二片


 名前の幼い頃の思い出は、輝いている。
 家族を多く亡くした幼少期だったが、世の色々な事情を知るまでは、それなりに楽しく過ごしていた。
 2人の姉と1人の妹、季はまだ産まれておらず、弟は1人だけだったあの頃。名前はそんな時代が大好きだった。
「名前、お前というやつは学はとんと才がないが、その分剣技は天が味方したように強いなぁ」
 次兄のそんな言葉に、照れ臭くも笑った事もある。
 滅多に褒めない父が、弱い者いじめばかりしている近所のガキ大将を懲らしめた時には「よくやった」と褒めてくれた。その後は「たとえ悪餓鬼と言えど守るべき民なのだから、もっと方法を考えろ」とゲンコツを頂戴したが、名前は父に褒められたことがとても嬉しかった。
「名前、お前はもう少し綺麗に字を書きなさい」
 そう言われ、長兄に手習いを教わったこともあった。長兄は学に秀でており、その書は流れるように美しく、名前は兄の書を見るのが好きだった。しかし、名前の字は流れるようとは言えミミズ文字と言われた程の壊滅具合である。
 姉2人とはよく山菜採りに出かけた。名前は剣だけではなく弓も得意だったため、姉たちが山菜を採っている間、名前は猪や兎などを狩っていた。ある程度仕留めれば、後は姉たちの手伝いで茸を採る。1度空腹に耐えかねてその辺の茸を焼いて食べたら、笑い茸だったようで、1週間も笑いっぱなしになって呼吸困難に陥った。
 持ち帰った山菜は、その後母と姉と妹が家人と一緒に美味しく調理してくれて、その日の夕食に上ることになる。
 食べ盛りの男が多かったので、家人だけの手では回らず、母や姉が手伝うことが多かった。
 妹の栗花落とは、それなりに仲良く過ごしていた。歳は一つしか違わないせいで、まるで双子のように過ごした。
 栗花落は幼い頃から身体が弱く、名前と同じように父や叔父たちから武術を習っていた。名前は剣術、栗花落は体術が得意で、母や姉は女の子らしいことをさせてやれなかったと少し悔やんでいたことを知っている。その証拠に栗花落は余り裁縫が得意では無かった。
 弟は名前や兄に比べ発育が悪かったので、武術より勉学を重点的に教わっていた。名前に勉学の才がなく早々に匙を投げられたので、弟はという思いがあったのだろう。
 こうして幼い頃の名前は、すくすくと育った。


 季が産まれてすぐ、姉2人を相次いで亡くし、世の中は更に悪くなった。
 庭の池に植えてあった蓮の実や蓮の根を食べたり、庭の空いている場所で芋を育てたりした。近所の山に行くものの、山菜も採れず獣も少なくなって狩ることが難しくなっていた。
 どうしてそんな世の中になったのかは、学のない名前には良く分からないが、街では皆王の所為だと言っているのを聞いた。
 しかし、王に仕える官吏である父や叔父たちから、王についての話が出てこなかったので、名前は真偽を確かめることはしなかった。
 旺家は紫門家筆頭であるから、もしかしたら最後まで王と共に生きようとしているのかもしれない、と今の名前は思う。
 名前は少なくなる飯と反比例するように、鍛錬に打ち込んだ。
 そんな時期だったので、幼い季との思い出は全て色が失われたようだった。
「名前兄上、この蓮の実はどうしましょう?」
「ああ、それは魚と一緒に甘辛く煮るからそこに置いておいてくれ」
「蓮の実も、あと1房しかありません」
「お前も育ち盛りで腹が減るだろうが、我慢してくれ」
 そう言って、名前は季の頭にぽんぽんと手を置いた。
 本音を言えば、名前は季以上に空腹だった。空腹で時には苛ついたり、時にはどうしようもない空虚感に襲われたりした。
 それでも家族に当たらずに済んだのは、街での収入があったからだ。
 街で用心棒をして微々たるものだが収入があった。ならず者を懲らしめて謝礼に野菜を貰ったりもした。身体を動かすことで、スッキリするものがあった。
 この頃になると、栗花落も暗い顔をしていることが増えた。最初は名前と同様、空腹なのかと思ったが、飯時も勉強中も暗い顔をしているのを見て、不審に思わなくはなかった。
 1度、聞いたこともある。
 けれど「名前兄には関係ないよ。私自身の問題だから……」と言われ、名前はそうかとだけ返して、それ以上聞くことはしなかった。
 それは姉たちの亡き後、兄弟の中では一番仲が良かったので、悩み事があるなら話してくれるだろうと思っていたからだ。
 栗花落が出て行く前日、名前と栗花落は四阿で2人お茶をした。お茶といっても茶葉をケチったせいで水みたいなお茶だった。薄い茶の不味い味にも、この数年で慣れてしまって、何も思わなくなった。
「どうした?」
 名前が首をかしげると、栗花落は寂しそうな眼をして微笑んだ。
「何でもないよ。ただ、名前兄とゆっくりしたくてね……」
「それだけ?そんなのいつでも出来るだろ?」
「ねぇ、名前兄は誰かを好きになったことってある?止められないくらい、何もかも捨てても良いと思えるくらい……」
「有るわけねぇだろ!それに、俺は何もかも捨てるなんてしないね。何もかも手に入れてやるし、それに捨てても良いと思えるものが無いんだから、ムリ」
 名前がそう言うと、栗花落は笑った。名前兄らしいやと、肩を揺らして。


 ――その晩、栗花落は家を捨てた。


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