破壊衝動売り出し中

不思議な少女だったのだ。
その日、榎木津は妙に大人びた少女に出会った。オニキスのような瞳。連山の眉。紅は塗っていないのに、紅く色付いた唇が艶めかしかった。
その少女は榎木津の横を通り過ぎた。
その時、視えたのだ。番号の書かれた板に、文字を打ち込んでいる。その板が何なのか、榎木津には分からない。だが、少女が普通ではないことは分かった。
通り過ぎた一瞬、少女が見せた哀しげな表情が、脳裏にこびり付いた。

「あ! 何だ、その板みたいな奴は!」

その表情を追い払うように、榎木津は叫んだ。振り向いた彼女は、美しかった。



その翌日のことである。
昨日会う約束を取り付けた榎木津は、少女――水崎春子の通う女学校に足を向けた。春子の通う女学校は、榎木津の探偵社の眼と鼻の先にあった。
春子を京極堂のところに連れていくため、服は時間を掛けて選んだ。毎日の事ではあるが。お洒落をしたのがいけなかったのか、女学校に一歩足を踏み入れると、榎木津の周りを女学生がうろつきだした。
ざっと顔触れを見渡すが、その中にはあの冴え渡るような美貌の持ち主は居なかった。まだ約束の時間には早い。榎木津がここに来るのはあの少女にとって予想外であるだろうか。
榎木津が適当に女学生をあしらっていると、いつの間にか女学生の数が倍に増えていた。これでは春子を見つけられないではないか。
そして、その時。

「貴方たち、何をやっているの?」

春子の声だ。
無機質の、感情の籠もっていない冷たい声に、榎木津は驚いた。昨日の様子とは似ても似つかなかった。
きっと春子は周りと壁を作ることでしか自分を守れなかったのだろう。

「春ちゃんじゃないか! 探したぞ。君を迎えに来たんだ!」

榎木津は努めて明るく云った。春子は呆れたようなため息を吐くと、紅色の唇を開いた。

「榎木津さん、約束まではまだ少しありますが」

「春ちゃんを迎えに行った方が早いと思ってね」

榎木津は春子の顔をとっくりと眺めた。
不思議そうに細められた目。白く肌理細かい肌。少しだけ高く形の整った鼻。極めて凡庸な造作なのに、春子は美しい。存在感もあるだろうが、やはりそれだけではない何かがある。
春子は榎木津から目を離すと、群がっていた女学生に遅くなるから帰れと注意した。

「先輩、この方とはどういう関係なんですか?」

「父の友人よ」

春子はそう云った。勿論春子にとっては嘘である。面倒事を避けたかったのだろう。
だが、春子の言葉で榎木津は思い出した。“トマト”だ。
榎木津は初めて春子を見たときから、春子の記憶が視えていた。独りで泣いているのも、父親や母親に叱られるのも、友達に告白されるのも視えた。その中に、見覚えのある顔があった。少し視ただけだったが、その人物は何度も出て来た。榎木津はそれを父親だと考えたのだ。
そして、“トマト”は。
確かトマトの名字は水崎だった気がする。初めて会ったとき、トマトのように顔を赤くしたのでそう名付けた。トマトは怒るときも恥ずかしいときも、一様に赤面した。赤面症という訳ではないらしいが、刺激が多すぎると本人が云っていた。変り者が多いとかなんとか。
春子はトマトの娘だったのだ。そういえば、娘が居ると云っていたような気がしないでもない。
榎木津はそこまで考えて、考えることを放棄した。面倒になったのだ。
春子の傍にいた少女が近寄ってきた。どうも、と云って無邪気そうな笑みを浮かべている。

「誰だ、君は」

「春子の友達ですよ。――ところで、春子とはどういう関係なんですか」

眼の色が変わった。無邪気そうな瞳が、残忍さを含み始めた。
この少女は春子しか見ていない。良くも悪くも、春子が一番なのだ。

「君には関係ないよ」

「私からあの子を奪ったら、許しませんから」

そのほほ笑みは美しい。
だが、春子の美しさとは掛け離れている。

「奪うよ。君が春ちゃんを壊さないうちに」

少女は眉をひそめた。
この少女は何かを壊したいという衝動と何かを慈しみたいという愛情を同時に持っている。それは誰でも同じことなのかも知れないが、この少女は壊すことに躊躇いはない。
同じ人形を少女に2つあげたとする。少女は恐らくどちらか片方を壊し、残った片方を慈しむのだろう。壊された方は縫い目がほつれていたとか、そんな些細な理由で壊されたのかもしれない。だが、少女はきちんと考えた末で取捨選択している。
彼女はそれを人に当てはめる事が出来ない。だから、距離を測っている。慎重に慎重に。春子を壊してしまうのが恐ろしいのだ。
だから傍観者を決め込んでいる。春子が困っていても助けないだろう。助けてくれと云われれば、助けるかもしれないが、春子は云わないだろう。
京極堂とは似ても似つかない傍観者である。京極堂は私情を持ち込まないのだ。けれど少女は、私情故に傍観者となる。世界を壊し新しく作り直す傍観者と、世界を壊したくて目を背けた傍観者。
やはり、似ていない。

「よく、分かっていますね」

「分からないよ。君のことなんかコレっぽっちも」

春子が此方に走ってくる。
何を話しているのか気になる、といった顔だ。春子ならひそみに倣う輩もいるかもしれない。そう思ってしまうくらい、悩ましげな表情だ。

「榎木津さん」

春子は榎木津を呼んだ。隣に榎木津の目の前――春子に背を向けて立っていた少女は一瞬不快感を顕にした。少女は、次の瞬間には何事もなかったように笑いながら振り返った。

「あら、春子。私は無視?」

「無視も何もしてないよ」

春子はそう云って、春子よりも頭1つ分背の高い榎木津を仰ぎ視た。春子は意識していないが、所謂上目遣いという奴である。
春子は気付いていないのか、普通に話している。

「榎木津さん、この子は放っておいて、さっさと用事を済ませましょう」

春子は榎木津の腕を掴むと、有無を言わさず歩きだす。榎木津も文句を云うような雰囲気ではなかった。
少女の視線を感じた。少しだけ目を後ろにやれば、少女は笑っていた。目は笑っていない。驚く程冷ややかな眼をしている。

「榎木津さん、そういえばどこに行くんですか?」

春子は友人のことなど既に頭にはないようで、どこに行くのか分からない不安そうな表情をしている。
榎木津は、春子の心が大体分かる。春子の無表情の奥に隠された感情を少しながら感じることが出来るという程度だが。
榎木津は安心させるように「京極堂は中野だっ」と云い放った。

「中野、ですか」

春子は考え込むように顎に手を当てた。どのようなことを考えているのかまでは榎木津には分からない。
春子はそうですかと呟いた。

「この後の用事はないね?」

「ええ。昨日約束しましたから、予定は入れていません」

榎木津は未だに掴んでいる春子の手を握った。春子は少し戸惑った顔をして、榎木津の手から抜け出した。
それから少し思案して、それは面倒だなぁと呟いた。

「僕が送ってあげよう!」

榎木津が名乗り出るが、春子は一瞥に伏した。うんうんと唸っている。困った、困ったなぁと呟いている。

「――それで、その京極堂さんにはいつ頃着くんですか?」

「春ちゃん、時間はたくさんある。焦らなくていいぞ」

「そうじゃありません。自分がどの辺りにいるのか知りたいだけです」

春子は素っ気なく返した。
榎木津はそんな春子の様子など気にならないようで、ずんずんと神田駅へ向かっていく。
榎木津は云い知れない昂揚感に駆られていた。







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