ぐしゃりと握り潰した


私は、会いに行くことを決めた。
件の――小沢春子にである。
これは私自身が決着を付けなくてはいけないことだ。
誰の力も借りず、独りで。


あの日、楠本頼子に会った日に、私はそう決意した。
決意した理由は、楠本君枝を見たからだ。
娘を心配する母とは、こういうものなのか、と思った。それが理由だ。
そして、それが先週の木曜日の事だ。
私は学校が休みである今日、里村医師のもとを訪れた。小沢春子の住所を聞くためである。

「小沢さん?ああ、彼女の実家は武蔵小金井だよ。確か、そっちで供養したはずだからね」

というわけで、先日の謝罪を併せて訪れた里村医院で、里村医師は実に優しく応対してくれた。
小沢さんの住所を聞き出すのもわけなかった。運命的なものを感じたといって誤魔化した。

そういう経緯があり、私は今、武蔵小金井にいる。
嫌な符合だ。
私は武蔵小金井の駅に立っている。
ここは柚木加菜子が事故にあった場所であり、小沢春子の生れ故郷でもある。
私は里村医師に教えてもらった住所を頼りに、小沢春子の実家へと向かった。
けれど、教えてもらったのは実家ではない。教えてもらったのは菩提寺の住所だ。
なぜ実家の場所を知っていて住所を知らないのかは私にも不明だが、これまた何故だか知っていた寺へと向かった。
近隣の人に聞けば分かるだろう。そんな思いで武蔵小金井を歩いた。

「どこだよ……」

ついつい元の口調に戻ってしまう。誰も知っている人が居ないからだろう。
私は知らないうちに肩に力を入れすぎていたようだ。

「春子……?」

名前を呼ばれた。
女性の声に、私は振り向いた。

「あ、あの、確かに私は春子ですが――」

「あら、御免なさい。余りにも娘に似ていたものだから」

和服の似合う、女性だった。
最近は洋服を来ている女性も増えてきたが、やはりどことなく似合わない。日本人は和服が似合うということだろう。
女性――というより小母さんと云ったほうが伝わるだろうか。見たところ、50代というところだろうか。

「娘さんは――」

私はこの時点で、ほぼ確信していたのだ。
この人は、小沢春子の母親だ。

「亡くなったのよ。2ヶ月ほど前に」

「そう、なんですか――」

やはり、間違いないだろう。
だが、私は敢えて聞くことにした。

「もしかして、小沢春子さんの」

「春子を知っているの!」

女性――泰子さんは食い付いた。
目の前に餌を置かれた空腹の獣のような食らい付き様だ。

「里村先生のところで、小沢春子さんの話を聞いて。同じ名前ですし、他人事とは思えなくて。せめてお線香でも、と」

「里村先生ね。あの方には良くして貰ったわ。小さい頃から見ていただいたの」

ここからだと、里村医院にそこまで近いとも思えないが、何か事情があるのだろう。
私は泰子さんに誘われて、近くの喫茶店に入った。

「何となく、分かっていたの。貴方が来るってこと。でも余りにもそっくりだから、驚いてしまって」

ごめんなさいね、と泰子さんは謝った。
確かに、私と小沢春子が似ていてもおかしくはない。
里村医師にも似ていると云われたが、そういう事ではなく、私と小沢春子は別人格の同一人物なのだ。
だから、似ていると云われてもそうか、と思うだけだし、似ていないと云われてもそうか、と思うだけである。
況してや、小沢春子さんはこの世には居ないのだから――彼女はつまり、前世の私になったということだろうか――どうこう云えるはずもない。

「実はね、春子に――娘に云われていたの。もしかしたら、私を探している人が来るかもしれないから、って。それが同じ名前だったら、間違いなくそうだから、私のこと教えてあげてね、って」

泰子さんはぐすん、と鼻を啜ったらしい。
しかし、そうか。矢張り小沢春子には私の記憶があるのだろう。
そして、私がここに来ることを知っていた。
確定的では無くとも、そういう言葉を遺しているのだから、可能性として大いに有り得ることを知っていたのだろう。

「あの子ね、昔からそういうところがあったの」

「そういうところとは――?」

聞きに徹していた私は、その時やっと言葉を発した。

「未来に関することをね、偶に当てるの。でも結構先の事だったり……その色々と問題になったことがあって」

なるほど。小沢春子は私の記憶を利用したのだろう。もしかしたら前世の私の記憶もあったのかも知れぬ。
それならば私は小沢春子の幼少の頃に起きた事件などは知らないし、逆に云えば後世になっても有名な私が教わったことのあるような事件しか云いあてることが出来なかったのだろう。
それでも、それを云ったのなら、周囲からは浮くだろう。
私は産まれる前から意識が有った。だから、産まれてからのことについて考えることが出来た。時間も有り余るほどあったのだ。
だが、小沢春子もそうだという確証はない。もしかしたら、自分の記憶が多い事に、おかしいことに気付かなかったのかもしれない。それは、人に指摘されなければ分からないだろう。
だからこそ、浮いてしまったのか。

「大変だったんですね」

「ええ、もうあの子はいないから、過ぎたことなのでしょうけど、未だに気にしてしまうのよ」

泰子さんは握り締めたハンカチを軽く目頭に当てた。
私は子供を持ったことがないからそう思うのかもしれないが、少しわざとらしい。

「春子さんは、何か云っていたんですか」

「そうねぇ――そういえば、手紙を預かっているわ。同じ名前の方へ、って。今は持っていないのだけど」

泰子さんは送るわ、と云った。

「いいんですか?」

「春子の云った通りですもの。そうした方が春子も喜ぶわ」

泰子さんがそういうので、私は住所を教えた。
すぐ送るわ、と云われた。

「あら、随分と遠くから来たのね」

「ええ、まあ。殆ど端から端です」

「そうよねぇ」

泰子さんは注文したコーヒーを飲んで云った。
私はジュースだ。

「お代は私が払うわ。遠いんでしょう?早く帰ったほうがいいわ」

時刻は15時を過ぎたところだ。
確かに、今から帰っても17時には間に合わないだろう。

「すみません」

「いいのよ。私が好きでやっていることだもの」

泰子さんはそういって笑った。
私もつられて笑ったが、どことなく罪悪感が残った。



水崎春子さんへ
恐らくこの手紙を読んで、貴方は驚く事と思います。私自身、到底信じられないことばかりですから。
それでも、真実を知りたいと願った貴方の為に、この手紙をしたためます。

単刀直入ですが、私は貴方の前世です。
貴方は貴方自身の前世の記憶をお持ちでしょうから、正確に云いますなら前世の前世ということになりますが、貴方自身の前世の前世ということで、前世という表現をさせてもらいます。
私は貴方の前世へと生まれ変わる時、綺麗さっぱり忘れて生まれ変わったはずです。ですから、私が記憶している貴方の記憶で、私のことは殆どありません。私が私について貴方の記憶から読み取ることが出来たのは、私の死ぬ時期です。他人の記憶を介して自らの死期を知るというのは、信じられないものですが、貴方がこれを読んでいるということは、私は間違いなく死んでいるわけです。ですから、私は貴方の記憶でしか未来を知ることは出来ません。
私自身の不注意により、貴方の記憶と私の記憶を混同したり、うっかり未来の事を話してしまったりして何度も苛められました。ですから、私が貴方の前世だと云うことは、私が一番信じたくないのです。
けれど、私が貴方の前世だということを信じる理由はしっかりあり、矛盾などもありません。それにより、私は私の中にある誰かの記憶が私の来世であることを知ったのです。
貴方は覚えていないでしょうが、貴方が前世と呼んでいる世界で、貴方は死んでいるのです。貴方が忘れ去り、心の奥底に封じ込めていたものまで私が知っているというのは、大変皮肉なものですが、貴方は闘病の末、屋上から飛び降りたのです。
魂と呼ぶべきなのかは分かりませんが、貴方の魂は貴方が死ぬ寸前に貴方の体を抜け出し、今の貴方に意識が芽生える前の貴方になったのです。偶に、胎児だった時のことを覚えている人が居るように、貴方の場合はその更に前、前世のことを覚えていたのでしょう。魂が死んでいなかったのです。
つくづく、世の中はどんなことでも起こり得るのだと実感させられました。
胎児は何処から生きているのか、人の意識とはどうやって生れるのか、そういうことを考えるのは卵が先か、鶏が先かと云うことを考えるようなものです。
しかし、魂の存在を信じるなら、そういうことも有り得るのだと思ってほしいのです。
私は人を超越したものを、どうしても信じられません。けれど、前世を覚えているという貴方がいる以上、人を超越した存在があるのかもしれません。
私たちには、太陽系の焦点が一つしかない理由は分かりません。本来楕円であるなら、楕円軌道であるなら、焦点が2つ必要だということは物理を学んでいる貴方なら不思議に思うことでしょう。
私たちには分からないことが沢山あります。けれど、どの現象にも理由があるのです。理由なくして現象というものは起こらないのです。物理などの世界は、まさにそうでしょう。

さて、ここで私は何故私が貴方の記憶を持っているか、ということについて説明せねばなりません。
それは、元々私と貴方は同じ人間だったからです。
私が勿論、私は貴方の前世なのですから、魂は同じです。けれど、ここで云う同じ人間とは、平行世界での同じ人間です。
魂は同じだけれど、性格は違う。育った環境も似ている。けれど、徹底的に違うものとは、あの時ああしていれば、ということです。あの時貯金をしていれば、あの時ちゃんと早起きしていれば、そういう分岐点でのもう一方の可能性の世界です。
方や超近代的、方や超原始的。そんなことが起こり得るのです。文化文明が違えば、起こることも違うということです。
魂というもの1つ取ってみてもそうです。アフリカの奥地には今も霊性のあるシャーマンが居るでしょうが、現在の、現代の日本では巫女はアルバイトだったりと形骸化しています。それが効力を持つこともあるのでしょうが、今ではほとんどの人がお化けや幽霊の類などは信じません。そんなもの居る訳ないだろう、で一蹴です。
魂が六道を輪廻するのなら、しない可能性もある。そういうことです。
誰から聞いたのかは覚えていませんが、この話を聞いたとき、納得したのを覚えています。
私と貴方は、そういうコインの裏表のような相反する世界に居乍らも、コインと云う同じ世界に居たのです。根源は同じでも、過程が違うのならそれは別のものだということなのでしょう。
私は小沢春子でありながら、水崎春子さんでもあったのです。
問題は、どれだけ私と離れているかということです。同じ時間を刻んでいても、私と偶然隣に座った人は同じ世界という枠組みの中にいるだけで、全く別の意識を持っているわけですから、これも平行世界と云えるのでしょう。
納得出来ないことは多々あるのでしょうが、私にはどうお伝えすれば良いのか分かりません。
ただ私が云えるのは、春子さんに幸せになって欲しいということだけです。私は貴方の記憶の中の榎木津さんに憧れました。私は春子さんが愛した榎木津さんに惹かれたのです。それが一時的に貴方に還元してしまったことについては、コインを裏表のないように球にしたということだと思います。
多くの迷惑を貴方に遺してしまいました。恨んでも結構です。私はもう死んでいるので、何も出来ませんが、そういう役割でしたら買ってでましょう。
どうか春子さんが末永く幸せでありますように。





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