三片


 名前はひどく憤慨していた。
 父は、名前のすぐ下の弟佐の初陣をとうとう決めたからだ。名前の初陣は15だったので、名前に比べるとだいぶ遅い初陣だが、そういうことではない。
 弟が任された戦は、此方の勝ち目は殆どない、始める前から負け戦と分かっている戦なのだ。そんな戦に弟が出陣すると聞いて、怒らないでいられる名前ではなかった。
 名前は佐に詰め寄った。
「お前が負け戦に出る必要などない! 死ぬかも知れないんだぞ!」
「名前兄上、私は良いのです……」
 弟は悲しそうに言った。
 名前は弟を慈しんで来たし、名前は家族全員でこの悪夢のような時代を生き抜きたかった。もうこれ以上、家族を失うのは、嫌だった。
「何が良いと言うんだ。父上は何を考えてるんだ! 負け戦を、まだ幼いお前に押し付けるなど――」
「違うのです、名前兄上。父上が言ったのでは無いのです。私が父上に今度の戦に出たいと頼んだのです……」
「おまえ、何でそんなこと……!!」
「私は兄弟の中でも1番弱くて、頭も良くなくて、1番役立たずなんです。今度の戦に誰かが出なくてはいけないとしたら、旺家を継ぐ必要もない、武芸に秀でているわけでない私が1番良いと思ったのです」
「馬鹿を言うな! 俺より頭が良い癖に、何を言っているんだ! お前は、俺の弟なんだよ……! 役立たずでもない、俺はお前を必要としてる。俺は、お前を死なせない。絶対に生かしてやる。だから、役立たずなどと言うな……」
 名前はまだ小さな弟を抱きしめた。名前は鍛錬馬鹿なだけあって6尺2寸と身体も大きい。力も強い。それに比べ佐はまだ5尺ほどしかない。――こんなにも小さいのに。
 食いしばった歯が、ギリッと音を立てた。強く抱きしめれば苦しがって、放してくれと訴える弟。「名前兄上は怪力なんですから、あまり強く抱きしめないでください!」と照れて憤慨する弟。
 力を抜けば、ほっと息を吐いて。
「名前兄上。僕より名前兄上の方が、この国を良い方向へ変えて行けるではないですか」
「俺はもう、家族を失いたくないんだ……」
「大丈夫ですよ。無くなるわけじゃないんですから。私は、名前兄上の心の片隅に置いてもらえれば、それだけでいいんです」
 良いものか。全然、良いものか。
 名前はこみ上げるものを無視することも出来ずに、涙を流した。もうこうして弟を抱きしめることも、出来ないかもしれない。
「やはり、父上と交渉してくる」
「兄上」
 佐は諌める様に声をあげたが、名前は耳を貸さなかった。佐を抱きしめる腕を解き、名前は父の部屋に向かうため、踵を返した。
「待ってください、兄上」
「待たない。父上と話してくる」
「父上も了承済みなのです」
「それでも、だ」
「兄上っ!」
 引き止める佐を振り切り、父の部屋の前まで来ると、扉を乱暴に叩いた。
「名前です。父上にお話が」
 そう告げると、中から入れと声がした。
 部屋の中に居るのはどうやら父上だけではなく、叔父達も居るようだった。
 1度目を閉じて深呼吸をする。名前にも譲れないものはある。ゆっくりと瞼を持ち上げ、扉を開ける。
 そこには父と5人の叔父が居た。5人の叔父が勢ぞろいしているとなると、名前も分が悪い。
「父上と2人きりでお話がしたいのですが」
「いないものとしてくれて良い」
 父がそう言った。当主である父が言う以上、2人きりで話すことは難しいだろう。
「では、叔父上たちは口を出さないでください」
「で、なんだ。話とは」
「今度の戦のことです。私も連れて行ってくれませんか」
「――ならん。次の戦は四郎の初陣だ。四郎の初陣にさぶろ、名前が着いて行くことはまかりならん」
「父上、私は三郎ではありませんし、佐も四郎という名ではありません」
「……三郎でも四郎でも誰だか分かれば問題ない」
 父は壊滅的に人の名前を覚えるのが苦手だ。そして名付けのセンスもない。長兄など1番目だから幼名が一郎だったくらいだ。次兄、名前、弟達も幼名は上から順に番号を振っただけだ。名前という名は母が決めたものだからそうでもないが、父が名を決めるとかわいそうなことになるので、母がさっさと名を決めて幼名など余り使う機会もなかった。
 それでも父は時々幼名で呼ぶ。佐は特に初陣がまだなので、度々父に四郎と呼ばれている。
「お前は戦には連れて行かん。お前は強い。まだ死ぬ時ではない」
「佐は死んでもいいというのですか」
「……私は当主として判断したまでだ。私に逆らうということは、旺家に逆らうということだ」
 父の眼光は鋭い。何度かしか戦に出たことのない名前と歴戦の猛者である父では、名前は蛇に睨まれた蛙である。
 奥歯を噛み締め、名前は父を見返した。
「私はまだ死にません。負け戦も勝ってみせましょう」
 名前ははっきりと言った。その迫力に、父も目を細めて「二言はないな」と言った。
 ゆっくりと頷く。作戦などない。頼るは己と己の剣のみ。それも戦う前から負けると分かっているような戦を覆すのは相当難しい。けれど、名前は負ける気はしなかった。
「なら、同行を許可しよう」
「当主……!」
 今まで静観していた叔父の不満そうな声も、父は一睨みで黙らせた。
「守りたいと思うものは、目を離してはいけない。分かるな」
「はい。ありがとうございます、父上」
 頭を下げて父の部屋を後にした。叔父たちは不満そうな顔をしていたが、当の父が何事もなかったかのような顔をしているため、何も言えないようだった。


 何処かで栗花落が泣いている気がした。


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bkm
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