愛が謎を呼ぶ


女の子にしては、心の強い方だと思う。
虐められても平気だし――というか、いじめは気にしたら負けだ――、虫だって血だって平気だ。
怖いものはないと思っていた。
でも、見付かった。
否が応でも、怖いと思わされた。
電車が、来たのだ。その電車は私の前を通り過ぎることなく止まった。電車の方へと視線を向けた私は、腰を抜かせた。
その日、母の弟――叔父の家までお使いを頼まれた。夏休みで勉強ばかりしている私を懸念した母の気遣いだろう。心優しい叔父のもとで、少しばかりと思ってのんびりしていたら、遅くなってしまったのだ。
私は夏休み直前に出会った榎木津さんの所へ行く以外は、外出などもしなかった。花の十七歳とは掛け離れた生活だが、前世に受験勉強で苦労した記憶もあり、さらに上を目指すため勉強している。
そして、夏休みも終わりに近付いた時だった。
嫌な汗が背筋を流れる。
人が、引かれた。それが事故なのか事件なのかは分からない。でも、引かれたのはまだ幼い少女だ。私は頭が痛くなった。



「私は関係ないです」

にきびが、と呟く少女――楠本頼子さんの言葉を遮って、私は刑事さん――木場さんに云った。

「友達じゃねぇのか」

「違います。偶然巻き込まれただけで――」

何処をどう見たらそうなるのか。私と楠本さんは年齢が3つも離れている。私が童顔だということだろうか。生憎だが、そんなことは云われたことがない。

「すまねぇな。誰かが押したとか自分で飛び降りたとか、見てないか」

「見ていません。私は、電車が止まって初めて気付いたので。――それにしても」

ん、と首を傾げた木場さんと目が合った。眠そうである。
私はそのまま眠そうですね、と云うと、木場さんは頭を掻いた。

「最近面倒な事件があってな」

「そうですか。それは確かに疲れますね。一日座っているだけでも、人間は疲れますからね。面倒な事なら尚更疲れますよね」

私はそう云って椅子から立ち上がった。

「学生か」

木場さんはそう聞いてきた。
私は静かに頷いた。

「神保町の、女学校です」

「そうか。そういやお前ェ、まだ聞いてなかったな。名前は」

「水崎春子です」

春子――、と呟いて、木場さんは俯いてしまった。聞き覚えでも有ったのだろうか。
前世では、子どもに変な名前を付ける親がいた。流石に、変な名前ではないと思う。これで前の彼女と同じ名前だ、とか云われたら、それはそれでショックである。

「神保町の女学校って云ったな。お前ェ、もしかして礼二郎の馬鹿野郎の云ってた“春ちゃん”か?」

「榎木津さんですか? それなら多分私だと」

知らないところで繋がっているものだ。
明日榎木津さんの所へ行って、文句を云おう。そういえば、榎木津さんは中禅寺さんにも言い触らしていた。

「そうか。――お前ェは関係ないんだったな。帰っていいぞ。遅くなっても親御さんが心配するだろう」

優しい人だ。
私は楠本さんを一瞥して、木場さんに背を向けた。確かに、これ以上遅くなると、母の雷が落ちる。
私は木場さんの言葉に甘えて帰ることにした。

「木場さん」

私は振り返らなかった。

「お疲れのようでしたら、榎木津さんの処にいらして下さい」

「何であの馬鹿野郎の処に――」

「疲れた時は友人と騒いでぐっすり寝るのが一番ですから」

私がそう云って足を一歩、前に踏み出した。
気の置けない友人と騒ぐのは、とても楽しくて、疲れなんて忘れてしまうだろう。それから寝れば、ぐっすり眠れること請け合いだ。
保証はしないが。

「お前ェは変わってるな」

「そんなことありません」

踏み出した一歩から、もう一歩がスムーズに出る。足が地面に着く瞬間、どすんと大きな音が聞こえた気がした。
三歩目も実に軽やかだった。

「楠本さんの話を聞いてあげてくださいね」

「おう」

木場さんがそういった時、私は駅員室を出ようとしている処だった。
少しだけ振り返ると、木場さんは椅子の背もたれの辺に腕を乗せて、怠そうに楠本さんの話を聞いていた。相も変わらず、にきびが、と呟く少女に私は嫌悪を抱いた。
嫌な感じがする。
それを気のせいだと思うことにした私は、家へと帰るべくプラットホームに足を向けた。事故の後が生々しく残っていて、何とも薄気味悪い。
確か、引かれた少女は楠本さんの話では柚木加菜子と云ったか。駅の改札の前に立っていた少女だろう。楠本さんと同じ制服を来ていた。
綺麗だった。よく見た訳ではないが、大人びた少女だった。

「榎木津さん」

思わず呟く。
榎木津さんなら、柚木さんがどうしてこんな目にあったのか、分かるかもしれない。そう思った。
でも、それはとても哀しかった。
もし事故ではなく事件だったとしたのなら、榎木津さんは犯人を見たときに、柚木さんを突き落とした映像を視ることになる。
私は、榎木津さんに哀しんで欲しくないのかもしれない。それがどういう感情に起因するものなのか、私はまだ知らないけれど。
プラットホームで電車を待っていると、一人の警察官が近付いてきた。

「目撃者の方ですよね」

「ええ、まぁ」

目撃者などと云われたくは無かった。思い出してしまったのだ。柚木さんが引かれた光景を。
私は目撃したくてしたわけではない。
頭が痛い。
警察官は私が顔を顰めたのに気付いたのか、すみません、と謝った。

「事情聴取は済みましたか」

「ええ」

気の抜けるような顔の男である。間抜けだ。騙され易いに違いない。
あの、と警察官が発した時、ホームに電車が入ってきた。

「すみません。遅くなると家族も心配致しますから」

私は男の言葉を遮って、停車した電車に乗り込んだ。中央線だった。
そういえば、榎木津さんと一緒に中禅寺さんのところへ行った時も中央線を使ったはずだ。あの時のことは大層緊張していて、余り覚えていないのだが、榎木津さんに抱き留められた時、思った以上に顔が近くて我を忘れてしまった。見惚れていたと云ってもいいだろう。
見た目は華奢なのに、意外と逞しかった。西洋人形のように整った顔をしているのに。逞しいなんて反則だ。
電車に揺られ、3週間前に思いを馳せる。
――もう3週間も経ってしまった。夏休みだけで、何回榎木津さんと会っただろう。出無精な私が、どうして榎木津さんの所へ行くのは楽しいのだろうか。

「やめやめ」

誰もいない車両で、独り呟く。
これ以上考えたら、頭がこんがらがりそうだった。私は記憶の事もある。考えなければいけないことが沢山あるのだから、榎木津さんのことを考える前に自分に決着を付けなければ。

――好きになっちゃダメ。

「え?」

今、確かに聞こえた声。脳内に染み渡るように響いていく。
そうだ。好きになってはいけないんだ。
“哀しむから”。
このままの関係を続ければ、きっと榎木津さんに安らぎを求めてしまう。それは今の私にも十分に理解できた。
すると唐突に、記憶が流入してきた。あの記憶だ。
愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい。
止まらない。
そうか。そうだったんだ。
わかった。わかったから。

「もうやめて」

流れ込んでくる記憶に、抗う方法はない。
榎木津さんに頼ってしまうのも、榎木津さんを気にしてしまうのも、全て。

あれは榎木津さんだった。






(愛が謎を呼ぶ)


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