私は優越感を抱いた

ふざけるな、と思った。
結局彼女は曖昧な事しか述べなかった。彼女が感覚で理解したのだとしても、私には理解できない。そもそも、魂の存在を持ち出してくることがおかしい。
事実彼女に私の記憶があるとして、真実前世の私が既に死んでいたとして――魂が体を抜け出す?
馬鹿馬鹿しい。
前世の私の世界もこの世界も、魂というものが目に見える訳ではない。つまり魂の存在の有無については沈黙するしかない。
それなのに、彼女はそれを認めている。
確かに、魂というのは目に見えないだけで存在するのかもしれないが、魂なんてものを彼女が扱えるはずもないのだ。
これは中禅寺さんの分野である。
そもそも、死んだら何もないのではないのか。
生きている人間が死後についてあれこれ考えることが出来るのは、死んでいないからである。死んだら考えられないし、死んだ後そのことを考えられる状況にいるのかも分からないのだ。
だが、その他の部分に付いては概ね納得できる。
人間の知識の枠に納まり切らない物事が、確かにあるのだ。
平行世界だの何だのという話は、確かに信じがたいけれど、四次元を認めるなら有り得るかもしれない。突如人が消えるという話も、無くはない。そういう人達は四次元に行ったのだと考えられていたが、確かに平行世界があるのなら、そこは人知を越えているという意味で四次元なのかもしれない。縦×横×高さの立体、三次元の世界に更に時間を掛けた四次元は平行世界とも云えるのかもしれない。
中禅寺さんではないけれど、この世は起こり得ることしか起きないし、起こり得ないことは絶対に起きないのだ。つまり0.1%でも可能性が有るのなら、それは起こるのだ。
四次元――平行世界で、そういう可能性が大いに有るのかもしれない。
だから、平行世界云々は――多少無理があるのだが――分からなくはないのだ。
だが、記憶の共有――彼方が一方的に知っているだけだが――については何一つ語ってはいない。
説明出来ないのは分かる。
だが、彼女は説明出来ないと書くのではなく曖昧にぼかしたのだ。だから胡散臭い。
彼女が述べたことが真実だったとしても、私は何も変わらない。否、それは始めからそうだったのだ。
ただ――。
私が消えてしまうような。
そんな錯覚に陥ったのだ。
榎木津さんの云う通り、私は私だ。それはどんなことが有っても変わらない。
私の魂だか何だかが異質なものだとしても、私は既にこの世界での市民権を得ている。異物を食べてしまった蛙のように異質なものを排除するのだとしたら、私は既に死んでいるだろう。否、生まれてすらいなかったはずだ。
だから私は、この世界に認められている。
――否、榎木津さんか。
彼女が憧れ恋い焦がれたのが私の中の榎木津さんなら、私の中での“榎木津礼二郎”という存在はかなり大きいことになる。つまり終戦の日、武蔵小金井からの電車の中で流れ込んできたのは“私の好きな榎木津さんを好きになった小沢春子”の気持ちだ。
つまり、それは汚染物質のように濃縮していったと云うことだろうか。私から小沢春子へ、小沢春子から私へと経るうちに、濃縮されたものが私のもとへ還元したのだ。
だが、なぜあの日なのだろうか。
小沢春子が亡くなった日、小沢春子の持っている私が榎木津さんを愛した記憶の一部が流れ込んできた。つまり、あの時の感情は小沢春子の物であって、私の感情では無かったのだ。
小沢春子の感情が、私の記憶に刷り込まれてしまっているのだ。小沢春子の中で、榎木津さんは美化された。小沢春子は盲目的に愛していた。
あれは他人の記憶なのだ。
そして、二度目。
精神の状況的に不安定だったからなのか、おそらくは私と小沢春子を分ける境界線が曖昧――否、不確定になってしまったのだろう。
私は普段、自分というものを明確に持っている。だから、幾ら魂が同じだからといって小沢春子と混ざることはない。
だが、私が個というものを疑った時――即ち揺らぐとすぐに合わさろうとする。
いや、揺らいだからといって混ざるわけではない。榎木津さんの事で悩んでいた時だ。私が意味不明な記憶について頭を悩ませていた時、そこには既に榎木津さんが居たのだ。
榎木津さんの存在が、私は本当に記憶の中の正体不明の人を愛していたのかと思わせたのだ。榎木津さんの存在が無かったら、――否、榎木津さんが居なくては成り立たなかったのだけど、あの時榎木津さんの処に出掛けていなければ、私は榎木津さんを好きになることは無かっただろう。
矢張り、榎木津さんは神なのだ。
自らそう名乗る程のことはある。榎木津さんは救済しないけど、人を貶めたりもしないのだ。あの人には破壊粉砕しかない。
けれど、榎木津さんはそれでも許されるのだ。
私がどうしてこんなに記憶の事で戸惑うのか。勿論はっきりさせたいという思いもある。
だが、それなら。
どうして私は榎木津さんの話を信じたのだ。
人の視覚的記憶が視えるというのは到底信じがたいのに、どうして私は榎木津さんのことを信じたのだろうか。今はそんなことは欠片も思いはしないが、ストーカーかもしれない。誰かから聞いていて知っていたのかもしれない。
では、なぜ信じたのか。
――私しか知らないことを知っていたからだ。
未来のこと、独りで泣いていたこと。それは誰にも喋っていないのだから、知り様がないのだ。泣いていたことは、家族が知っているかも知れないが、それにしたって私しか知らない未来のことを知っているというのは、信じるに値するものだった。
そう。だから私は榎木津さんを信じたのだ。
記憶が増えて戸惑ったのは、記憶がごちゃ混ぜになって焦ったのは、榎木津さんがいたからだ。
榎木津さんは私の心を救ってくれる、唯一の人なのだ。小沢春子でもそこらへんの精神科医でもない。私が求めているのは――榎木津さんなのだ。
嫌な女だと思う。全てがそうではないだろうけど、榎木津さんに気にしてもらいたいが為の、そういう感情の発露が“記憶の増加”ならば、私は相当嫌な女なのだ。本当に嫌な女なのは小沢春子だが。
自作自演ということになるのだろうか。脚本を作ったのは小沢春子で、演じているのは私だけれど。
小沢春子がどういう意図を持って、私の記憶を増やしたのか。
否、違う。それでは小沢春子がすべてを操っていることになるではないか。
小沢春子は榎木津さんが好きだった。ならば、そんな画策をして私と榎木津さんが結ばれるようなことをするだろうか。少なくとも、私だったらしない。
私にとって、榎木津さんは水や酸素のような存在だ。無くてはならないというより無いと生きていけない。そんなものだ。依存している。私に依存しているという意識はないが、無いと生きていけないというのは確実に依存しているのだろう。
私にとっては駆け込み寺のようなものなのだが。
関口さんが中禅寺さんを頼ってしまうように、私も榎木津さんを頼ってしまうのだ。
本当に小沢春子は何がしたいのだろう。縁結びなんてのは神社がやるもので、人がキューピッドになるのは相当大変だ。人はそんな簡単に思い通りに動く生き物ではないのだ。
人として進化した人間は、その代償として動物としては退化している。動物は生き延び子孫を残すことを目的としているが、人間は違う。人間はなまじ頭が良いだけに“死にたい”と思うようになったのだ。本能的な動物とは違い、生とは何か、死とは何かを考えるようになったのだ。私もその一人だ。
そんな無駄に脳が発達した人間を人間が制御できるわけはないのだ。人間は複雑な思考回路を持っているのだから。
小沢春子が人を操ろうとしたなら、どんな不足の事態にも対応できるような計画でなくてはいけない。後に私はそれを知ることになるのだけれど。だが、そんな計画は誰にでも組み立てられるようなものではない。だから、大抵の計画には初めから綻びがあるものだ。
何をしたいのだろうか。
私と小沢春子は謂わば双子のようなものである。思考回路は似ているはずだ。人は人を操ることは出来ないが、人の考えていることはある程度親しくなれば分かってくるものである。双子がそうだ。一卵性二卵性の差こそあれ、同じ時期に母親の腹の中に居たのだ。全く同じ環境で10ヶ月を過ごしたのだから、お互いの考えが分かるのは全然不思議ではない。
私と小沢春子もそうなのだろうか。同じ魂。でも別人格なんて事があるのだろうか。



私は今、電車の中だ。
もちろん、榎木津さんの処に向かうのである。
そもそも、会わないと決めた私がなぜ榎木津さんの処に向かっているのだろうか。まあ、それはお呼び出しが有ったからなのだ。
今朝榎木津さんから電話があって「早く会いに来なさい!」と云われた。仕方ないから出かける旨を母親に伝えると、お土産を持っていけと云われた。持たされたのがクッキーだったから「榎木津さんはもそもそしたものは嫌いだって云ってたよ」と云うと「あら、じゃあ貴方がお土産ね!」と云われた。
それは、アレか。私を食べて!みたいな奴か。語尾にハートがついているような奴か。私は文句の一つでも云いたかったが、母親は問答無用と叩きだした。
そんなわけで私は榎木津さんに会いに行く途中なのだ。
私は偶に、前世に――60年後の未来に思いを馳せる。あの時代は非常に便利だった。パソコン、携帯、駅には自動改札があり、セキュリティだって今に比べれば相当安全だ。指紋だのDNA検査だのも非常に精密だ。
だからというわけではないが、私は今が好きだった。
榎木津さんのお陰である。中禅寺さんのお陰でもある。
榎木津さんたちは、何だかよく分からない絆で結ばれている。私は時々それが羨ましくなるのだ。
目の前を流れていく景色。それは当初、私の見たことのない景色ばかりだった。人が少なくて、池袋や渋谷なんて良くもまああんなに人が集まるものだと思っていたが、今は逆だ。あのイメージだからいけないのだろう。何だか閑散としていて雑然としていた。ここがあんなコンクリートジャングルになるのか、と思ってしまう程に。

『次は神保町です』

車内アナウンスが入った。私は降りるために席を立つ。
普段の電車はすし詰めで、歩く事すらままなら無いが、今日は休日だからかそれほど混んではいなかった。
私は毎日の押し出されるような感覚もなく、非常に機嫌よく降車した。
駅から榎木津さんの営む薔薇十字探偵社はそれほど遠くない。学校の方が若干奥だから、学校に行くより近くて行きやすいが、帰り道に寄る時は見られやしないかとひやひやしている。
薔薇十字探偵社の扉を開ける。カランと鈴が鳴る。

「春ちゃん!」

「こんにちわ、榎木津さん」

いや、今は記憶のことなどどうでも良い。
私はふざけるなと思ったが、納得していない訳ではないのだ。地球に住むかぎり、いや宇宙という枠組みの中に居るうちは、人知を越えた出来事というのは起こり得る事なのだ。私が知らないだけで、前例が有ったかもしれない。
そんなのは宇宙はどれぐらい広いか論議するかのように果てのないことなのだから。
取りあえず、私は榎木津さんが居るだけで――榎木津さんに会えるだけで良いのだ。

「春ちゃん、僕は眠い!」

「膝枕ですね」

榎木津さんと出会って2ヶ月と少し。
私はきっと、これが最初で最後の恋だろうと苦笑した。
私は仮令榎木津さんと一緒に居られなくなったとしても、榎木津さん以外を好きになることはないと思うのだ。
私と小沢春子。
人格は違っても同じ魂は同じ人を好きになった。
もしかしたら、榎木津さんと出会えたことが私と小沢春子を違った存在にしたのだろう。
死人に口なし。何でも云い放題だけど、私は榎木津さんと出会えて良かった。
そういう意味で、私は小沢春子ではないし、小沢春子にならなくてよかったと思う。






(私は優越感を抱いた)


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