はい、と那三重が差し出した一通の封筒に、春子は首を傾けた。春子宛てなのだろうか?
「これはうちと縁のある人の、娘の結婚披露宴の招待状よ」
「それを――どうして私に?」
「榎木津さんが来るそうよ。本当はお父様の方が招待されたらしいけど、代理で榎木津さんが来るみたい」
春子はだからどうした、と言った。
榎木津がその披露宴に行くからと言って、那三重の家に来た招待状を差し出されることとは関係ないだろうという思いを込めて。
那三重は楽しそうな笑みを浮かべている。こういう時の那三重には出来れば関わらないほうが善いということを春子は長い付き合いで学習していた。そもそも、付き合いたいとも思わない。
「榎木津さんの正装、格好いいと思うなぁ」
「知ってるわよ」
「お願いッ! 一緒に行こう!」
顔の前で手を合わせる那三重に、春子は呆れた表情で友人を見る。
那三重が春子を巻き込みたい理由はなんだろうか、と必死に探すも、思い当たる節はない。
「……親に聞いてみないと」
「それなら聞いておいたわ。春子を知り合いの結婚披露宴に連れていきたいんですけどいいですか、って」
「呆れた。だからさっきの休み時間いなかったのね。――とりあえず、私を連れていく理由を教えてよね」
「実は新郎の方が色々と問題があるみたいで。下世話な噂によると結構な厄介者らしいわ。親の方もね。私は新婦側の招待なんだけど、新婦は結構な才媛で有名よ。私も何度かお会いしたことがあるから心配で……。そしたら榎木津さんが来るって言うじゃない? あの榎木津さんが、よ。これは何かあるに違いないと思って」
「それと私とどういう関係があるのよ」
「だって、楽しいじゃない。春子は榎木津さんの素敵な正装が見れて嬉しい。私は春子の正装が見れて嬉しい。それに、春子が傍に居たら榎木津さんの被害に会うことはないもの」
春子は心底頭を抱えたくなった。要するに春子は那三重の盾として呼ばれるということだ。
しかも那三重は困ったもので、事あるごとに春子を着飾らせたがる。着飾ったほうが可愛いとは那三重の言い分で、春子自身は着飾ればそれだけ緊張を強いられる事になるので、余り嬉しくはなかった。
「前日は私の家に泊まってちょうだい。私、思いっきり春子を着飾らせるのが夢だったの」
「そんな夢捨てておしまいなさい」
「つれなくしてもダメ。必ずよ?」
余りにも那三重が聞く耳持たなかったので、春子は両腕を広げ肩を竦めて見せた。
それを了承の意と取った那三重はよろしくと笑って自分の席に戻った。
ああ、凄く憂鬱だ。
そもそも春子は榎木津が出てくると十中八九大事になると思っている。榎木津は間違いなく披露宴を荒らすつもりだ。
ちらり、と榎木津の座っている席を見、出方をうかがう。榎木津が何かしそうなら、逃げるかなるべく端に寄っているほうが安全だ。
しかしながら席には榎木津だけでなく、鳥口と見知らぬ人物が座っている。鳥口が居るところを見ると、恐らく中禅寺も出てくるだろう。
だとしたら見知らぬ人物は、榎木津の依頼人なのかもしれない。榎木津のところに持ち込まれた依頼が周囲を巻き込むことなど今までによくあったことだ。いや、榎木津自身が巻き込むのか――。
「春子、そんなに熱い視線を送っていると見つかるわよ」
「見つかっちゃいけないの?」
「見つからないほうが楽しいじゃない。ねぇ?」
那三重の隣、真向いからくすくすと笑い声が聞こえてくる。笑い声の主は那三重のねぇ、という同意を求める催促に「そうだな」などと言ってのけた。
春子の正面に座っているのは那三重の婚約者である。明治時代から名を馳せた財閥の跡取りにして旧華族。彼の父親の爵位は男爵だとか。勿論もう関係のないことだが。
「礼二郎さんの事なんて今話題にするべきものじゃないでしょう。結婚披露宴なんだから」
「そうね。――あら?」
急にざわざわとし始めた会場に、春子は原因を探す。
どうやらオカマが乱入したようだ。
「オカマの意地を見せろッ!」
榎木津の声が響き、オカマが新郎――櫻井哲哉に言いよる。それを鳥口がカメラでパシャパシャと写真を撮っている。
誰だ、こんな悪趣味なことを考えたのは。春子は深くため息を吐いた。
「離れていてよかったわね。いい見せ物だわ」
「ホント、那三重って底意地悪いよね」
「最高の誉め言葉だわ」
春子は騒ぎを横目に見ながら、目の前の料理を食べることにした。こんな豪華な料理は滅多に食べられない。
那三重とその婚約者も、まるでこの騒ぎなど無いもののように、にこやかに食べている。春子は二人を色んな意味で大物だなと思った。
「そこまでです。櫻井官房次官」
スーツの男たちが大量に流れ込んできた。その中に見知った顔があるのに気付いて、春子は食べることをいったん止める。
中禅寺だ。
春子は中禅寺秋彦という人物ほど恐ろしい人に会ったことがない。一を聞いて十を知るばかりではなく、まるでインチキ占い師のようにはったりがうまい。そして巧みな話術。気付かぬうちに話を逸らされているのはしょっちゅうだ――主に関口がその餌食になっているような気がするのは気のせいだろうか――し、それを指摘しても中禅寺はどこ吹く風だ。
「やっと片付いたようね。春子は食べてて。私たちは挨拶してくるから」
「わかったわ」
新郎をはっ倒した新婦のもとに迎う那三重を見送り、春子は料理へと視線を戻した。
不意に料理が遠くなり、身体がぐるんと回転した。目の前には榎木津がいる。
「れ、礼二郎さん?」
「やぁ春ちゃん。どうして僕の隣に座らなかったんだッ」
「私の方が先に席に着いたんですから、無理云わないでください」
「ならば春ちゃんは僕のことをどうでもいいと云うんだね?」
「どうしてそうなるんですか。私だって礼二郎さんの傍に居たいのは山々ですけど、礼二郎さんの傍は危険なんです」
榎木津に抱き抱えられたまま、春子は必死に榎木津に言い訳する。
榎木津は憮然と唇を尖らせた。
「春ちゃんが知らない男と一緒にいるから驚いた」
「すみません」
「これで許してあげる」
春子の頬に軽くキスをした榎木津は、機嫌を良くして「帰ろう」と言い出した。
春子はそれに首を横に振った。
「まだお料理が……」
「今度僕がご馳走してあげる」
「でも那三重……」
「あら春子、榎木津さんと帰るの? じゃあまた明日」
こちらに気付いてにこにこと笑った那三重に、春子は那三重を睨んだ。榎木津と帰ることは嫌ではないが、春子は何だか余計なことを云われた気分になった。
「うふふ。さぁ春ちゃん、帰ろう」
「……はァい」
榎木津に抱えられたまま、春子は会場を後にした。
(薔薇十字探偵社お泊りコース)
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