かぐや姫の帰還


前世。
昔の私は信じていなかった。まず、魂そのものを信じていなかったし、死んだあとのことなんて、死んでみなければ分からない。もっとも、魂があったと仮定すればの話だが。
とにかく、死とは無だ。何もない。
だから私は、恐らくあちらでは死んでいないのだと思う。事故が病気か、とりあえずあちらの私はまだ心臓が動いているはずだ。記憶が受け継がれているという事は、私がまだ続いているという――そういうことではないのか。
ならば何故、私は“生まれたのか”。
それは私が限りなく死に近い状況にあるからではないのか。
あちらの私の命が尽きようとしている。本当ならば心臓が止まって、私は何も知らない私のまま生まれるはずだったのが、何の手違いか、あちらの私は生き長らえてしまった。私はあちらの私のまま、この世界に生まれてしまった。
それならば、話が繋がるのではないか。
――止めよう。馬鹿らしい。

私は9月1日、榎木津さんと会った。恥ずかしい話だが、思いを打ち明けた訳だ。
そして今日は病院に来ている。

「里村、医院」

掛り付けの医師から、紹介してもらった処だ。警察で監察医を勤めるほどの名医だそうだ。
そこは意外と空いていた。名医というから、もっと混んでいると思ったのだが、どうも丁度すいている時間に来てしまったらしい。

「あ」

受け付けを済ませ、座ろうと待合室を見渡した時だ。
見覚えのある顔だった。

「関口さん。こんにちわ」

陰欝な表情で、関口さんは私と目を合わせた。

「春子さん、どうして」

「昨日から頭痛が酷くて。掛り付けの医師にここを紹介してもらったんです」

関口さんはそうか、と呟いて、俯いてしまった。

「関口さんは、どうして此処に? どこか具合でも――?」

「いや、違うんだ。ちょっとした用事で」

関口さんにも色々と事情があるのだろう。関口さんは大きなため息を吐いた。

「ああ、そうだ。関口さんは木場さんを知ってますか?」

「知っているも何も、旦那は戦時中僕の部下だったんだ。旦那がどうかしたのかい」

「実は15日に、人身事故に遭遇してしまって。木場さんに大変お世話になったんです。榎木津さんも知り合いのようだったから、お礼を云ってくれるように頼んだのに、嫌だって云うんです。だから誰か知り合いの方がいらっしゃれば、と」

関口さんはへえ、と唸った。
相変わらず、不思議なしゃべり方をする人だ。私の周りには居なかったタイプで面白い。

「だったら、里村に頼めばいい。彼も旦那と知り合いだから」

「ありがとうございます」

いい人だ。
でも、人によっては嫌いな人も居るかもしれない。

「水崎さん、どうぞ」

看護師が云った。
まだ、この時代は看護婦なのだろうが、ついつい癖で看護師と云ってしまう。まあ、男女差別はないに越したことはない。

「関口さんはいいんですか?」

「僕は患者じゃないから」

本人がそういうのなら、気にしないほうがいい。気にするだけ時間の無駄だ。
私は診察室に移った。

「水崎さんは、頭痛が酷いんだって?」

里村医師は優しそうな人だった。そして、髪が少し後退気味である。
私は里村医師の言葉に頷いた。

「いつ頃から?」

「確か、7月の終わりからだと」

「一ヵ月も放っておいたの? 駄目だよ、すぐに来なくちゃ」

悪い病気だったらどうするの、と里村医師は云った。優しい人だ。

「風邪ではないよね。頭痛持ちじゃあないでしょ? 寝不足――なわけはないか」

何だろうねぇ、と首を傾げる里村医師。
私もつい一緒になって首を傾げてしまった。

「精神的なものかなぁ」

里村医師は私の額に手を当てて「やっぱり熱はないよねえ」と云った。

「今も痛い?」

「いえ、今は痛くないです。でも時々ものすごく痛くて。頭が割れるんじゃないかと思いました」

16日からそれが顕著だったような気がする。
人身事故に遭遇してしまった15日も、確かに頭が痛かったが、それは頭が割れると形容するには到底及ばない。痛くなったのは、そう、気付いてからだ。

「あれ? 君の顔、何処かで」

里村医師はぐいっと顔を近付けてきた。私は思わず頭を後ろに引いてしまったが、里村医師は気分を害したようではなかった。
何処で見たんだろう、と首を傾げ、唸っている里村医師に私は「患者とか」と云った。

「ああ、そうだ。君、先月亡くなった人に似てるんだ」

「それは――怖いですね」

その人の顔を私は知らないから何とも云えないけれど、死んだ人に似た患者が来たら怖いだろう。

「たしか――春子。小沢春子だったかな。ん? 君と同じ名前だね」

「あんまり嬉しくないですね」

まるで、自分が死んだみたいだ。
同じ名前だからか、親近感――亡くなっているのだから、そう云って好いのかわからないのだが――が湧いた。

「うん。よく似ているね。彼女はまだ32でね。君が大きくなるとよく似ていると思うよ」

「先生って変態って云われませんか」

「あれ、何で分かったの」

目を丸くして云う里村医師は変態には見えないが、何となくそう思ってしまった。

「彼女は不思議な人でね。まだ会ったことのない人を愛していると云うんだ。彼女の来世のその来世で出会うらしい」

「不思議、ですね」

嫌な予感がする。
何だか分からないけれど、触れてはいけないような。

「その人は、何時亡くなったんですか」

「確か、7月下旬――20日かな。最期に“やっと出会えた”と云ってね。それが18日の夜。1日半は目を覚まさなくて、20日の9時頃亡くなったよ」

心臓が早鐘を打つのが分かった。
まさか、まさか。
その日は、私の記憶が不意に増えた日だ。そして18日の夜は榎木津さんと出会った日。
その日に云った“やっと出会えた”という言葉。来世の来世――私は前世のことは覚えている。が、その更に前世のことは覚えていない。それが当然だと思っていた。
もし、私がこの世界に生まれたのが偶然ではなかったら。昔の私の前世に呼ばれたのだとしたら。
記憶を、正すために。
頭が割れるほど、ずきずきと痛む。でも、今はその痛みさえ、彼方にあるものだった。

「大丈夫かい。顔、真っ青だけど」

「すみません、大丈夫です。ありがとうございました」

私は何だか怖くなって、立ち上がった。そのまま診察室を出ようとすると、里村医師が「ああ、ちょっと待って」と呼び止めた。

「とりあえず、薬を出しておくから」

「すみません」

ズキズキと痛い。けれど、感覚が麻痺してしまったかのような、ふわふわした気持ちだった。
受け答えも上の空だ。

「薬が効かなかったら、また来て」

はい、というのも一苦労だ。
私は木場さんへの言付けも忘れて、診察室を飛び出した。
入れ違いで関口さんが入る。
私はそんなことにも気付かずに、気持ち悪さを抱えながら待合室に戻った。荷物を纏めて勢い良く里村医院を出る。看護師が――いや受付の人が呼び止めた気がしたが、私は振り返らずに走った。
榎木津さんに会いたかった。
恐怖が迫りくる。
私は私だ。昔の私ではなく今の私だ。前世も来世も関係ない。
私は“水崎春子”だ。
前世なんてどうでもいい。もう帰れなくたっていい。
私が私である確証が欲しかった。
もし昔の私が“小沢春子”の来世であるなら、小沢春子と同じ時代に生まれてしまった私は“小沢春子”なのだろう。
それを仮定ではなく確証とするなら、私は誰だ。小沢春子か、昔の私か、私か。
私はどこにいる。
小沢春子は私の存在を知っていたのだ。未来が読めるのか、それとも私の記憶があるのか。
榎木津さんを愛したという記憶は、小沢春子の物だ。だって私は榎木津さんを愛した訳ではない。榎木津さんを好きなのは確かだけれど、愛していると云えるのかどうか。
榎木津さん、私は此処に居ますか。ちゃんと存在してますか。
それは私ですか。
榎木津さん。
榎木津さん榎木津さん榎木津さん榎木津さん榎木津さん榎木津さん榎木津さん。
私はどの私なの。
過去の記憶が、本当に私の記憶なのか、分からない。
ねぇ、榎木津さん。
私は初めから、かぐや姫ではなかったようです。
だって、既にここは月なのだから。





(かぐや姫の帰還)


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