色々すっ飛ばして


翌日の事だ。
何時もより若干早く終わった私は、待ち伏せしていた榎木津さんに拉致された。
会わないと心の中で決めていた約束は、早くも破られてしまったということだ。焦ったが、その反面会いに来てくれることが嬉しくもある。
付き合い始めてから――というか、思いを伝えあってから、榎木津さんには遠慮というものが無くなった気がする。処構わず好きだと云ってくるから、とてつもなく恥ずかしい。歯の浮くような台詞をいとも簡単に云ってしまうし、それが本人の容姿に合っているのも何だか悔しいのだ。
私がどんなに高い壁を作ったって、榎木津さんは突き破って来るだろう。私がやること成すこと、榎木津さんには意味のないことなのだ。ゆっくり考える時間すら与えてくれない。
嬉しいけれど、だからこそ苦しくもある。

「関口さんは、付き合わされたんですか……」

「――うん」

地震にでも遭っているようだった。
榎木津さんの運転は物凄く揺れる。だが、速いのも確かだ。そりゃあ、ブレーキを踏まなければ速いだろう。ぶつからないのが不思議なくらいだ。
カーブを曲がる時ですらブレーキを踏まないのだから、当然私達は遠心力で外に飛び出しそうになる。ちゃんとドアが閉まっていてよかった。
そもそも車というのは安全運転第一だ。速度を上げれば、運動エネルギーも大きくなる。運動エネルギーは速度の二乗と質量を掛けたものに比例するから、速度が二倍になれば運動エネルギーは四倍、速度が三倍になれば運動エネルギーは九倍になる。この速度でぶつかったら、相当な衝撃だろうな。

「そういえば榎木津さんと会うのは久しぶりですけど、関口さんとは昨日も会いましたよね」

「5日振りだッ」

「付き合っているんじゃなかったのかい?」

関口さんが知っているという事は、榎木津さんが喋ったのだろう。もしかしたら、否もしかしなくても、中禅寺さんも知っているはずである。
関口さんが知ってて、中禅寺さんが知らないことを見付ける方が大変だ。

「付き合ってません。どうしてそういう勘違いをするかなぁ…」

「春ちゃんこそ勘違いをしているぞ! 僕と春ちゃんは付き合っている」

「付き合ってません。そんな暇はありませんから。もうそろそろしたら私だって受験生なんですから。母さんも付き合ってるなんて云うんですよ。大学に行ってほしくないからですよ、アレは」

じゃなきゃ結婚しろなんて言わないと思う。いい男はふらふらさせておくべきじゃない、と母は云うけれど、榎木津さんの性格じゃあ仕方ないだろう。
母は榎木津さんが榎木津財閥の御曹司だと知ったらしく(この時ばかりは教えた父を恨んだ)、余計に五月蝿くなった。

「た、大変だね……。もう受験勉強?」

「ええ。過去に失敗した苦々しい経験があるんで、今回は失敗しないようにと思って」

私は同じ失敗を二度繰り返すような馬鹿な女じゃないのよね。

「春ちゃんは勉強馬鹿だからな」

わはは、と榎木津さんは笑った。
「勉強馬鹿で悪かったですね」と返すと、関口さんが「勉強が出来るなんて羨ましいよ」と云った。
榎木津さんは帝大を出ているそうだから、羨む気持ちも分かるというものである。
きっと榎木津さんは勉強なんてしないのだろう。

「それで、何処に行くんですか。私は何も知らされてないんですけど」

「ああ、その、楠本君枝さんという人の処に――娘さんに用があって」

楠本?
それは、もしかして。
――頭が痛くなった気がした。

「頼子さん、ですか?」

「え、あ、うん。知ってるのかい?」

「柚木加菜子さんが引かれたとき、現場に居たので――」

嫌なことを思い出してしまった。
あの時は純粋に怖いと思ったのだ。虫もお化けも怖くはないけど、アレだけは怖いと思った。
それ程私に強い印象を与えたものだ。
頭が痛くなったのもあの時からだし――そういえば里村医師の処に寄ろうと思っていたのをすっかり忘れていた――私にとっていい思い出はない。
知り合いが増えたことは嬉しいが、知り合うのは何もあんな場所じゃなくとも――と思う。

「ああ、あの――」

「じゃあ春ちゃんとその子は知り合いだから、話が早く済む」

「そう簡単にはいかないと思いますけどね」

あの楠本頼子という少女は、何か暗い面を持っている。
バラバラ事件もこの近辺で起こっているから、何もなければ良いけど。
関口さんとは榎木津さんは何やら話していた。後部座席に座っていて、況してやこの件に殆ど関わっていない私には、分かるはずもないことだった。

「ああ着いた!この辺だよ、亀君、春ちゃん。ついに到着だ」

着いたようだった。



どうやら楠本さん留守だったようで、私達は近所の喫茶店に入った。
それにしても、楠本家は可笑しかった。榎木津さんは見た途端、正月だと云いだすくらい可笑しかった。窓も板が打ち付けてあった。

「榎木津さん?」

榎木津さんがずっと関口さんを眺めていた。眺めていたというより、見つめていた。

「どうしたんだ?榎さん、急に固まって」

「ううん。ちょっと待っていろ」

榎木津さんは立ち上がると関口さんを追い越して関口さんの背後にある席に向かった。
すぐ後ろの席に人は居なかった。
だが、男が独りで座っている座席があった。どうやら榎木津さんはその人に用があるらしい。
関口さんは上体を捻って後ろを見ている。関口さんの向かいに座った私は、上体を捻る必要はない。

「失礼。僕は探偵ですが、あなたは――ええと、加菜子ちゃんを知っているのですか?」

榎木津さんはそう云った。
どうやら榎木津さんは柚木加菜子さんの捜索を依頼されていたらしい。
男の人は榎木津さんを遮った。

「な、何だ君は?」

榎木津さんに何だと聞いても、余り意味はない気がする。
だが、それをこの男性が知るはずもない。
神経質そうな声だった。

「枠だの窓だのさっぱり解らん。無礼なことをするとこのままでは」

男の声が響く。
関口さんは立ち上がって榎木津さんのもとへ向かったようだ。
私は1人取り残されてしまった。仕方がないからモーツァルトに耳を傾ける。
私はクラシックは好きな方だ。

「せきぐち、巽さん」

どうやら関口さんの知り合いらしい。
榎木津さんと男性の両方から同時に話し掛けられて、関口さんは狼狽している。
珈琲は未だだろうか。
私は学校の鞄から、参考書とノートを取り出した。まだ暫く掛かりそうだから、勉強でもしようと思ったのだ。
前世の私は現代ッ子に有りがちな、英語で躓いた口である。
私は英単語を覚えることにした。書いて覚えるのである。

「この娘を――アンタたちは捜しているのか」

男の声が聞こえる。
ウエイトレスが来た。
どうやら頼んだ張本人達が話し込んでいるのを不振がっているようだ。
おろおろしている。

「さあ関君!戻ろう。春ちゃんが勉強を始めてしまった」

「勉強して何が悪いんですか」

悪いことなど何も無いと思う。
自分の知識は増えて成績も上がる。
私は榎木津さんの方を向いた。
そうしたら、偶然――ここに来た時点で起こり得ることを想定できていた筈だが――男性と目が合った。

「どうも」

私はとりあえず挨拶した。
男性も会釈した。
何だか、不思議な――私の語彙ではなんて云ったらいいのか出て来なかった――雰囲気を持つ人だ。

「春ちゃァん」

「何ですか、榎木津さん」

「何悩んでいるんだッ」

悩んでいるのだろうか。
榎木津さんの云うとおり、悩んでいるのかもしれないが、それをどう表現すればいいのか分からない。

「友人の芳子のことなんです。何でも、婚約者が居て」

「婚約者って、17でかい?」

「そうだと云ってるじゃないか!亀君は黙って聞けっ」

亀君って何だろう。
猿と呼ばれたり亀と呼ばれたり、忙しい人だ。

「まあ、その芳子なんですが、芳子の婚約者と芳子は物凄く仲が良いそうで。それを吹聴するんですね。気にならない訳ではないんです。一応、私にも許嫁がいますから」

「春子さんには許嫁がいるのかい?」

「ええ。と云っても、親同士の口約束みたいなもので――酒の席で出た話ですし。私もは父も、それほど気にすることはないと思っているんですが――」

「向こうは違う訳だね」

私は頷いた。
事実だからである。
向こう側は本気で、何度も家に押し掛けて来るのである。
娘の危機を察知したのか母は執拗に榎木津さんとの結婚を奨めてくる。どうやら母は許婚のことを知らされていなかったようで、父と大喧嘩していた。
まあ、最近の悩みの種でもあったのだ。
他のことに気が移っていて忘れていたのだが、今日の学校で芳子が吹聴しているのを聞いて思い出したのだ。
おかげで那三重の機嫌が最大限に悪くなってしまって、話し掛けるのもドキドキだった。

「春ちゃん、その男とは関わらないほうがいい」

「そりゃあ出来ればそうしたいですけど――なんて云ったって、相手の方からやってくるんですもの」

「嫌な男だね」

関口さんはうんうんと頷いた。
何故だか得意げだ。

「なら僕が追い払ってあげよう!」

「ええ、あ、はい」

追い払うって。
そこまでする必要はないと思うけど。

「まあ、春ちゃんも春ちゃんだよ。僕の婚約者になっていればそんな輩に絡まれないのに!」

「そんなこと云われたって、ねえ」

私は関口さんに同意を求めたが、関口さんはああとかううとかしか云わなかった。
どうやら急に振られて焦ったようである。

「大袈裟ですよ、皆。婚約者とか許嫁とか――そこまで気にする事ではないと思うんですが。だって気持ちの問題でしょう?」

「そうだね」

「本人の同意ありきじゃないですか。法律とか、よく分からないですけれど、所詮は口約束ですし。本気にするのなら、証文でも作っておくべきですよ」

だから婚姻届に意味はあるのだと思う。

「じゃあ明日婚姻届に判を捺せば、その許婚とやらは手出しを出来ないね」

榎木津さんはにっこりと笑った。
私は正直――言葉を失った。

「嫌ですよ!」





(色々すっ飛ばして)


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