「松平のとっつぁん」と近藤が呼ぶ男は、お偉いさんには違いないのだが、見た目はどちらかというと世間からはぐれた方向に道を極めた集団にいそうななりをしていた。豪放磊落、義理人情、鉄火肌。そういう言葉が似合う男である。

銀時はまだじかに見たことはないが、この鄙びた村の貧乏道場の前に黒塗りの自動車で乗りつけ、洋装の肩に上等な上衣を羽織り、くわえ煙草で周囲を睥睨しながら降りたって、出迎える近藤に「おう」と頷くさまは、「絶対カタギじゃないよあれ」と門弟が竦みあがったという。

−−いや、あれで家族思いのいいお父さんなんだよ。娘さんのためなら、たとえ火のなか水のなかだよ。

近藤が弁解がましくそう言うのを聞いてから、その娘さんとやらには決して近寄るまいと銀時は思っている。





廊下をにぎやかに笑い声と足音が通り過ぎ、座敷の襖が閉じる。銀時は竈の前でじっとそれを聞いていた。やかんが沸き、湯気があがった。懐から出して伸ばしかけた手が、最後に一度、未練がましく止まった。

あの冬の夜、土方に拾われてから、幸せで豊かな日々だった。まるで子供の頃に戻ったようだった。日が昇り、生活があり、日が沈んでも不安なく眠る。単純で、それゆえに満ち足りた暮らし。こんな幸せが続くわけなんてないと、心のどこかではわかっていた。

−−きっと、逃げても誰も怒りはしないのだろう。

「……なんだ」

銀時は笑った。誰も咎めないとわかっているから逃げたくないし逃げられないのだと、今さら、気づいた。ゆっくりとやかんを下ろし、少し待つ。そう、温度が大事。−−先生はお茶のいれかたにうるさかった。お客に必ず振る舞うものだから、なおざりにしてはいけない。丁寧にいれたお茶は美味しいのですよ、銀時。濁った気持ちでお茶をいれてはなりません。喉を渇かしている遠来のお客に、熱すぎるお茶を出してはなりません。薬を飲んでいるお年寄りにはお茶が毒になることもあります。ほら、手がおろそかになっていますよ。

先生は躾に厳しかったが、とても甘やかしてもくれた。思い出すと胸が苦しくなるくらい。心をすべて預けて寄りかかることができたのは後にも先にも先生だけだ。だから−−戦うことも、殺すことも、平気だった。先生との約束があったから。その約束の重さが今、自分を少しずつ窒息させようとしているのもわかっているけれど、先生のためならかまわなかった。

−−銀時、お前もきっといつか、新しい運命に出逢い、幸せになりたいと思うようになるでしょう。

先生は少し悲しそうな目をした。

−−お前は幸せを恐れるのではないかと、私は心配しています。いいですか銀時、誰憚ることなく、幸せになりなさい。お前にはその価値があるのです。

自分はどう答えたのだったか。

湯気が顔に当たって、銀時は我にかえった。ゆっくりやかんを傾ける。こぽこぽと湯を注ぐ時の音を聞き、茶葉が湯を含んで柔らかくなるのを眺めると、いつも通り気分が落ち着いた。お茶を丁寧にいれるという動作は、銀時にとって、平和で穏やかな日常の象徴のひとつだった。





「おう」

上座にどっかりとあぐらをかいた松平片栗虎は、やはりその一声で銀時と対面した。そしてそれきり、銀時が襖を閉め、茶を出すまで、口を開かなかった。

手が震えるほどではなかったが、緊張していた。近藤と土方がいて、二人とも心配そうに見ていた。

「はー、っくしょい!」

銀時の手が座卓の上を伸び、茶を置こうとした瞬間、松平が大きなくしゃみをした。銀時は飛び上がりそうになったし、実際、茶托がカタンと跳ねて茶をこぼしかけた。

「すまねぇ、すまねぇ」

松平は胴間声で侘び、取り出した扇子でパタパタと胸元を扇いだ。

「涼しくなったせいかちっと風邪ぎみでよ、びっくりさせてすまねぇな兄ちゃん」

「……いえ」

今度こそ手が震えたが、それは笑いを噛み殺しているせいだった。松平もにやりとしたのを、銀時は視界の端で捕らえた。

「とっつぁん、人が悪い」

近藤が歯を見せて笑った。

「改めて。こいつが坂田銀時、紹介が遅くなっちまったが、うちの食客で」

「おう」

松平はまたそう言った。薄い色のついた眼鏡の奥から、遠慮のない視線が向けられるのを、頭を下げながら銀時は感じた。

「松平だ。兄ちゃん、えらく腕が立つそうだが、出身はどっちだ」

かったるそうな口調だが、銀時の答えを待つ気はないようだった。

「あれかな、こないだまで現役ばりばりだったクチかな」

土方が軽く息を飲んだのがわかった。銀時は唇の端を上げて見せた。

「そんなような、もんです」

ふん、と松平は鼻を鳴らした。片手で湯呑みを取り上げ、がぶりと茶を飲んだ。意外そうな顔をする。

「……うまいな」

「……どうも、ありがとうございます」

「ふん、おもしれぇ」

松平はひげ剃り跡の濃い口元を歪めるようにして笑った。湯呑みを茶托に戻し、息を吸った。

「おめぇの話は、さんざ近藤から聞かされてるよ。刀が使えて料理がうまくて愛想がよくって、だけどいまいち正体の掴めねぇ野郎だってな」

「……」

「最初はよぉ、そんなどこの馬の骨かわからん野郎、お上をお護りする任務に着かせられっかって思ったんだがな」

顎を撫でる。

「近藤はてめぇが責任を持つなんて見得を切りやがるし、普段ろくに口をきかねぇトシまで、アレを連れていかねぇと後悔するぜなぁんて脅し文句を垂れやがる。兄ちゃん、よっぽど人をたらすのが得意らしいな」

銀時は苦笑しながら土方を盗み見た。仏頂面で茶をすすっている。

「そういうやつはよ」

松平が、閉じた扇子で卓の角をぽんと打った。

「貴重なんだ」

「はあ」

「こいつら」

扇子を適当に空に泳がせる。

「こいつらは人もいいし元気がよくてまっすぐで、たいへんよろしい。よろしいが、柔軟性に欠ける。そいつは、長い目で見ると、たいへんよろしくない」

「はあ」

「反対側を向いてるようなひねくれ者、っていうのは、ひとりかふたり、いた方がいいのよ。三人じゃ多すぎるがな」

「……」

銀時は俯き、膝のあたりの皺を伸ばした。

「……兄ちゃん」

「はい」

銀時は目を伏せたまま返事をした。

「命を懸けろとは言わねぇ。そういうのはこいつらに任せとけ。−−兄ちゃんに必要なのはたぶん、死なねぇ覚悟だ」

その言葉に胸を衝かれて、銀時は息を止めた。ゆっくりと顔を上げると、半眼になってこちらを見ている松平の目と視線が合った。ややあって、眼鏡の下の目尻がわずかに緩んだ。笑ったのだ。

−−このおっさんこそ、人たらしじゃねぇか。

「おめぇが過去にやったことは問わねぇ。問いたいやつもいるのかも知れねぇが、俺がいいと言ったらいいんだ。……だが、これからのことは別だ。かつての同志だろうがなんだろうが、これから悪さをするならそいつは自分の敵になる、それだけわかっているなら、いい」

扇子で今度は自分の肩を叩きながら、松平はのんびりとした口ぶりで言ったが、その、一見鈍いようにも見える両目は、銀時をずっと見ていた。

「おめぇは今はまだ、生より死に近いところにいる気分なんだろう。それはしょうがねぇ。だがいつまでもそういうわけにはいかねぇぞ。やるからには、死んだやつらに後足で砂かけてやるくらいの気持ちで生きて貰わなきゃならねぇ。……できるか?」

「……」

即答できず斜めに伏せた視線の先に、土方の手があった。窮屈そうに正座して、その腿の上に握りこぶしを載せている。自分よりよほど力が入っているのがわかって、ふっと気が緩んだ。

−−ああ、誰かを失望させたくないという気持ちは、まるで恋のようだ。

不意に、そんなことを思った。

「……まだ、わからない」

土方の手を眺めたまま、銀時は呟いた。はっとして「まだ、わかりません」と言い直すと、松平は手をひらひらさせて「構わん構わん」と言った。

「まだわからんか、そうか」

「……」

銀時は息を吸った。自分の気持ちを言う、というのは、昔からおそろしく難しいことだった。そんな時、先生は素早く銀時の内心を見抜いて、急かしも強いもせず、ただ頭を撫でてくれた。今この瞬間も、先生の手がふわりと頭に降りてくる温もりを、はっきりと感じられた。

「俺は−−結局、やり通すことができなかった」

部屋にいる人間の目が一斉に自分に向くのを感じた。

「俺は国も世界も−−たぶんどうでもいいんだ。俺があそこにいたのはもっとくだらない−−連れに遅れを取りたくねぇとか、やられたからにはやり返したいとか、そういう理由だったんだと思う。だから今も……」

言葉に詰まり、銀時は気恥ずかしくなってちょっと笑った。少しの沈黙のあと、松平が扇子を首に当てて口元を歪め、ふん、と言った。

「腹、すわってるわけじゃねぇ、文句あるか、ってこったな」

「はは」

「笑い事じゃねぇよお」

「すいません」

髪を掻いて頭を下げた。土方はまだ強く手を握りしめている。近藤は多少強張ってはいるが、なんとか笑顔を保っていた。銀時は背筋を伸ばしたまま、頭を垂れていた。ゆっくりと言った。

「また−−やり通せないかも知れない。でも、裏切りはしねぇ。袂を分かつ時はそう言う。それが許せねぇならその時斬るなりなんなりすればいい」

土方がふっと体から力を抜いたのが、わかった。ああよかった、と思いながら、銀時は微笑した。

「それが、今の正直な気持ちです」

うーん、と松平が唸った。そしてすぐ、うん、と何かを断ち切るような声を出した。

「……おめぇの言い分はわかった。とりあえず、茶を入れ換えてくれねぇか、兄ちゃん」

「はい」

銀時は頷き、腿を持ち上げた。それなりに固くなっていたらしく、少し足が痺れていた。





銀時が出ていくと、松平はため息をついて天井を仰いだ。

「……変なやつだなぁ」

近藤は苦笑いした。正直、冷や汗をかいていたのだ。

「ありゃあ、よっぽど肝が太いかよっぽどの馬鹿か、どっちかだな」

そう言いながら、松平は懐を探った。煙草を出してくわえたが、火をつけようとはせず、ぼそぼそと続けた。

「風の噂で、な」

「はい」

「白夜叉ってぇあだ名のやつの話を聞いた」

土方が鋭く顔をあげて松平を注視した。

「めっぽう強くて仲間うちからも畏れられてたっていう、志士だ。−−しばらく前に、ふいっと姿を消したらしい。全身白づくめで、髪も白かったっていうなぁ」

「とっつぁん、それぁ……」

「さぁてな」

松平は近藤に向かってにやりとして見せ、歯に挟んだ煙草を上下させた。

「おもしれぇ。ゆくゆくはおもしろがってもいられなくなるかも知れねぇが、な」

「じゃあ……!」

思わず声をあげた土方を、ふたりは同時に見た。松平はざらざらと顎を撫で、しかめ面をして見せた。

「連れて行かなきゃおめぇらが承知しねぇんだろうが。まぁあれだ、おめぇがしっかり重石になれよ、トシ」

土方が瞬きし、その目に力がこもったのが、近藤にはわかった。土方は唇を引き締めて小さく頷き、それから引っ張られたような笑みを浮かべた。

「なんで俺?」

「ばぁか」

松平はくつくつ笑った。

「おめぇとよく似てるじゃねぇか、あの兄ちゃんは」

「あ、それは俺もそう思う」

顔合わせが済んで安心した近藤は、あぐらをかいて饅頭を食いながら同意した。

「トシ、自分でもそう思うだろう?お前たちは一見まったく逆みたいだけど、よく似てるよ。年頃も同じでウマがあってて、お前も銀時がいると楽しそうだしな」

「……別に楽しくはねぇよ」

「まぁたまた」

「……」

土方はむっすりと腕組みをしたが、近藤には、それが彼なりの照れ隠しだとわかった。近藤が拾うまで人に混じらず野良犬のような暮らしをしていた土方だったが、自分になつき、総悟やミツバと馴染み、無表情だったその顔に、いつの間にか、わかりにくいが周りの人間には隠しきれない豊かな喜怒哀楽が映るようになった。−−特に銀時といる時は、はたから見ればまるで兄弟のような息の合いようで、近藤はほとんど驚嘆するような気持ちで二人を見ている。世の中は絶妙な釣り合いを保って回っているのだなあ、と。

−−そう、だから、トシと銀時のふたりが両輪となって新しい組織を盛り立てていってくれれば、きっとうまくいく。

近藤は直感的にそう思っている。もちろん不安はあった。小さなものから数えればきりがないが、銀時がついこのあいだまで攘夷志士であったということは、不安材料の中でもいちばん重く近藤の胸につかえていた。だがそれも、とっつぁんが後ろ楯になってくれるならだいじょうぶだ。

まもなく銀時が新しいお茶を運んできて、それを飲んだとっつぁんが、生意気に二煎目のいれ方をわかっていやがる、と、怒っているような声で誉めた。涼しい夜で、内心の安堵とも相まって、熱い茶が確かにうまかった。





銀時が松平に面会してまもなく、攘夷勢力は組織的な戦闘を維持することができなくなった。事実上の終戦ではあったが、散り散りになった浪士たちのうちかなりの数の者が、追っ手を逃れた先で小さな群れをつくり、再起を誓って雌伏の時に入った。松平は武装警察組織の設立を急ぐこととなり、彼がかき集めた急ごしらえの「侍」の中に、その他大勢に紛れて銀時の名もあった。そして、その名に目を留めた政府関係者もまた、僅かながら存在したのである。












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