だがな。
人間は何事も反復しないと忘れるものだと、今日思い知らされた。
「見ない料理だな……」
「東方の島国のお偉いさんが作るのに失敗した料理なんですが、食べてみたら意外と美味しくて広まったんです」
「へぇ。とりあえず、いただきます」
もぐもぐと口を動かす浪燕青をじっと見つめた。
正直、どちらも納得のいくものが出来なかったのだ。不味くはないのだが、なんか違う。
そして浪燕青の腹の中に納まるわけである。
「うん、美味い」
「そうですか……」
ちょっと浪燕青がお腹を壊すところを見てみたかったが、それは心の中に留めておこう。
しかしまぁ、瞬く間に綺麗になったなぁ。早食い選手権や大食い選手権に出られるのではないだろうか。彩雲国にはそういう娯楽はないのか?
無いなら私が作ってやる!
「ありがとさん。美味しかったぜ!」
「まぁ、私が失敗する筈もありませんけどね」
失敗ではない。納得出来なかっただけだ。という屁理屈。
紅秀麗にもあげようかね。
是非とも意見をうかがいたいが、作ったものは浪燕青が食べてしまったし……どうしよう。
今度で良いか。今からまた作るのも面倒だしね。




へらへら。そんな笑い方が合っている。
秀麗とともに茶州にやってきた官吏喬雲幽は、使えるという訳でもなく使えないという訳でもない、不思議な奴だった。
毎日必ず定時には帰る。泊まり込みの多い(というより半分住んでいる)茶州官を尻目に、とっとと帰る。
仕事は出来る方だと思う。朝には山ほどあった仕事が、夕方にはさっぱり片付いている。
しかし喬雲幽には、独特の雰囲気が有り、誰にも自分の有能さを気付かせない。
恐らく茶州府での仕事量はかなり多い。だが、本人の雰囲気のよりその凄さが相殺されている。否、むしろ負に傾いている程である。
茶州官からの不満を聞いた浪燕青は、本人に直接聞いてみることにした。
運良く張本人に料理を作ってもらい、会話も弾んだところである。
「なぁ、雲幽。茶州官からの不満を、聞いてないわけではないだろ?」
「不満って、ああ……私が定時に帰ることへのですか」
「何でお前は――」
けろりとして言う雲幽に、胸が苦しくなった。
本人は物凄く有能なのに、どうしてそれを隠すのだろう。
「むしろ、何で定時に帰らないのか不思議ですね。残業って要するに、自分の仕事がその日のうちに終わらせられないということでしょう?」
どうして皆さん帰らないんですかね、と首を傾げた。本格的に悩みはじめたらしく、頭を左右に揺らしている。
確かに、雲幽の言うことは正しい。任された仕事を、皆平等に与えられた時間の中で片付けられないというのは、自らの評価を下がることになる。
雲幽が言うことは至極正論だ。
そして雲幽には、その正論を実行するだけの力がある。
「雲幽」
「燕青殿、私は何かおかしいですか?」
雲幽の瞳が揺れた。
この男は、ひどく境界線が曖昧だ。霧のような、否雲のように幽玄とした空気を纏い、境界線が見えない。朧げだ。
「雲幽……」
「私が人と違うことはもとより承知。けれど、可笑しいと思ったことはありません。与えられた仕事を定時に終わらせられないというのは、私の中では――言葉は酷いかもしれませんが――それこそ可笑しいのです」
「正論だと、俺は思うぜ」
「正論を振りかざすだけでは駄目だと言うことも、知っています。時には正論すら負けることもある。必要悪すら、必要だからこの世にあるのだと言うことも」
震える瞼をそっと下ろした雲幽は、弛緩して座椅子の背もたれに全体重を預けた。
この喬雲幽という男には、酷くこの部屋は不釣り合いだ。雲幽の座っている座椅子に敷いてある煎餅座布団など特に。
一見優男風の放蕩息子なのに、その有能さは群を抜いている。喬雲幽とは、そういう男だ。霞のように実態の掴めない――。
「だとしても、私は正論を武器にする」
どこか、燕青には想像もつかないような先を見つめている雲幽の瞳は決意に満ちていた。
どうしようもなく、胸が痛い。
「雲幽、お前はどうしてそんなにへらへらして居られるんだ」
「私は、何もへらへらしている訳ではないのです。私はこの国で起こること全てにおいて、本気にしてない」
西日が雲幽の横顔を照らす。
只でさえ曖昧な雲幽の境界線が、さらに曖昧になった。
不覚にも、涙がこぼれそうになった。






彼の男は涙を流さない
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燕青フラグが立ったー!


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