葵華2
酷い。
私の事なんて、何とも思ってないんでしょう。
酷い、酷いわ。




「お久しぶりですー」

「名前さん!」

ふわり、と笑う名前に秀麗は顔を赤くした。
相変わらず、かわいらしい。

「実は、お願いがあってー」

「お願い、ですか…?私に出来る事なら」

「まぁ、ありがとうございますー」

ふわふわと笑う名前に、ついこちらも笑ってしまう。
名前はそういう雰囲気を持った、不思議な女性だった。
胸の前で嬉しそうに手を合わせた名前が、長官の奥さんだなんて未だに信じられない。

「ふふ、実はですね――」

「ええ!そんな事するんですか!?」

「もちろんですわー。わたくし、やると決めたらやる女ですものー」

秀麗の耳もとで語った内容は、秀麗にはとても実行できないような内容だった。
しかし、それにしても、何でそんな事がしたいんだろう。
長官の溺愛振りをみれば、お邸で嫌な事などあるわけがない。
長官が名前の嫌なものは排除しそうだから。

「わたくしにだって、許せない事があると思い知らせてあげるんですのー」

名前さんの笑顔には、我慢の限界だと書いてあるような気がした。
ほわほわとしている笑顔だが、やはり晏樹の妹だと思い知らされた。

「秀麗様、ここは一つ協力していただけないでしょうかー…?」

「ううっ」

うるうるとした瞳、上目遣いで見つめられる。
放っておけない…!!
秀麗はとうとう折れた。

「わ、分かりました…」

頷いてしまった秀麗は、ガクッと肩を落とした。



「秀麗様、秀麗様ー。こちらの桜、可愛らしいですねー」

「ええ。貰い物なんですけど…」

「だから、この一本だけ背が低いのですねー。これはもうそろそろ咲きそうですねー」

劉輝から貰った桜を眺めながら、名前が言った。
これで、桜が咲いていたら、凄く絵になっただろうと思う。
そう思うと、我が家の庭に桜が咲いてないのが酷く恨めしく思えた。

「秀麗様、無理を言って申し訳ありませんー」

桜を見ていた名前が、こちらを振り向いて言った。
彼女が秀麗の家に居候させてくれ、と言ってきたのだ。
それは別にいいのだが、長官にバレた時はどうなるのだろう。
それを考えると、冷や汗が背中を伝った。

「気にしないでください。私は名前さんとお喋りできて嬉しいです」

秀麗がそういうと、名前は泣きそうな顔で笑った。
何が、あったのだろう。

「ありがとうございます。本当に…」

しゅんと背中を丸めて、名前は言った。
あまりにも悲しそうだったので、つい抱きしめてしまった。

「大丈夫、ですか?」

「お優しいんですね…。羨ましい…」

小さな声に、不安になった。
名前の顔を覗くと、名前はくりくりとした大きな瞳を寂しそうに伏せ、泣いていた。
先ほどまで、あんなに笑っていたのに。

「秀麗様、わたくし――醜い女なんです。先日だって、皇毅様が秀麗様を気に入ってらっしゃると知って、嫉妬したんです」

「それは、誰にもあることじゃないですか?」

「わたくし、今までは許せて来ました。皇毅様が花街に行ったって、もちろん、仕事だからですが、許せてきたんです。でも、秀麗様が皇毅様の近くにいる人だと知ったとき、どうしようもないほど悲しくなって」

はらはらと涙を流す名前に、秀麗はどうして善いか分からなくなる。
こんな事、初めてだ。
慰め方なんて、知らない。
だから秀麗はどうしていいかわからなかった。

「その…」

「皇毅様は、朝廷でのことを話してくださいません。だから、不安なのです」

「それは、仕方ないんじゃ…」

御史台長官ともなれば、話せない事だってあるだろう。
でも、名前が言っているのはそういうことじゃないんだろう。

名前は桃色の肌を流れる涙を袖で脱ぐうと、顔を上げた。
赤く腫れた目元が痛々しかった。

「ごめんなさい、秀麗様。こんな事本人の前で言う事ではありませんねー。わたくし、秀麗様のことは尊敬しておりますのよー」

「は、はぁ」

「秀麗様ー。愚痴を聞いていただいたお礼に、何か作りますわー。お菜でも、お裁縫でも――何がいいかしらー?」

そういって、にっこりと笑った名前に、秀麗は安堵した。
先ほどまでの悲しげな雰囲気など、嘘のような笑みだった。

「じゃあ、お菜でも…」

「そうねー、そうしましょうー。わたくしはとりあえず、買い物をしてきますので、その間はゆっくりしていてくださいねー」

「わ、分かりました」

名前は一息で言い切ると、秀麗に一礼して買い物へと出かけた。
――道、分かるのだろうか。

「あ、名前さん!ちょっと――」

心配した秀麗は、名前を追いかけた。

「名前さん!」

「秀麗様?休んでいて結構でしたのにー」

「あ、その…道大丈夫かなーって――」

秀麗がそういうと、名前は目を少し見開くと、にっこりと笑った。
でも、少し泣きそうだ。

「心配してくださったんですねー。わたくし、こう見えてもちょくちょく街で遊んだりしていましたのー」

「あ、そうだったんですか」

「ええ、でもこの区域はあまり来たことがなくてー。よろしければ案内してもらってもー?」

秀麗は感動した。
名前はなんて優しい人なんだろう。
相手をたてるのが上手いのだ。

「それでは、買い物に行きましょうー」

名前は秀麗の手を取って、歩き出した。
肌理の細かい、すべすべとした肌だった。

「秀麗様は、家事をしていらっしゃるんですねー」

「分かりますか?」

先を歩いていた名前が振り返ってもちろん、と言った。
よく見ているのだろう。

「本当ならわたくしも家事をしたいのですけど…、家人にも止められるんですー。おかげで手が荒れることも少なくなりましたのー。こう見えて、兄上と暮らしていたときは家事は一通りやっていましたのー」

「名前さんが?」

「ええー。兄上はあんなでしょうー?それに、兄上に喜んでもらいたくて、その一心で家事をしておりましたわー」

皇毅様と結婚するまでは、と付け足すと、恥ずかしそうに笑った。
やっぱり、名前さんは笑っていたほうがかわいらしい。

「皇毅様は口数は少ないですけど、わたくしのことを心配してくれているんだって、分かりましたからー」

長年の付き合いの賜物ですねー、と名前が言うと、丁度八百屋が見えてきた。
名前は秀麗の手を引っ張ると、どんな野菜が好きか聞いてきた。

「筍、茄子、大蒜…」

(どんなものが出来るんだろう)

「やっぱり大根がいいかしらー」

「こっちのほうがおいしそうじゃないですか?」

秀麗がそういうと、名前はすみません、と謝った。
どうして謝られたんだろう。

「わたくし、鮮度がどうとか分からなくてー」

情けない限りです、としょんぼりする名前に、秀麗はある提案をした。

「じゃあ、これから一通り見ながら覚えていきましょうよ」

「お、教えてくださりますかー?」

ええ、と秀麗が思いっきり頷くと、名前はありがとうございます、と抱きついてきた。
柔らかい…。
長官がご執心なのもわかるかも、と内心思った。



「胡瓜はトゲトゲしているほうがいいんですよねー?」

「そうそう。茄子は皮に艶があって、ヘタがピンとしていてチクチクするくらいのものがいいですね。白菜は葉が固く巻いて、ずっしりと重みのあるもの」

「うう、覚えられませんー」

名前は唇を少し尖らせていうと、桃を取った。
晏樹にでも買って行くのだろうか。

「あ、名前さん!桃は傷みやすいので、あんまり触らないほうがいいですよ」

「桃は、表皮が白くて、うぶ毛があるほうが甘いんですよねー?」

「そうです。晏樹様から?」

「ああ、兄上は桃には五月蝿いですからー」

そういうと、名前は桃2個分のお金を払った。

「あとで、一緒に食べましょう」

「ええ」

とりあえず、一通り買い物は終ったため、帰ることにした。



「秀麗様ー!出来ましたわー」

「わ、凄くおいしそう!」

彩りもキレイな菜だった。
名前さんが菜を作れる事にも驚いたが、そのおいしそうな菜にも驚いた。

「桃も剥いてありますわー」

「こっちもおいしそうですね」

そんな話をしながら、菜を運んだりしていると、静蘭が帰ってきた。
知らない人間がいて、驚いたようだった。

「お嬢様、このお方は…」

「はじめましてー。名前と申しますー」

「は、はぁ…」

ふわり、と微笑んだ名前に、静蘭も毒気を抜かれたようだ。
恐るべし、葵皇毅の妻。

「葵皇毅の妻をやっていたりしますー。秀麗様にはいつもご迷惑をかけてしまって、静蘭様も気苦労の絶えないことと思います」

「そりゃあ、まあ」

「そんなことより、静蘭も席について!今日は名前さんが作ってくれたの!」

秀麗がそういったとき、名前の微笑みが凍った。

「まあ、でしたらもっと沢山作るべきでしたー。育ち盛りですものねー」

「大丈夫ですよ、これぐらいだったら足ります」

「そうですか?」

こてん、と小首を傾げる名前に思わず微笑んでしまいそうになった。
静蘭も、今まで回りにいなかった性格に、困惑しているようだ。

「じゃあ、食べましょうー」

そういって、名前は席に着き、箸を取った。
菜を口に運び、ぱくりと食べると、名前は頷いた。

「あ、おいしい!」

「本当ですね」

「お二方に喜んでもらえて、嬉しいですわー」

頬を桃色に染めて、名前は笑った。
そして、少し寂しそうな表情をした。

「あの、どうかされましたか」

「何でも、何でもないのです。ただ…」

「「ただ?」」

「兄上に早く結婚してもらいたくて…いえ、何でもないのですー」

まあ、あの年で未だに独り身じゃ、妹も心配したくなるだろう。
けれど、何か誤魔化された感が否めない。
名前の泣き顔が、秀麗の脳裏を横切った。

「! お嬢様、誰か来ました」

「父様じゃないの?」

秀麗の問いに、名前が震えた。
怖いのだろうか…。

「秀麗様、申し訳ございません…。わたくしの所為でこんな事になってしまった…」

「心当たりでも…?」

コクン、と名前は頷いた。
そうか、心当たりがあるから、怖がっているのだ。
思考がそこまで行き着いたとき、名前が席を立ち、表へと走っていった。

「名前さん!」

走り去った名前のあとを、静蘭が追った。
どうしたというのだろう。
そんなことを考えながら、秀麗も静蘭を追った。

「げ、長官!」

秀麗が、静蘭に追いついたとき、そこには皇毅と皇毅に抱きついている名前がいた。
皇毅は秀麗に気がつくと、不機嫌そうに眉間の皺を増やした。

「コレが世話になったな」

皇毅はそれだけ言うと、抱きついている名前の腕をやんわりと外し、鈴麗を抱きかかえた。
けれど、名前が首を横に振ったため、皇毅は立ち止まった。

「どうした」

「わたくし、家出中なんですわ。皇毅様のお邸には帰らないと決めましたの!」

いつも穏やかな名前が、珍しく言葉を荒げた。
皇毅自ら迎えに来るほど愛されているというのに、何が気に入らないんだろうか。

「どうせ、どうせわたくしのことなんかどうとも思っていないのでしょう!偶々一緒に住んでいる女がいなくなったから、探しに来ただけなのでしょう!」

名前は皇毅の胸を、細い両腕でぐいぐいと押した。
皇毅は、名前の言葉に眉間の皺を更に増やした。
いつもより、声を低くして、皇毅は言った。

「だったら家人を寄越す。――帰るぞ」

「嫌です。どうしてもとおっしゃるのなら、実家に帰ります」

「晏樹の所にか」

『実家に帰らせていただきます』という言葉は長官にも聞くのか、と秀麗は暢気に考えた。
そっと静蘭に目配せをして、邸に入った。
自分達が入る話ではない。

「兄上は、お優しいです。いつもわたくしの事を案じてくださいます」

「兄妹なのだから、当然だろう」

「皇毅様は、皇毅様は、わたくしの事を案じてくださいません」

名前は酷く悲しそうに、震える目を伏せた。
皇毅は、違う、とだけ言って抱きしめた。

「仕事をしている間だって、心配で仕方がない。晏樹がやってきてはお前の話をしていく。そのたびに嫉妬する」

「お話し相手は兄上くらいしかおりません」

「それでも、私がいない間にお前が晏樹を邸に入れているかと思うと、苛々する。本当だったら、邸の奥深くに閉じ込めておきたいくらいだ」

皇毅は、腕の力を強くした。
名前が苦しそうに皇毅の顔を見た。
間近にある顔に、恥ずかしくなったのか、皇毅の腕の中でもがいている。

「――お前を見るたびに欲情する」

「それが、嫌なのです」

名前は動くのをやめると、俯いていった。

「家事がしたいです。外で遊びたいです。でも、その――皇毅様は夜の方を激しくなさるから…」

「外に出したくない。お前が私以外の男の目に触れるのだと思うと、気が狂いそうになる」

「分かっています。でも、もう少しわたくしの事を考えてくださいまし」

名前は堰切ったように泣いた。
言いたい事を言えて、すっきりしたようにも伺える。
けれど、やはりその瞳は悲しそうだった。

「皇毅様に求めていただけなくなるのも、嫌です。わたくし、嫌な女なのです」

「それくらいが私には丁度いいだろう」

皇毅は意地悪く、笑った。
そして、名前の顎に指をかけ、上向かせた。
噛み付くような口付けに、名前は酔いしれた。
許してくれるのだ、受け入れてくれるのだと思うと、再び涙が溢れた。



葵華
(皇毅が愛する華)


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