六片


 旺季は春の日差しのような微睡みの中に居た。
 目の前には美しく咲いた蓮の池がある。その蓮の既視感に、旺季は幼少期を過ごした邸の池に咲いていた蓮だということに気が付いた。
 懐かしさにしゃがみこんで蓮に手を伸ばす。心なしか、蓮は光を放って居るようだった。
「綺麗だろ?」 
 後ろから聞こえた声に思わず振り向くと、そこにはあの日の三兄が居た。
 三兄は旺季の隣にやって来ると、旺季と同じようにしゃがみこんで蓮の花を手折った。
「三兄上……」
「蓮はな、君子の花と呼ばれているんだ。でも、これは後から聞いたんだけど、うちに咲いてるこの花は蓮じゃなくて、睡蓮なんだそうだ。それを聞いて、ああ、やっぱりなと思ったよ」
 濁った水から美しく腕を伸ばして咲く睡蓮。
「蓮には、清らかな心、離れゆく愛。でも、睡蓮は信頼、純情、そしてもう一つ」
三兄は自らが手折った花を弄ぶ。そうしているうちに、幽かな光を放っていたように見えた睡蓮も、ただの睡蓮に見えた。
「花は手折ってはいけない」
「兄上……」
 自分で手折っておきながら何を言うんだ、この人は、と旺季は思った。
「おにーちゃんはな、ぜぇんぶお見通しなんだよ。華を手折ったろう?」
 旺季は絶句した。
 それは旺季自身が、本当にそうだったのかすら覚えていないことだった。
「お前は背負い込むのが得意だなぁ。私なら抱えきれぬ華は手折らない。でも、お前はそうはしないんだね」
三兄は旺季の頭をよしよしと撫でた。長兄がそうしてくれたように。
「季、おにーちゃんは全部お見通しだ。おにーちゃんだからな。私たちが死んだせいで、季には多くのものを背負わせてしまったな。でも、それでも、生きていてくれて、ありがとう」
 今、三兄の言葉は旺季の心にストンと落ちた。
「投げ出したい時もありました」
「うん」
「死にたい、そう何度も思いました」
「そうか」
「でも、その度に蘇るのです。あの東坡が。家族の首が飛ぶ様が。戰華が嘲笑うのです」
「なら、私はあのクソ公子に感謝しなければならないな。季を生かしたのは、季が生きる気になったのは、あのクソ公子のおかげなのだから」
 そう言って三兄はにかっと笑った。
 昔、長兄が言っていた。名前は太陽のようだね、と。旺季もそう思っていた。三兄が笑えば誰もが笑っていた。
「兄上は馬鹿ですね……」
 旺季は自然と笑っていた。名前兄上が笑うから。
「何だと! 俺は馬鹿じゃないぞ! そりゃあ優達兄上に比べれば馬鹿かもしれんがな、こう見えても旺家の人間だから、市井に出ればそれなりだぞ!」
「市井に出てもそれなりですか……」
「うっ、それは置いといて、お前の娘かわいいな! 血の繋がりがなかったら口説いてたぞ!」
「やめてください気持ち悪い」


「そしてもう一つ、滅亡。旺家は滅んだ。それが運命なのだろうね」
 優達は名前の入れた茶を飲む。
「太陽は自らを焼いて、一生を翔けた。それで良い」
 和は池のほとりで話し込んでいる弟2人を見て笑う。
 優達も和も、佐の魂がそこに漂うのを感じた。佐の魂は死して何かから解放されたように、今はもう殆ど残っていない。思い残すことはないとでも言うような佐の魂を、いつかまた会えるだろうか、そう言って心優しい名前は泣きながら笑ったのだ。
 そして、最後の1人が黄泉路へとやってくるのを待つのももう終わりだ。ここに無理やり長居をして、その間色々なものを見て、ここを通る色々な人に会った。
 末の妹は笑いながらこの道を下って来て、離れていた分の年月を過ごし、先に行ってると言って先に黄泉路へと向かった。
 10年ほど前には、季の娘がやって来て、季の色々な話をしてくれた。死して初めて姪に会うことが出来て、3人してお節介を焼いてしまった。
 でも、彼女もまた先に黄泉路へと下り、残って居るのは男3人と少しだけ残った佐の心。
 一足先に黄泉路で待っていてくれた和と名前。まだ見たいものがある、そういって時折触れる現世の空気に、目を細めていた。
 それも、名前の見たいと言った物語も、これで終わる。でも、またいつか始まる時が来るのだろう。それまでは――。


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bkm
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