一緒に、いたいの


何が恐ろしいって、私が生きていることだ。
死ねればいいのに、と思う。戦争では死ねなかった。私の村は徴兵こそされ、帰ってくる者も少なかったが、空襲などにはあっていない。東京とは名ばかりの、寂れた村だ。江戸川沿いの、静かで自然豊かな村なのだ。
私の父は幸いにも復員しているが、地主で自分の畑も多く持っていたため、もし帰ってこなくても十分に生活は出来た。どうして、私は死ねないのか――否、帰れないのか。私は、前世の私は本当に死んでしまったのだろうか。

「不意に記憶が増えるというのはあるのでしょうか」

私は、切り出した。
中禅寺さんは不可解なことを聞くのは慣れているらしく、全く驚いていなかった。羨ましい冷静さである。

「それは、思い出したというものではないのだね」

中禅寺さんは了解したように言った。
分かったのだろうか。あれだけの説明で。

「はい。記憶が同時に二つあるといえばいいでしょうか」

「ふむ」

「兄さん、そんなことってあるの?」

敦子さんは首を傾げている。
私にも、それがよく分からなかった。私が覚えていないのか、それとも本当に私の記憶ではないのか。分からないことだらけだ。元の世界に帰りたいと望めば望むほど、私は色々な問題を抱え込んでいる気がする。
忙殺させるつもりだろうか。

「この世には不思議な事など何もないのだよ」

それは、そうなのだろう。
不思議というものは、人間が見るから不思議なのだ。世界に創造者が居たのだとしたら、その人にとっては不思議な事など何一つありはしないのだ。
物事は起こるべくして起こるのだ。そして、それには――誰が決めたのかは知らないが――起こるタイミングと言うものがある。聖書でも、すべてのことには時があると書いている。
つまりは、私が記憶に齟齬を感じたのも、起こるべくして起こったことなのだ。

「まあ、気にしない方がいいと思うがね」

「――それも、そうですね」

人の分際で、人を管理している脳を世界を疑うというのは、酷く危険だ。それはつまり、私自身を疑っていることになるのだから。

「京極堂、そんなので良い訳ないだろう。春子さんはこうして助けを求めて――」

「関口君、それは君が春子さんの印象から感じ取ったものだろう。事実、春子さんはもう納得している」

榎木津さんは只聞いているのに飽きたのか、私の膝の上に寝転がった。所謂、浪漫である膝枕だ。
私はこの際しげしげと榎木津さんを眺めた。起きている時は兎に角恥ずかしくて眼も合わせられない。今だって、本当に寝ているかは怪しいものだが、取りあえず榎木津さんと見つめ合うことさえしなければ、恥ずかしくも何ともなかった。

「関口君、云っておくがね。僕は憑物落としを頼まれた訳じゃあないんだぜ」

「それはそうだが、京極堂、もっと説明してあげても――」

「君も一々五月蝿いなぁ。僕が春子さんにどう説明しようと、君には関係ないだろう。春子さんが分からなかったというのなら話は別だが」

中禅寺さんはそういうと、今まで本に向いていた視線を、私に向けた。じっと見つめられる。思わず見つめ返すと、寝ていた筈の榎木津さんに顔を凄い勢いで引っ張られた。

「ちょっと、何するんですか。首が痛いじゃないですか」

「春ちゃん、本馬鹿と見つめ合ってはいけない」

榎木津さんが真剣に云うので、私は膝に頭を乗せたままの榎木津さんの額をぴしゃりと叩いた。

「はい。そうですね。起きたのなら退いてくれますか」

適当に返事をすると、榎木津さんは上体を起こして叩かれた額を擦っていた。
何だか可愛くて、笑うと関口さんが「榎さんが素直に云うことを聞くなんて」と云って、榎木津さんのデコピンを食らっていた。関口さんは「敦子君だってそう思うだろう?」と同意を求めていた。

「猿には春ちゃんの良さは分からないさ」

「出会って3日目の榎木津さんが何を云うんですか」

そう云って私は気が付いた。話題が変わっている。
中禅寺さんは、榎木津さんを起こすために私を見つめていたのか。自意識過剰かも知れないが、今現在関口さんの気は榎木津さんに行っている。もしかしたら、中禅寺さんは守ってくれたのかもしれない。
未来を知っていることは、そうそう誰にでも話していい訳ではない。ましてや、関口さんは特に。信じることは無くても、きっと思い悩むだろう。私が変な眼で見られないように、関口さんが思い悩むことがないように。

「中禅寺さん、ありがとうございます」

「何のことだい」

「心当たりが無いのなら、気にしないでください。私が云いたかっただけですから」

中禅寺さんは少し笑ったように見えた。微かな変化だったが、口角が上がったのだ。
中禅寺さんは凄い。一を聞いて十を知る、その頭の回転の速さと洞察力。私は持ち得ないものだ。
榎木津さんと関口さんは、敦子さんを交え未だに言い合っていた。そんな光景に思わず笑うと、三人は弾かれたように私を見た。

「笑わない、冷徹な人なのかと思っていたわ」

「よく云われます」

下級生が困っているのを助けると、決まってそう云われるのだ。友人曰く、そのギャップにころりとハマってしまうらしい。無表情がそうさせるのだろう。
苦笑すると、榎木津さんが「春ちゃんは優しいぞ!」といきなり大声を上げた。

「春ちゃんは優しすぎて、此方が心配してしまうくらいなのだ」

榎木津さんがそう云ったので、私は必死にその言葉を否定した。
いくら何でも心配してしまうくらい優しくはない。落ちていた鉛筆は拾わないし、道で100円見つけたら拾って自分の物にしてしまうし。

「榎木津さん、止めてください」

顔から火が出そうなくらい恥ずかしかった。
そもそも、私の複雑怪奇な事情を知っているとは言え、榎木津さんとは出会って3日目だ。なにが分かるというのだという卑屈な考えも浮かんでくる。

「春ちゃんは気を張りすぎなんだ。さっきだって驚いた顔が凄くかわい――」

私は慌てて榎木津さんの口を塞いだ。取り繕う間もなく、顔が赤くなるのを感じた。顔が熱くて、心臓が騒がしかった。
関口さんと敦子さんは、首を傾げて私と榎木津さんを見比べていた。関口さんが眉をひそめて口を開いた。

「さっきって?」

「何でもないです――っわあっ」

私は榎木津さんの口を塞いでいた手を引っ込めた。舐められたのだ。
その行為に、涙腺が緩むのを感じ、事の原因である榎木津さんを睨んだ。

「可愛いなぁ」

「榎さん、いちゃつくのなら外でやればどうだい」

「いちゃついてなんかいませんっ!」

中禅寺さんは私を見てにやりと笑った。何で私。どうして私。

「春ちゃんは僕のものだ。汚らしい目で見るんじゃない」

中禅寺さんは肩を竦めた。慣れているらしい。
私は榎木津さんに抗議した。

「何時から私は榎木津さんの物になったんですかっ」

「初めからだ」

「ふざけないでください。関口さんも敦子さんも何か云ってくださいよ!」

私が二人を振り返ると、二人はポカンとした表情をしていた。まるで、魂が抜けてしまったかのようだ。
私は首を傾げると二人の顔の前で手を振ってみた。反応はない。

「まったく……」

中禅寺さんはそういうと、パンと手を叩いた。
二人は我に返ると、ごめんと呟いた。

「どうかされたんですか?」

「いや、その――」

「ちょっと驚いてしまったの。クールな人だと思っていたから。それに――」

敦子さんは榎木津さんをちらりと横目で見た。
何かあるらしい。
まあ、確かに彼女の云うことも一理あるのだ。私は関口さん達の前ではあまり表情を変えなかった。それというのも、今日初めて会ったばかりで距離を測りかねていたのだ。
榎木津さんはずけずけと人の心に土足で上がり込んでいくから、余計に戸惑ったのだ。榎木津さんの前に基本的人権はないに等しい。

「私、緊張すると無表情になってしまうんです」

敦子さんは驚いたように「確かに無表情になることもありますよね」と云った。
榎木津さんは何でか知らないけれど、にこにこと笑っている。そしてふてぶてしく私の膝の上に頭を乗せた。今度から膝のレンタル料金でも貰おうか、と考えていると、榎木津さんはすやすやと寝てしまった。
猫みたいな人だと苦笑すると、吊られて皆も苦笑した。
中禅寺さんにはペースを崩されてばかりだが、私はそれが嬉しいのかもしれない。今までのモノクロの視界が鮮やかに色づき始めた。
私は何故だか涙が出て来た。






(一緒に、いたいの)


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