出会いはすぐそこに
嗚呼、揺れる。
外の世界は、明るくなったり暗くなったりしている。昼と夜だろう。
コポコポ、と音がする。呼吸の音だ。
まわりは水だらけなのに、私は何故か呼吸をしている。もしかして、エラ呼吸なのだろうか。だとしたら、私は今、魚なのだろうか。
その答えは、数週間後に分かった。
私は今――、胎児なのだ。聴力が発達したためか、外の世界の声が聞こえる。それは元気に生まれてきてね、とか男の子かしら女の子かしら、と言った内容だった。
つまり、エラ呼吸は系統発生の途中なのである。固体発生は系統発生の歴史なのだ。そのうち、肺呼吸になるだろう。

コポコポ、こぽこぽ

生まれ出て気が付いた。
私はいつ死んだのだ? 生まれてきたということは、どこかで必ず死んでいるのだ。
では、私はどこで死んだ? 嗚呼、思い出せない。

「おぎゃあ」

肺呼吸に変わった。早く肺呼吸にならないと、尻を叩かれるので、私は意識的に肺呼吸を出来るように頑張った。
とりあえず、息をすればあとはゆっくり眠れる。産湯に浸かりながら、うとうとと考えた。

「あら、寝ちゃいそうね」

女の人の声がする。きっとこの人が母親なのだ。まだ目が見えないから分からないが、胎内にいたときに聞いた声だと思う。
母親。その存在は特別だ。けれど、私にはその存在を認めることは出来なかった。それというのも、私には死んだという感覚はなく、私の中では前の人生を戻ってやり直しているようなものなのだ。言ってしまえば、これは何か悪い夢だと思いたい。けれど、そう思えないのは私が人の胎内に宿っていたからだ。その時間は余りにも長くて、現実味を帯びていたからだ。普通からして、前の記憶を持ったまま生まれてくること自体に現実味はないのだが、胎内にいる間は眠くなったりも夢を見たりもしたのだ。起きても私が布団で寝ているということはなかった。
これは全て現実で。
こんなことがリアルに起きるなんて考えてもみなかった。

「この子も、きっとお国のために働いてくれるわ」

そんなのは死んでもごめんだ。だが、今の私にはそれを伝える方法は“泣く”ということしか無かった。

「ごめんね。起こしちゃったのね」

そういうことじゃない。でも、それは伝わらない。伝えることが出来ないのだ。喋る、という手段も生まれたばかりの赤ん坊には使うことは出来なかった。

「おぎゃあ」

ひとしきり泣いてやる。そうすれば疲れて眠れる。
これからの時代を憂えて、私は泣く。今がどんな時代かは知らないけれど、お国のために、なんて馬鹿げている。戦時中の日本じゃあるまいし。
泣いたせいか、眠気が押し寄せてきた。

(あゝ、無情)




「さすがね! 貴方はうちで一番なだけあるわ」

愚かな人。誰でも二度目は簡単に決まっている。
それでも、女で勉強が出来るというのが、こんなにもおかしなことだとは思わなかった。
過去、なのだ。ここは、私が生きていた時よりも、60年も前の、時。つまり私はここに居るべきではない人間なのだ。ここがどういう時代であれ、私の知っている戦後の日本と大差ない。私がここに居るのは、ここに生まれ出る前の私が記憶を持ったまま異世界へ移動したか、生まれ出る前の私は、ここに居る私の来世か。タイムスリップ等では考えられないのだ。確かに、私の知っている範囲の戦時中戦後の日本と変わらないのだ。でも、タイムスリップでは考えられない問題がある。
タイムスリップはここに生まれ出る前の私が、そのままこの時代に来たときに使うものであり母親の胎内を通ってきた私の場合、一番近い単語をあげるとしたら、転生というやつになるだろうか。
生まれ出てすぐは分からなかったものが、もうこの時代で17年も生きれば、前の記憶が無くなってしまうくらいに世界を知った。
まあ、最終的に至った結論は、どんな時代であれ、どんな事情があれ、私は私だ。私にとって“異世界”であることには変わらないのだ。

「ありがとうございます」

「貴方のようなお子さんを持って、ご両親もさぞ鼻が高いでしょうね。これからも頑張りなさい」

嫌味か、と言いたくなる。東京とは名ばかりの、畑しかないようなところで育った両親が、私を誇らしく思うわけが無い。まあ、そのお陰で空襲も逃れたが。都内の進学校に通ってはいるが、地主とはいえ農村なのでお金はない。母親は遠くへ通わせること――高等教育受けさせることを渋っていたが、粘りに粘った結果、通わせてもらっている。
私の行っている学校は神保町にある。私は古書街の雰囲気が好きで、通いやすいという理由からその学校を選んだのだ。
今では失敗したという気もするが。

「ああ、生徒会長! 悪いんだけど、やってもらいたい仕事があって――」

「いいですけど、いつまでですか」

明日まで、と照れ臭そうに笑った先輩を殴りたくなった。

「まったく、水崎さんに迷惑かけて」

「ごめんなさーい」

先生の言葉に悪びれた様子も見せず、先輩は笑って謝った。
ふと、こんな時に携帯電話があればいいな、と思った。先輩から渡された仕事は明日までだと言うから、今日中には仕上げなければいけないだろう。ぎりぎりまで図書館を使えば当然帰りは遅くなるから、そんな時の連絡には便利だったのに。
まあ、この時代に無いものを欲しがっても手には入らないのだ。この間、やっとテレビが出来たくらいだし。

「先生、それでは私は失礼します」

「ええ、ごめんなさいね」

本当に私は何をやっているのだろうか。
生徒会長だってやりたくてやっている訳ではない。推薦され仕方なく出たら当選してしまったのだ。生徒会長なんて煩わしいものやりたくなかった。仕事は多いし、しかも仕事なんて言っても、殆どが雑務で生徒会長がやらなくてはいけないものではない。

「春子、大変だね」

物陰から見ていたのであろう友人がお疲れ、と声をかけてくれた。調子のいい友人だ。

「ごめん、一緒に帰れないね」

「まあ、仕方ないよ。生徒会長も大変だねえ」

「なっちゃったものは仕方ないよ」

友人も私も苦笑いだ。
ああ、それから、と友人は続けた。

「今日もいい無表情振りだったよ」

「余計なお世話」

この友人は時々私の無表情をからかうのだ。私は生まれる前からの重度のあがり症なのだ。ただ、赤面症ではないので、あがると無表情になるというだけの話なのだが、それが災いして下級生からは『クールなお姉さま』として慕われてしまった。
まったく以ていい迷惑だ。それをこの友人はからかっているのだ。

「じゃあ、私は先に帰るから」

「うん、じゃあね」





(出会いはすぐそこに)


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