一片

 ああ、地獄絵図とはこの事なのかもしれない――。
 馬上で多数の剣を振るい、返り血を浴びて、名前の身体はもうヘトヘトだった。
 けれど馬が駆ける度に、気持ちは高揚して行く。大勢の人が死に、東玻は阿鼻叫喚、足下には剣戟により今にも息絶えそうな者も多い。そのような者も死者と変わらず踏みつければ、柔らかい肉の感触と骨の折れる音が聞こえて、名前は音を聴き前に進む度に、前方がキラキラと光って見えた。
 望んだものがこの光の先に有るような感覚。
 名前はニヤリと笑って、手綱を強く握りしめ、蒼の剣を振るった。ぴかぴかと光るものが眩しくて敵は良く見えなかったが、1人2人と斬り倒せば、自分は更に前へ進むことが出来た。
 光を目指して進んで、名前はそこで命を落とした。



 名前は幼い頃はやんちゃな子供だった。姉の寝台にカエルを仕掛けたり、弟や妹を落とし穴に落としては兄に怒られたりするような子供だったのだ。木登りが得意だったせいか、1度猿と間違えられたこともあるような、そんな子供だった。
 やんちゃだったからか、チャンバラが得意で兄弟の中では一番強かった。一番上の兄は勉強ばかりしていた。長兄は官吏になって、ゆくゆくは旺家を継ぐのだろう。次兄はどちらかといえば勉強より武芸に秀でていた。有事の際は家を継がなくてはいけないため、次兄は武芸に勉強にと1番大変だったと思う。
 名前には姉が2人と妹が1人居る。長姉はお転婆だったが、嫁に行き夫の不正がバレて体良く殺された。次姉は気が強かったが、嫁に行き、夫の不倫相手に殺された。残ったのは1つ下の妹栗花落だけ。名前は栗花落だけは守りたかった。
 弟が1人2人と生まれ、名前の守りたいものが増えた。
 旺家は代々多産の家系で、名前の父も6人兄弟で、叔父達も子沢山である。そうして家族が増えると、名前はどうしようもなく寂しくなった。戦が蔓延している、負の時代。生き残れる保証などない。
 幼い頃、既に多くの家族を亡くした。


「季、何をしているんだ?」
 末の弟が地面を睨んで居た。まだ3歳なのに、おかしな弟だなぁと思って居ると、そこには蟻が居た。
「蟻を見ていたのか?」
「はい。ありは、わたしよりかぞくがおおくて、うらやましいです」
「そう、だなぁ……」
 そう言われれば名前も、蟻が羨ましかった。同時に、そんなことを3歳にして思わなくてはいけない世の中が、憎かった。
 もっと、争いのない世界を望んだはずなのに――。
 目の端で、キラキラと輝くものを見た気がしたが、気にならなかった。

 そして、栗花落が出て行った。
 名前は小さな脳みそでものすごく悩んだ。何故出て行ったのか。父や兄はもう戻ってこないし、戻ってきてももう旺家の敷居は股がせないと言った。名前はその時期に反抗期がやって来た。
 栗花落が出て行った寂しさ、1番歳が近かったのに相談してくれなかったという虚しさ、父や兄は知っているのに自分は知らないという悔しさ。そういうものがごちゃ混ぜになって、名前はしばらく部屋から出られなかった。
 数日を空虚に過ごし、全く部屋から出て来ない名前を心配した父や兄が乗り込んで来た。
 この部屋ジメジメしてないか? などと不謹慎なことを言いながらやって来た長兄には、頭を撫でられた。
 うわ、カビ生えてる! と更に失礼なことを言った次兄には、デコピンをくらった。
 何も見たくなくて、室内は暗くしていた。そのせいで逆光になり、父の顔は見えなかった。父は部屋の入り口に立っていた。部屋に一歩入ったところで立ち止まったまま。ああ、怒ってるなと思ったら、右頬がかっと熱くなり、何かの衝撃で壁まで飛ばされ肩を打った。遅れて右頬に痛みがやって来た。一瞬、何が起きたのか分からず部屋の入口の父を見たが、そこには誰もおらず、父は自分のすぐそばに立っていることに気が付いた。
「栗花落のことはもう忘れろ」
 父は静かにそう言ったが、納得なんて出来ず、名前は父に殴り掛かろうとした。
 それでも歴戦の父に一撃すら与えることが出来ず、ボコボコにされた。
「栗花落は旺家の人間ではなくなった。だが、お前の妹でなくなった訳ではない」
「なら、俺も家を捨てる。俺はどうせ、三男だから家は関係ないし、俺は――」
 まとまらない言葉を紡いでいると、今度は兄たちに殴られた。
 ボコボコにされ、兄や父にはそんなに俺たちの愛が足らないのか! と更に殴られた。
「お前が本当に家を捨てると言うなら止めはしない。だが、一時の感情で家を捨てるなどと言うな。あれも、栗花落も覚悟を決めて家を捨てたのだ。お前の発言は、栗花落を貶す言葉だ」
 そう言われて、父や兄は今だに栗花落のことを愛しているのだと気付かされた。
 可愛い俺の、ただ1人の妹。また、会えるだろうか。


 栗花落の事情を知らされたのは、成人してからだった。


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bkm
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