予定調和を乱す


あの後、榎木津さんは何故か部屋に籠もってしまった。なぜ。呼ばれた側が待たされるなんて。関口さんが呼びに行かされている。
ここからは、後で聞いた話である。

「榎さん、布団に潜って何しているんですか」

「駄目だ。駄目だ」

「何言っているんですか」

榎さんが自室に戻ったきり、出て来ないので僕が様子を見に行くことになった。ノックをして部屋に入ると、布団を被って何かをブツブツと呟いていた。

「春ちゃんが可愛すぎる」

「そりゃあ、水崎さんは可愛いとは思うけど」

「猿が春ちゃんに色目を使うな!」

色目というよりは、あの年代の少女を見る機会がないから可愛いと思っただけかもしれない。自分でもよく分からないが、彼女はあの年代にしては若干大人びているような気がする。表情が余り揺らがないからかもしれない。
先程、榎さんを待っている間に少し話したが、その考え方も姿勢も、大人のように洗練されたものだった。女学生とは思えない程に深く広く考えている。それでいて知識に偏りが無く、まるで京極堂の話を聞いているのかと思ってしまう程の話術。それは一介の女学生が持ち得るものではない。

「――榎さん、水崎さんは不思議な人だね」

「それは春ちゃんが春ちゃんだからだ」

水崎さんが水崎さん足る所以。水崎さんが不思議なのにはそれなりの理由がある。それが水崎さん足る所以ということは、どういうことなのだろう。

「榎さん?」

「春ちゃんは関君よりも辛い立場にいるんだ」

「水崎さんがかい? そうは見えないけど――でも只大人びている感じではない気もするよ」

「それは春ちゃん自身が話すだろう」

榎さんはそういって、被っていた布団をはねのけた。ビスクドールのように整った顔立ちが、姿を現す。榎さん、と呼ぶと「猿と話す気はない!」と怒鳴られた。

「榎さん、そんなことより僕は榎さんに用事があって――」

「そんなこと知るものか。春ちゃんを呼んでこい」

呼んでこい、と言われても、水崎さんは寅吉と話し込んでいるし、彼女は付き合いきれないといった様子で「呼んできてくれませんか」と僕に言ったのだ。人付き合いの苦手な僕は、それを断ることも出来ずにこうして榎さんの許へ来てしまったのだ。
常に自分が情けないと思う。だが、水崎さんを見ているとそういう風に思わない自分を不思議に思う。

「水崎さんに会いたいんだったら、自分から会いに行けばいいじゃないか」

「駄目だ。春ちゃんは恥ずかしがり屋だからね」

恥ずかしがり屋――? 水崎さんが恥ずかしがり屋、というのはどうにも納得がいかない。彼女は絶えず無表情で、何を考えているのか分からないのだ。そんな彼女が恥ずかしがり屋というのは、意味が分からなかった。

「榎さんは水崎さんと付き合いは長いのかい」

「知り合って3日目だ」

3日目で、どうして水崎さんのことをそんなに分かるのだろうか。というよりも、普通知り合って三日目で女学生を家に呼んだりしない。しかも一方的に招いたりしない。

「――分かったよ。水崎さんを呼んでくるよ」

「猿、春ちゃんを変な目で見るなよ!」

大声で叫ぶ榎さんに、僕ははぁ、と大袈裟に溜め息を吐いた。何故そうも出会って3日目の少女を気に掛けるのか、僕にはまったく分からない。そもそも、分かりたいとも思わないが。
こそこそとまるでゴキブリのように辺りを見回して、水崎さんを探した。思ったより近くに居たようで、呼ぶと直ぐに顔を見せた。どうしたんですか、関口さん、と水崎さんは呼んだ。

「榎さんが――」

「そうですか。分かりました。初めから私が行けばよかったのに、ご迷惑をおかけして申し訳ございません」

申し訳ございません、と言ったところで、彼女はぺこりと頭を下げた。後ろで一つに結ってあるお下げが肩をするりと伝ってぶらんと垂れた。彼女は模範的なお辞儀をしてみせた。
彼女は頭を上げると、無意識なのかずっと硬かった表情が少し和らいでいたように見える。ああ、そうか。付き合いの長さなど関係ないのだ。彼女は3日目にして、既に榎木津のことを受け入れていたのだ。そして榎木津も彼女を受け入れたのだ。

「関口さんはどうぞ座っていてください。私が連れてきますから」

水崎さんはそういうと、榎さんの部屋へと向かった。彼女の後ろ姿は、何故か17の少女にしては凛としていて、若干大人びて見えた。彼女はドアノブに手を掛けると、捻る前に「榎木津さん、入りますよ」と丁寧にも声をかけていた。

「春子さん、ここの近所の女学校に通っているそうで」

寅吉が何も聞いていないのに、そう告げてきた。ぱたん、と音を立てて閉まった扉を眺める。大人びて見えていたが、よくよく見るとまだ幼い顔立ちをしていた彼女が女学生だということは一目で分かった。ここの近所の女学校と言えば、中学から高校までの一貫教育をしている学校のことだろう。冬服が特徴的だったのを覚えている。確か、その女学校の冬服はセーラー服なのだが、紺を基調としていて、襟が綺麗な白、縁から約1センチメートルのところには色鮮やかな赤のラインが通っていて、袖には手首を一周するように真ん中を白いラインが通っていた。

「春子さんはそこで生徒会長をやっているらしいです」

成る程、確かに生徒会長といえば凛としていて大人びた印象がある。水崎さんには生徒会長という役職は似合っている気がした。ただ、水崎さん自身には、その大人びた印象が酷く不釣り合いな物に感じたのだ。

「生徒会長か……すごいな」

自分にはそんな真似到底出来ない。生徒会長なんてやる気力も体力も責任感もないのだ。よくあんな仕事をやれるものだ。生徒会長とは教師の雑用を押しつけられる不幸な役回りだ。委員会の顧問の教師だの何だのに、あの書類を持って来い、あの部の予算はまだか、と何だかんだ言われて、尚且つ成績優秀で人望も無くてはいけない。そんな面倒なことやっていたら、自分だったら胃潰瘍で――否、欝で死んでいたかもしれない。

「何でも、先生方に頼まれて仕方なく引き受けたとか」

「僕だったら投げ出しているよ」

水崎さんは、生徒会長の仕事をたのしんでいるのだろうか。そもそも、生徒会長なんて仕事は好きでなければやってられないだろう。水崎さんは何だかんだ言いつつも、きっと楽しんでいるのだろう。
寅吉は紅茶を注ぐと、溢さないように気を付けながら、僕の目の前に置いた。先生、関口先生、と寅吉は呼び掛ける。僕はそれにゆらゆらと揺れるカップに入った紅茶を見ながら、なんだい、と答えた。

「春子さんの事なんですがね、うちの先生が変なものを見た、と言ってるんですよ。話が出来る板とか何とか――」

「それと水崎さんと、どんな関係が?」

「それが、視たらしいんです。春子さんは、その話が出来る板を持っていたらしいのですよう」

僕にそんな話をして、どうしろと言うのだろう。話の出来る板なんて聞いたことがないし、想像も出来ない。だが、水崎さんが持っていたということは、そこまで珍しいものではないように思う。このご時世、高級志向なんて物は消え去ったし、そんなに金があるのなら経済を立て直せ、といった世論がある。未だに贅沢は敵なのだ。

「それで、関口先生には春子さんにどんなものか聞いていただきたく……」

「僕には無理だよ。水崎さんとろくに話も出来ないんだから」

自分自身に言い聞かせるようだ、と僕は笑った。水崎さんは今の若い子らしく、少し近寄りがたい印象が強い。ただ、その反面、引き寄せられるような感覚も拭えないのだ。蝶が花を求めるような――とでも言うのだろうか。
寅吉はそうですかねえ、と呑気に言い放った。相変わらず間の抜けた男だ。

「榎さん自身に聞いてみればいいじゃないか」

「聞きましたよう。でも、約束だから話せない、って言うんです」

それなのに僕に聞いてこいと言うのか。全く持って有り難迷惑である。出来るはずもない反論をしようと、口を開いたとき、榎さんと水崎さんが出てきた。何やら言い合っている。
僕はそれを見て、言い知れぬ不安に襲われた。





(予定調和を乱す)


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