未来を創造

別に。
夏休みだから嵌めを外すこともない。課題が山程あるし、読みたい本が沢山ある。
だから。
私が榎木津さんの家に行く必要性は皆無である。本を買った序でに、ちょっと顔を出すか、という程度の認識だったのだ。今迄は。

「春ちゃんが来ないから暇だったんだ!」

私は何故か榎木津さんに抱き付かれている。まあ、それはいい。
ここで問題なのは、榎木津さんが何故私の家に居るのか、ということと、私がそこまで榎木津さんを放っていたわけではないという事だ。今日は榎木津さんと出会って6日目である。
私が榎木津さんと会っていないのは、昨日と一昨日。つまり2日間だけだ。別に来いとも云われていないので、私に榎木津さんの家へ行く義理もない。
そして今日、榎木津さんは自ら私の家にやってきた。

「私もそれなりに忙しいので」

私はそう云った。
学生の本分は勉学である。ましてや私は母親に中等教育を反対された分、勉強しなくてはいけない。そういうふうに決めたからだ。
私の母親は、意外と教育ママだったようで、満点でないと満足しないのだ。厄介な母親である。

「まあ、春ちゃんに会えたからいいかぁ」

榎木津さんはそう云って、腕を組むと頷いた。美人は何をやっていても様になるものである。本当、羨ましい限りだ。
母が榎木津さんに失礼なことを云わなかっただろうか。父がいるから大丈夫だとは思うが、私の母は気が強い。そして頑固だ。大人しそうな外見で打ち消されているが、嫌われやすい人なのだ。
榎木津さんが何も云わないところを見ると、母とは何も無かったようである。
榎木津さんは父の元上官だが、私の家に着くなり私の部屋に来たようだから、母は内心怒っているかもしれない。何より、榎木津さんとは合わないように思える。

「そんなことより、何か用事でも?」

「先日、春ちゃんが作ったカレーを食べ終えてしまったんだ。和寅に作らせたが春ちゃんみたいに美味しくない」

「つまり何か食べさせろと」

そうだ、と榎木津さんは叫ぶ。
出会って3日目に榎木津さんにはカレーを作った。五人前だ。もうないのだろうか。
成人男性だと2日が限度のようだ。夏だから、残して腹を壊しても困るので、早く食べてもらうに越したことはない。

「とは云っても、今から作るとなると、3時にはなってしまいますけど」

今は2時だ。私は既にお昼を食べ終えているから、作るのには不満もない。あるとしたら、榎木津さんだろう。

「プディングが食べたい!」

「え、嫌ですよ。プリンなんて買ったほうが絶対においしいですよ」

プリンを綺麗に作るのは意外と難しい。きちんと空気を抜かないと“す”が出来てしまう。
それに第一、面倒なのだ。見た目はともかくとして、うまく出来るか分からない。そんなものを榎木津さんに食べさせたくはない。私のプライドの問題だ。

「春ちゃんのプディングが食べたい!」

「じゃあ明日にしませんか。今日は材料もないですから。その代わりに、オムライスを作りますから」

榎木津さんは腕を組んだまま、「オムライスにしよう!」と云った。
プディングの代わりがオムライス。てっきり昼ご飯も食べてきているだろうから、嫌だと云うと思ったのだが、探偵は違ったようだ。成人男性は結構食べるようだし、昼2食くらいは軽いのかもしれない。

「では、先に降りていてください。私は勉強道具を片付けたら行きますから」

勉強の途中に入ってこられたから、ノートやら教科書やらが散乱していて、片付けるのに時間が掛かりそうだった。
神経質なのかもしれない。本棚の本はきちんとジャンル順・作者をあいうえお順・シリーズ順・大きさ順に並べてある。
推理小説の作家事にあいうえお順。それを更にシリーズ順。文庫は文庫、新書は新書で分けてある。小さな本屋である。
わかった、と云って榎木津さんが出ていった扉を眺める。

「何だか、変な感じ」

見覚えがあったような、そんな思いに駆られる。けれど、今日起こったことに見覚えがあるはずはない。
もしかしたら、先日の記憶が増えたことに関係あるのかもしれない。
私は思考を打ち消すように、頭を振った。横にばたばたと一つに結った髪が揺れる。頭はボサボサになってしまっただろう。
わたしはそれも構わずに、勉強道具を簡単に纏めて部屋を出た。
トントンと自分の階段を降りる音を聞いていると、その音に別の音が混ざった。
話し声である。

「あら、いやだわ。私ったらお茶も出さずに」

母の声だ。
普段、はきはきと簡潔に話す母親だ。猫撫で声を聞いたことが無いわけではないが、気味が悪かった。それが榎木津さんに向けられている事は明白だったから、余計に。
声は居間から聞こえた。居間へ足を向けると、その声はどんどん大きくなっていく。
私は居間を覗いた。そこには矢張り、榎木津さんと母、父が居た。父は母の変わりようにオドオドしている。父と母は恋愛結婚だが、母が父に優しくしたことはない。父は素っ気なくされているが、それでも母を愛しているようだ。ヘタレな父親だ。私の家は今時珍しい“かかぁ天下”である。
父がオドオドするのも分かるというものだ。

「父さん、母さん」

「あら、春子」

ちょっとちょっと、と母は近寄ってきて私の耳元で囁いた。あんな好い人どこで見つけてきたの、と。
いやいやいや。見つけてきた訳ではない。向こうからやってきたのだ。しかも好い人って、そんな関係ではない。
勘違いも甚だしい。

「そんなことどうでもいいじゃない」

「良くないわよ。あの人、美形だし、お金の匂いがするのよね」

「鋭いね」

お金の匂いって何、と突っ込みたくなるが、母親にそんなことは出来ない。上下関係がはっきりしているからである。
私は母の肩越しに、榎木津さんを見た。

「待っていたよ」

「どうも。じゃあ作ってきますね」

私はあまり榎木津さんの顔も見ずに、台所に向かった。
今朝取ったばかりの卵を良く洗う。自分の手も良く洗う。私は一度――それも前世でのことだが――サルモネラ菌による食中毒にかかったことがある。あれは辛い。暫くはトイレの住人になってしまったくらいだ。
客人を食中毒にするわけにはいかないので、卵を洗ったあと、しっかりと自分の手も洗う。
良くといた卵に牛乳を入れたものをフライパンに敷く。焼き加減を見ながら包んで出来上がり。
チキンライスは――ケチャップがあったはずだから、それで適当に作ろう。赤ければ気にしないだろうし。

「出来た」

勿論、普通のオムライス。時間が時間だし、やはり簡単なものしか出来ないようだ。
とろとろふわふわ、というわけにはいかないが、それなりに上手く出来たオムライスを落とさないように慎重に運ぶ。

「榎木津さん、出来ましたよ」

居間へ持っていくと、榎木津さんは母と話していた。父はやはり肩身が狭いようだった。

「好い匂いだ!」

「あら春子、料理出来たのね」

「出来るよ、これくらい。学校では調理実習もあるし」

確かに、家で料理をしたことはない。作ってくれるから、作る必要がなかったのだ。わざわざ作ったこともないし。

「春ちゃんは本当に可愛いな」

「あらやだ、榎木津さん。春子がですか。この子ったら親の前でも眉一つ動かさないんですの」

本当、無表情なんだから、と母は呆れたように笑った。無表情になるのは昔からの癖だ。どうしようもないのだ。
最近は少しづつ感情を表に出すようになってきた。榎木津さんの所為である。

「そこがまた可愛いんですよ」

「ふふふ、榎木津さんったらお上手ね。いっそのこと春子を貰ってくれないかしら」

「母さん!」

榎木津さんは、出来たばかりのオムライスを食べている。その表情は笑顔だ。
聞いていたのか聞いていなかったのかは分からないが、美味しそうに食べている。美人は何をやっても様になるものだ、と再び思った。ケチャップでハートを書けば良かった。因みに嫌がらせだ。

「春ちゃんの料理はどれも美味しいな」

「そうですか」

スルーですか。私は大きなため息を吐いた。
何だかちょっとがっかりだ。
何がかは分からないが、少し物悲しいような、そんな感情が沸き上がってきた。

「じゃあ、これからもちょくちょく作りに行きなさいよ」

母は云った。
榎木津さんは応えて云った。

「それがいい!」

ご近所さんだからな、と榎木津さんは云ったが、ご近所なのは学校と榎木津さんの家であって、私の家と榎木津さんの家はご近所ではない。
母は、それを正確に汲み取ったようで「あら、学校の近くなの」と告げた。
母と榎木津さんは似た者同士なのかもしれない。

「それ食べ終わったら帰ってくださいね」

「じゃあ、明日来なさい」

私は今まで一言も喋っていない父を見た。肩を窄めて――本当に肩身が狭いようだった。父と見つめ会う。

「分かりました」

父と目で会話して、私は頷いた。
会話したと云っても、なんて云っているかなんて分からないので、諦めただけだが。
私の言葉に、榎木津さんは笑みを深くした。






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