私は伊佐間一成と付き合っている。
付き合っていると云っても、デートをするでもなければ、ちょくちょく会う訳でもない。つまり、ここ最近全く会っていないのだ。
だから、ほんの少しだけ、不安だったのだ。
「やってしまった――!」
つい、ほんの出来心だったのだ。
これは世間で云う浮気という奴だ。迫ってきた男になびいて、危うく襲われるところだった。急所を思いっきり蹴りあげてやったが、首筋にキスマークを付けられた。
いくら最近一成に会っていないとはいえ、あいつは妙に勘が良い。いや、間が悪いと云うべきか。兎に角、あいつは来なくていい時にはひょっこり現れるくせに、来てほしい時には全く来ないのだ。
兎にも角にも、私は数日は一成を避けなければいけないのだ。絶対にキスマークが見つかることだけは避けなければ、あいつがどんなことをしてくるか、分かったものではない。
ただ、迫ってきたのが格好よかったのも悪かったのだ。畜生め。
「春子ちゃん?」
「げ、一成……」
私は慌てて首筋を隠した。どうして今日に限って現われるんだ。
一成は帰宅しようとしていた私を待ち伏せていたらしい。私の家を教えるんじゃなかった。今更後悔しても遅い。
「どどど、どうしたの」
「うん、ちょっと会いたくなって」
思わずきゅんとした。
いけないいけない。普段そんなことを云わないこいつがこんなことを云うなんて、絶対何かあるに決まっている。
「首、どうしたの」
「へ、あ、ああ。こ、これね。ちょちょちょちょっとぶつけて。あー痛い痛い」
白々しかっただろうか。
一成は表情を全く動かさず、うんとだけ云った。
これは、ヤバいかもしれない。私は経験的にそう思った。何より、私は嘘を吐くのが大の苦手なのだ。
「春子ちゃん」
「な、何よぅ」
「とりあえず、上がらせて貰ってもいいかな」
私の本能はガンガンと警鐘を鳴らしている。対伊佐間専用だ。
ここで上がられたら、間違いなく見られる。一成はこのキスマークを痣だと勘違いするだろうか、否、妙に勘の良い一成が気付かないはずが無い。
そしたら、私は間違いなく――。
「い、いや、ここ最近忙しくてね?部屋の掃除を全くしてなくて、だから、ちょっと――」
「うん。じゃあ僕の家まで来て」
だ、駄目だ。これは逃げられない。
普段はひょろひょろしている一成は、何故かこういう時だけそのひょろひょろが強引になるのだ。しかも、怒っているのか嬉しいのか判断のしづらい顔立ちで、何を考えているのか全く分かりやしない。
「あ、あの、ね?私この後用事が――」
「首、痛いんでしょ」
「どうしても外せなくて、その」
「うん」
一成はそれだけしか云わなかった。
もしかして、私のあの下手な嘘を信じているのだろうか。それはそれで私には有り難いのだが、ちょっと心配してしまう。しかし、今現在の私にそんな余裕あろうはずもない。
「ごめんね」
「へ?」
私は油断した。
一成はその好きを狙って、私の首を押さえている手を取り、その勢いで一成の方へ引っ張られた私に口付けた。
は、はげしい……。
「ん、むぅ、ふッ」
息継ぎが出来ないほどにきつく深く口付けられた。私の舌を絡めとるように、私は一成の舌に口内を蹂躙される。
「はぁッ」
やっと呼吸が出来ると思ったら、一成の唇は私の首筋をなぞった。
ちょうど、キスマークがある辺りで一成は止まった。
「誰」
冷たい声に私は冷や汗を流す。
それはもちろん、このキスマークを付けたのは誰かと聞いている訳で、これが見付かってしまった以上、私のこれまで吐いた嘘は誤解を招くことに成りかねない。
こういう時は早く弁解するに限る。
「し、知らない人」
「行きずりの男とヤッたの」
「ちち、違うって!ヤッてない。これ付けられただけで――びっくりして急所を思わず……」
そう、と一成は云った。
こんな時ばかりは一成の表情の読みにくさを恨むばかりだ。もっと表情をだそうよ!
「蹴ったの」
「蹴った。だっていきなり襲われたら――痛ぁッ」
一成は私の首筋に噛み付いた。
歯形が残ったんじゃないかと思うくらいジンジンして痛い。何してくれるんだ。
「うん」
「うんじゃないよ。何してくれるのよ」
「疑われるようなことをしてくる春子ちゃんが悪い」
そう云われてしまうとぐうの音も出ない。確かに浮気しようと思っていたのだ。一成は最近どっかに行っていて居なかったし、帰ってきたって中々会えないし。そして私を浮気に駆り立てた一番の理由は女性のことだった。
朱美って誰。
風邪引いたのは御愁傷様だけど、泊まる必要あった?しかも何よ、助けちゃって。
「春子ちゃん。取りあえず家に来て」
「い、いや」
どんなことをされるか分かったものじゃない。
下手したら一成の処に一生軟禁とか、勝手に部屋を解約されていたり――。有りそうで怖い。
「春子ちゃん」
「な、何」
「春子ちゃんは此処で襲われたいの」
「なッ」
何を云いだすんだ、コイツは。
「行くよね」
「い、いやよ」
「嫌よ嫌よも好きのうちって云ってもらいたいの」
「何でそうなるのよ!」
訳が分からない。
一成に襲われるのは嫌だが、それでもあの見知らぬ男より、嫌では無かった。
優しくしてくれると知っているからだろうか。
「春子ちゃん。行こう」
「な、何で」
「早く春子ちゃんの中から追い出したい」
誰をとは云わなかった。
でも、私にはそれだけで充分だった。
もう貴方の事しか考えてないんだよ、とは云わなかった。そんなことで今の状況が変わるわけではないし、ちょっぴり恥ずかしかったから。
「わ、分かったわよぅ」
愛に騙される
(あ、私の部屋が――!)
(うん。解約しておいたから。春子ちゃんの家は此処)
(やっぱりー!何してるのよ!このあほんだら!)
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bkm