多くの事柄が絡まっていく。
聞けば那三重にも婚約者がいるらしい。いくらお嬢様だからって、まさか婚約者。
芳子は那三重とは違った雰囲気の少女だ。
芳子はどちらかといえば不良少女である。髪を巻き、化粧をしている。成績も余り良くはないようである。
そんな彼女に婚約者がいるのは、不思議ではなかった。婚約者と云えば聞こえはいいが、所詮将来を約束した恋人ということだろう。芳子が夜遊びをしていると聞いても、芳子を知っている者ならば驚かないだろう。きっと夜遊びの時に知り合ったのだろう、と思うはずだ。
事実、彼女は夜の街で遊んでいるらしい。
一方、那三重の方はといえば、親の決めた婚約者なのだそうである。
これはよくある。斯く云う私も親同士の口約束による許婚がいる。
もちろん、許婚という曖昧な物ではなく、確実に将来が定められた物なのだろう。
まあ、そうは云いつつも那三重は上手くやっていたらしい。相手は3つ程年上で、小さい頃から一緒にいるから兄のような人らしい。
だが、その婚約者に浮気疑惑があるのだそうだ。
確証の持てるものではないらしい。昨日も私と会った後は、その婚約者のもとに向かったようなのだ。
そこで口論になったらしい。
まるっきり喧嘩別れになってしまったらしく、私に相談してきた。
私に恋愛経験がないのは知っていると思うのだが、そういうと彼女は「大人びてるから」の一言で一蹴した。
恋をしているのだろう。
どうやら恋心に気付いたのは最近のようだった。浮気疑惑で気付いたのかもしれない。
那三重は恋をしている。
私は――恋をしているのだろうか。
否、これを恋と呼んでもいいのだろうか。

「突拍子過ぎますよ!関口さんからも何か云ってくださいよ!」

「え、あ、うう」

ううん、と唸る関口さん。
聞いていなかったに違いない。あの男性が気になるのだろう。

「春ちゃんは許婚が迫ってきて困ると云ったじゃあないか!」

「だからって、どうしてそうなるんです!」

「結婚すれば、そいつは迫って来れないだろう。それに、春ちゃんは僕のことが好きだし、僕も春ちゃんが好きだから問題なし!」

問題大有りですと叫んでテーブルを叩いた。
コーヒーのカップが一瞬浮いて、がちゃんという音を立てて落ちた。

「その件については、解決策があるんです!榎木津さんが来ちゃったら、余計まずいです!」

「なんだ、解決策があるのか」

あるんです、と答えた。
実は那三重が解決してくれると云うのだ。
何をするのかは知らないが、きっと那三重なら解決してくれるだろう。なんて云ったって那三重だ。

「那三重に任せてあるんです」

「ふうん」

榎木津さんはそれだけしか云わなかった。
興味は無いらしい。

「那三重?」

「ええ。友人です。ほら、雑司が谷の事件。あったでしょう?あそこの病院で産まれたみたいなんです」

関口さんの疑問に答えると、関口さんは顔色を悪くした。
私は何かいけない事でも云ってしまったのだろうか。

「音羽に住んでいて、彼女。関口さん、大丈夫ですか?」

「――ああ、まぁ、うん」

もごもごと、やっと聞き取れるくらいの返事だった。
矢張り私は聞いてはいけないことを聞いてしまったらしい。

「春ちゃんが気にする事じゃないよ」

榎木津さんはそう云った。
優しいのか、それとも関口さんを貶しているのか、良く分からない。
榎木津さんは何だかんだ云いつつも優しいから、関口さんを心配しての言葉だろう。

「だから結婚だ!」

「何でそうなるんです」

訳が分からない。
榎木津さんは相変わらず突拍子もない。
そういえば、中禅寺さんも関口さんも、榎木津さんが躁病気味だと云っていた。そうなのだろうか。

「結婚だ!結婚結婚」

「関口さん、止めてください……」

「む、無理だよ」

榎木津さんは1人で結婚結婚と騒いでいる。どうやら忘れたわけではなかったようだ。
関口さんも止められないのでは、今の私たちにはどうすることも出来ないということだ。つまり、榎木津さんはずっと騒いでいることになる。
榎木津さんが飽きるのをひたすら待つしか無いのだろうか。

「え、榎さん、そろそろ行かないと」

関口さんは云った。
助け船ではなくて、本当に行かなければならない時間なのだろう。関口さんにそんな高度なことは出来ない。

「それを早く云えッ」

榎木津さんは関口さんに当たった。これだから亀君は、などと云っている。
もう、そんな時間なのだろうか。
疑問に思って時計を見れば、確かにもう行かなければならない時間だった。
何だかんだと話していて、1時間以上は経っていたのか。
結局榎木津さんの意識が違う方向へ向いたのだから、いいのだけど。

「さぁ、行くぞ。何をしているんだ、亀君。急げ」

榎木津さんは責め立てるように関口さんを亀君と呼んだ。仕舞いには「亀君は亀みたいにトロい」と云いだした。
それは失礼ではなかろうかと思いつつも、関口さんの気が紛れるならと黙っていた。
私は先ほど、掘り返してはいけないものを掘り返してしまったようだし、関口さんは先程から後ろに座っていた男性を気にしていたようだから。

「春ちゃんも来なさァい」

榎木津さんは叫んだ。
私は分かっていますと返事をして、榎木津さんのもとまで走った。
あまり、離れたくはなかった。
あの男性が怖かったからである。
関口さんの知り合いだというあの男性は、少し狂っている。何がどうという訳ではないが、私の本能が逃げろと訴えている。
だから走った。

「榎木津さん」

「さぁ春ちゃんも乗り給え!」

そういって案内されたのはダットサンの後部座席。此処までの道程で座ってきた座席だ。
関口さんは榎木津さんの隣――所謂助手席に落ち着いている。

「さぁ出発だ」

そう云うと、体が座席に押しつけられた。
物凄い慣性力である。
舗装されていない道は車が走るには凸凹だ。舌を噛みそうになる。

「頼子ちゃんは戻っているかな」

「少し待ってみれば、戻ってきますよ」

楠本頼子。
人身事故の日、どうしてあそこに居たのかは知らないが、恐らく家庭で何かあったのだろう。この時期に締め縄を飾る家だ。家族が嫌で飛び出したのかも知れない。
本当の処なんて本人にしか分からないのだが。

「さぁ着いた」

近い。
車に乗るほどの距離でもない。
私たちは道の脇にダットサンを止めて、楠本家を覗いた。
そこには――。

「開かないの?まだ留守なのかな?」

榎木津さんは軽快にそう云った。
楠本頼子は振り向く。
私と、
目が合った。

「こんにちは」

「貴方、たしか――」

楠本頼子は少しだけ目を見開いた。
覚えていたのだろうか、あの状況で。彼女は酷く混乱していたように思ったのだけど。

「水崎春子です」

楠本頼子は少しだけ頭を下げた。
なるほど、この少女は少し卑屈なのだろう。自意識過剰ではないが、勘違いをする。
もしかしたら、幼少の頃に何かあったのだろうか。子供の頃の体験は成長する過程に於いて――性格の形成と言い換えることも出来るだろう――影響を与えるというし。

「あの、貴方たちは――」

「僕達は探偵だよ。君はここの家の――」

「楠本頼子さんのお友達ですか」

関口さんは榎木津さんの言葉を遮って、そういった。
榎木津さんに任せておけば、どうなるかわかったものではないと危惧したのだろう。

「楠本頼子は私ですけど」

「関口さん。私は彼女と顔見知り何ですから、そういうことは聞かなくてもよかったのに」

まぁ、関口さんらしいといえば関口さんらしいのだけど。
私は思わず苦笑してしまう。

「あ、ああ、そうだったね」

「これだから亀君は。お母さんはいないの?」

「貴方たちは借金取り?」と楠本頼子は云った。
榎木津さんはそれに「探偵だってば」と答えた。
はた目に見ても、楠本さんは明らかに不審がっている。
借金取りだと疑われたことからして、どうやら楠本さんの家の経済状況は芳しくないらしい。何とかという宗教――中禅寺さんに云えば、何かと説明を付けてくれるのかも知れないが、ここでは宗教ということにしておく――の所為かもしれなかった。
私は改めてこの異様な家を見た。
玄関も――窓という窓に板が打ち付けてある。これは既に家ではない。
先ず出入り出来ないからだ。そして、生活感が全く無い。
これは――只の。

「匣だ」





(多くの事柄が絡まっていく。)


prev next

bkm
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -