世界を変えてみせましょう


記憶ってそもそも何なのだろう。
人間の臓器できっと一番信用できるのが脳だ。けれどそれは、一番信頼できない臓器でもある。
そんな脳が処理する記憶。果たしてそれは信用できるものなのだろうか。信頼できるものなのだろうか。
記憶を司る海馬は、短期的な記憶しか蓄めておけない。恐らく、テストの一夜漬けがテストを終えると忘れてしまうのも、海馬で記憶しているからだろう。
では、思い出などと呼ばれる古い記憶はどうしているのか。それは寝ている間に脳が処理をしているらしい。海馬から引っ張ってきて、脳に刻み込むといった解釈で間違いはないだろう。
私は脳科学を学んだわけではないので、詳しくは分からない。大方前世の記憶だろうことは明らかである。

「関口さんは、中禅寺さんと知り合いなのですか?」

中野でのことだ。神田から中央線で中野までやってきた。そこで私はふと気になったことがあったのだ。関口さんはやる気なく歩いていたが、一瞬足を止めて私を見た。
私はまだ榎木津さんに掴まれたままである。

「え、ああ。まあ、僕も京極堂も榎さんも同じ高校だったんだ」

成る程。榎木津さんと中禅寺さんと関口さんは同級生、若しくは同窓生なのだろう。
私としては、知り合った経緯が大変気になるところである。

「猿と本屋は僕の一つ下だ」

榎木津さんが云った。
中禅寺さんも関口さんも、榎木津さんより一つ年下なのか。まあ、確かに榎木津さんは黙っていればそれなりに大人の貫禄というものがある。ただ、言動がどうにも幼稚なのだ。
それでこそ、探偵と云うのかもしれない。探偵に必要なものは結果だからだ。榎木津さんは正に結果だけを述べている。だから幼稚だと思ってしまうのかも知れぬ。過程も何も吹っ飛ばして、だからこそ榎木津さんは探偵足りえるのだろう。

「榎木津さんも関口さんも中禅寺さんとは仲がいいんですね」

高校の時の友人と今もしょっちゅう会うなんてことはそうそう無いことだ。
否、職業もあるかも知れぬ。中禅寺さんは本屋だし、関口さんは聞けば小説家だと云うではないか。榎木津さんは云わずもがな、探偵である。時間に捉われない仕事ばかりをこうもチョイス出来るとは、世の中なにがあるか分からないものである。

「そんなことはないと思うけど――」

「こいつらは全く手が掛かるからなッ」

それは榎木津さんの誤解だ。
別に関口さんも中禅寺さんも手が掛かるとは云えない。ましてや中禅寺さんは榎木津さんが居ようと居まいと、平気で古書屋を続けているだろう。関口さんは人に寄り添わなければ生きていけないだけだ。そのくせ人間があまり得意ではないから、手が掛かると思うだけである。
私は京極堂に続く坂――たしか眩暈坂と云ったか――を登った。昨日来た時は気付かなかったが、周りは油土塀である。恐らく墓地か何かだろう。平淡な色が坂の上まで続いていた。

「それは誰だって同じでしょう。人はどうしたって、生きているだけで手が掛かります」

私は思い出したように云った。
周りに気をとられて、どのような話をしていたかも忘れていたのだ。つくづく人の記憶とはあやふやなものである。
京極堂、と書かれた看板が見えてきた。扉には骨休めと書かれた板が下がっている。
だが、榎木津さんと関口さんは慣れているようで、勝手知ったる何とやら。平気で入っていった。

「誰か来ているのかな」

確かに、奥からは話し声が聞こえてきた。誰かは居るようである。
中禅寺さんの奥さん――榎木津さんに紹介してもらった。千鶴子さんと云うらしい――が出てきた。

「気付かなくてすみません。そちらが春子さん? 一昨日榎木津さんから聞きましたの」

千鶴子さんはそういうとにっこりと微笑んだ。昭和の妻だ。良妻だ。女の私でも羨ましくなるような出来た奥さんだ。

「初めまして。水崎春子です」

「春子さん、これからよろしくね」

可愛い。ふわふわしていて、綿菓子のような人だ。
私は千鶴子さんに頭を下げると、榎木津さんに腕を引かれた。びっくりして叫びそうになってしまった。それを呑み込むと、恨みをこめて榎木津さんをにらんだ。

「榎木津さん。せめて声くらい掛けてください。びっくりしたでしょう」

「すまなかった。さあ、春ちゃん。石地蔵はあっちだぞ!」

適当に謝っただけに聞こえなくもない謝罪で一先ず許し、榎木津さんの後を付いて居間に入った。

「敦ちゃんがいたのか!」

榎木津さんがそう云うので、私は榎木津さんの影で見えなかった人を見るために、榎木津さんの背中から顔を出した。
ボーイッシュな女の子だった。歳は私より5くらい年上だろう。綺麗な人だった。

「春ちゃん、この子は其処の石地蔵の妹だ」

「記者をやってます、中禅寺敦子です。よろしくね」

「私は水崎春子と云います。まだ学生で至らぬことも在ると思いますが、どうぞよろしくお願いします」

私がそう告げると、敦子さんはきょとんと目を丸くした。そんな処まで可愛い人は得をしている。中禅寺さんは奥さんも妹さんも美人で羨ましい限りだ。
中禅寺さんが春子さん、と本に目を向けながら口を挾んだ。二つの物事を同時に出来るなんて羨ましい才能である。

「こんな馬鹿娘にそんな丁寧にしなくてもいいんだぜ」

「兄さん!」

「でも、目上の方への礼儀でしょう。それは親兄弟関係ないと思いますが」

私がいつも敬語なのはこれが理由だった。17年しか生きていない私は、関わる人の殆どが年上だ。年下にも敬語で話すときはあるがそれは“お姉様”があるし、もう癖になっているのだ。
敬語で話さないのは、きっと友人くらいだろう。

「敦子、お前も少しは春子さんを見習え」

「そう言えば敦子さんはどんな雑誌の記者をされているんですか?」

私は話題を変えた。気になったことはその場で解決した方がいいに決まっている。
勿論、知らなくていいことまで知りたいとは思わないし、云いたくないのなら深く聞こうとも思わない。

「稀譚月報よ」

「科学雑誌の記者なんですね」

敦子さんは知ってるの、と首を傾げた。
こうみえて私は理系学生だ。理科は大好きだから、忠実にそういうのはチェックしている。

「取りあえず読んでいます」

「取りあえず?」

「ええ。やっぱりまだ分かっていないことが多いなぁ、と思いまして」

60年――半世紀以上経てば分からなかった事も分かるようになるだろう。特にコンピュータの登場は劇的だった。だが、この時代はテレビですら出て来たばかりなのだ。液晶テレビなんて今考えれば信じられない技術だろう。
それを云うわけではないが、簡単に口を滑らせてしまったことに焦りを感じた。
前世もバリバリの理系学生だった私は、今の科学雑誌では物足りなさを感じていた。ニュートンもないし。

「ああ、そうか。春子さんは――」

「おい京極堂。どういうことだよ」

君は何を知っているんだよ、と関口さんは唸った。
そういえば、関口さんには云っていなかった。云おうか――否、無駄に事を荒立てるのは好きではない。

「猿はきゃんきゃん吠えるなぁ」

榎木津さんが呟いた。いつもの調子では無かったため、私は酷く驚いた。

「では、ここで本題に入りたいのですが」

再び話題を変えるようにして、私は中禅寺さんを見た。
中禅寺さんは好きにしたまえ、と云って頁を捲った。






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