ゴマをから炒りしつつ炊きたての飯にしゃもじを入れているところへ、威勢のいい足音が近づいてきた。近藤だな、と思いながら飯を一口、ひょいと口の中に放りこんだ。熱くて火傷するとわかっていても、炊きあがりを一番に味わうのは飯炊きの権利であり、侵されるべきではないのだ。

「あひ、あひひ」

「銀時ー。お、いい匂い」

土間に降りて来た近藤は頬を緩め、すんすんと空気を嗅いだ。飯を混ぜ終えて、銀時は飛びつくように火にかけたままだった浅鍋に戻って揺すった。危ういところでゴマを焦がさずに済んでほっとし、鍋を火から下ろしながら、近藤に向き直る。

「おーう、もうちょい待ってな。今、米が炊けたから」

「いやいや急がなくていい」

近藤は気軽に言い、茄子の漬け物をつまんだ。ぼりぼりと噛んで、うまいなあと声をあげる。

「うまい?ちょっと塩っ辛いかなと思ったんだけど」

「汗かいてるやつらにゃ、ちょうどいいさ。いやあ、お前はほんと、器用だな」

近藤はうらおもてのない性格だから、そのことばには素直な感嘆以外、含むものはない。銀時にもそれはよくわかっていた。だが、器用だなと評されるとなんとなく首が竦むような思いがした。

「……今日、松平のとっつぁんが来るんだ」

だから、近藤がそう言い出した時、銀時はちょっと上の空で、えっ?と聞き返した。近藤は同じことをもう一度言った。

「ああ、そう」

「うん」

近藤はしっかりと銀時と目を合わせて頷いた。

「来たら、うまい茶を頼む」

「……うん」

「頼むな」

近藤は笑顔をつくり、銀時の肩を叩いた。ああそうか、茶を出すだけじゃないんだ、と銀時は理解した。

「とりあえず昼飯をやっちまうよ。みんな腹すかしてるだろ」

「ああ」

近藤は答えたが、銀時が背を向けても、まだ土間にとどまっていた。何か言い足りないんだろうな、と察しはついたが、間を置いて近藤の口から発せられたのは意外なことばだった。

「みんな、お前のことが好きだからさ、心配することは何もないよ、銀時」

「……」

とっさに返事ができず、銀時は流し場の縁を掴んだ。近藤はうんまあなんだそういうことだ、と一人で照れながら、道場へと戻っていった。





暦は秋になっていた。厳しかった日差しは少しずつ和らいで、夜ともなれば風を肌寒く感じる。

夏からこっち、噂を聞きつけて、近藤の元には、近隣から門弟志願者が集まってきていた。近藤と土方が腕の善し悪しを検分して、眼鏡にかなえば受け入れた。通いもいるが、置いてくれと頼まれれば近藤は駄目だとは言わない。

人数が膨れ上がったぶん、台所事情は当然逼迫している。仕官の話はまだ本決まりではなく、決まりさえすれば支度金が出るんだがなあ、と近藤はここのところしょっちゅうぼやいている。元々さして余裕のなかったところに、よく食べる男たちが何人も転がりこんだのだから無理もない。

なので銀時は、以前にも増して台所にいる時間が多くなった。手伝ってくれる新入りもいるが、おおかたのことは一人でやっている。その方が気楽でいいし、要領を得ないまま手伝われて、貴重な材料を無駄にされても困るのだ。

やっと握れるくらいに冷めた飯に炒りゴマを切り混ぜて、茶碗にふわりと盛り、特製の肉味噌を一匙ぶん真ん中に埋めて、塩を手にまぶす。男の手で握るからどうしても固くなりがちだが、道場の連中は飯もお握りも固めがいいというのが多かった。

幾つか作って、自分も漬け物を一切れかじった。やっぱり塩辛い気がする。お握りにしょっぱい茄子だけじゃあ、なあ。

「あ、そうだそうだ」

昨日、近所の婆ちゃんにこれが今夏最後だからとお裾分けされた胡瓜があった。洗って、味噌とマヨネーズを添えて出してやれば、あいつらはがつがつ食うだろう。

新聞紙の包みをがさがさ開いた。胡瓜は曲がっていたり虫食いがあったりもしたが、まだ水気があってうまそうだ。

鼻歌を歌っていた手が止まったのは、新聞紙の粗い文字が目に入ったからだった。銀時はゆっくりと紙の皺を伸ばした。

『残党狩り各地で進む』

そんな見出しに続いて、追われる身となった攘夷志士たち−−今は浪士と呼ばれるらしいが−−の顛末が、関係者による情報、との但し書きつきで書かれていた。どこどこで首を晒されただの、自棄になって敵陣につっこんで壮絶に散っただの。「有名な」と称されている「残党の首魁」は、どれも銀時の知らない名前で、それに安堵した。ため息をついて新聞紙から顔を上げたが、想いは記憶を呼んだ。

−−ああ、最期にあんたにお目にかかれるとはなぁ。ありがてぇ。

銀時の袂にすがって拝むようにそう言い、息を引き取っていった志士がいた。銀時の父親でもおかしくないような歳の、痩せた男だった。弔う時間もなかったが、せめて景色のいいところにと、丘の上の楡の木の下へと運んだ。彼の体は枯れ木のように軽かった。

−−彼が今の自分を見たら、なんと言うだろう。

そういうことを考え始めたら何もできなくなってしまうから、なるべく、意識の遠い遠い端っこへ追いやって考えないようにしている。ホカホカの飯や、日に干した布団や、明るい笑い声、豊かに実りかけている田んぼ。それらが当たり前のようにある今の暮らしから振り返って、泥と血にまみれて死んでいった彼にかけることばがあるかと聞かれれば、

−−ねぇよなあ。

むしろ言いたいことがあるのは彼の方に違いない。手足を失うこともなく生き延びて、暢気にお握りなどつくり、それにとどまらず今度は幕府側に寝返るのかと、枕元に化けて出て恨み言のひとつも言いたいだろう。

銀時は、自分が生き延びているのは強いからではなく、臆病だからだと知っていた。逃げたのを恥だとは思わない。勝ち目がなけりゃ逃げるが勝ちだ。元から銀時は遊軍扱いで、誰かの生き死にに責任のある身ではなかった。危なくなったらケツまくって逃げろ、と戦友たちにも厳しく言われていた。もっともその裏には、黙っていても目立つ容貌と、いつの間にか誇大に喧伝されていた武勇伝を持つ銀時が、もし晒し首にでもなれば、あとに残る者たちの士気を大きく下げるという理由があった。

−−白夜叉は死んじゃいけねぇんだ。まだ、な。

戦友のひとりが、子供に言い聞かせるような口調でそう言って、髪を撫でたことを思い出す。どうしてだよ、と聞いたら、彼は口元を歪めて笑い、銀時に口づけした。

−−今んとこ、お前が死んでもこっちに得がねぇからよ。

なるほど、と銀時は納得した。そいつは幼馴染みで、初めて寝た相手で、初めて好きだと自覚した相手だった。こいつがそう言うならそうなんだろう、なら死んで敵を喜ばせるのはよそう、と思ったのだった。





はいはいお昼ですよー、と言いながら銀時がでかい盆を運んできて、土方は顔を上げてちらりと彼を見た。すいませんありがとうございますうまそうだなあと野太い声に迎えられて、あってめぇ汚い手で食うんじゃねぇ洗ってこい、ちょっと待て今お茶持ってくっから!などと、叱りつけながらも笑顔で世話を焼いている。おめぇはお母さんか、と思わず苦笑した。

銀時は何往復かして、茶だの皿だのと運び、最後にやれやれという顔をしながら改めて丸盆を持って土方に近づいてきた。

「土方、お待たせ、飯」

「ん」

「わりぃね、いっつも後回しで」

「気にすんな」

土方は散らかしていた卓を片付けた。最近、道場の隅に、仏間で埃をかぶっていた古い小卓を置いて、書き物に使うようにしている。というのも新しい門弟が携えてきた各道場の目録だの身元保証だのをいちいち改め、「上」に送るために新たな一覧を作り、更には各々の稽古の様子を書きつけて今後に役立つようにつくっている覚え書きなど、書類仕事をやる人間が必要で、近藤はそれを土方に任せたのだった。−−俺は大雑把だからさ。トシの方が得意だと思うんだ。

「肩、揉んでやろうか」

卓に皿を載せながら、銀時がからかうように言った。肩をぐるりと回したのを見られていたらしい。土方はむっとした顔をしてみせた。

「オッサンじゃねぇぞ」

「いやあ最近すっかり貫禄が出て」

「うるせぇ。おい、マヨネーズが足りねぇぞ、また」

「十分です」

茶を注ぎながら、銀時は笑った。さっき門弟たちに向けていた顔とは少し違った。上手く言えないが、相手に嫌われないように練習して板についたような、そんな笑い方だと土方は思う。

あの−−夏祭りの夜以来、銀時は遠くなった、と土方は感じていた。もっとも、はた目にはわからないだろう。彼は一見相変わらずへらへらと誰にでも愛想よく、土方にも屈託なさそうにじゃれてくる。台所にばかりいるものだから、新入りの中には銀時を使用人と誤解する者もいたが、本人は間違われても気を悪くせず、「そうそう、だから俺が稽古してなくても気にしないで」などと言って、面倒見よく彼らの世話をしている。総悟も変わらず銀時によく懐いているし、ご近所付き合いもそつがない。

だが、土方はあの夜の銀時の顔を覚えている。心細げで不安そうで、艶かしさと脆さが入り交じって危うかった。唇を押しつけられて思わず振り払った時、銀時はまるで殴られたような顔をして、でも、やっぱりすぐしかたなさそうに笑ったのだった。翌朝にはもう、いつもの顔で、自分がつくった朝飯を食って、マヨネーズのかけ過ぎだと土方をたしなめて笑った。その笑いかたが今の顔と同じだった。歪みのない、どこも痛くも悲しくもない、というような笑顔。夕べの今日でこんな顔はしないだろう、とその時さすがに土方は思った。だが強いてなにかを−−銀時の真意やあの口づけの意味を問いただす気にはなれなかった。−−恐かったのだ。

そしてそれきり、二人ともまるで知らん顔で同じ屋根の下にいる。こうして忙しくなったのは、土方にとってはちょうどいい言い訳になっていた。

「今日、さ」

行儀悪くあぐらをかいた銀時が、声を低めた。その視線の先で、近藤が大口を開けて、門弟たちと笑いあっている。

「あのおっさんが来るから茶を出せ、って」

土方は食事の手をとめた。

「……近藤さんがか」

「ん」

銀時は頷き、腿に頬杖をついた。穏やかな顔をしていた。

「なんだかんだで俺、ろくにご挨拶もしてないからねぇ」

「……ああ」

頭を俯け、頬杖の手で銀色の髪をかき回して、くすっと笑った。

「ま、そういうことだから」

「……」

よいしょ、とかけ声ひとつと共にしなやかに立ち上がり、銀時はぺたぺたと歩いていった。だらしない歩き方なのに、背中は不思議と芯が通ったようにまっすぐだった。





午後の暖かい空気の中へ出て、ミツバはまだまだ眩しい日差しに目を細めた。手庇で空を見上げる。青く澄んだ高い空に、それでもいくらか秋の訪れを感じた。

裏庭に据えた物干しから、気持ちよく乾いた洗濯物を取り込んでいく。よく乾いたこと。明日は総ちゃんも起きられるでしょうから、今日のように晴れたら忘れずにあの子の布団を干さなくては。

「おーい」

おもての方で、男の声がした。はーいととりあえず返事だけして、腕の中の洗濯物を縁側へ積み上げたところへ、銀時が姿をあらわした。

「あら銀さん。すみません、裏へ回らせて」

「いや、勝手に入らせてもらった」

銀時は小さな瓶を抱いていた。薄い琥珀色の中に、白い四角いものが漬け込んであるようだ。

「沖田くん、風邪だって?」

「ええ。おとついから咳をし始めて、夕べ熱を出して。さっきお粥も食べて、だいぶいいみたいですけど」ミツバは座敷の気配を窺った。「銀さんの声に飛んでこないってことは、また寝ちゃったのね」

「それがいいよ、寝れば治るから」

縁側に瓶を載せて、銀時は心配そうに自分も座敷に目をやった。

「これ、大根あめ。夕べつくって、そろそろいい案配だから、よかったら起きたら飲ませてあげて」

「まあ!聞いたことはあったんですけど、初めて見たわ」ミツバは覗きこんだ。「喉にいいんですってね。私がつくるのはしょうが湯ばかりで、総ちゃん飽き飽きしてるんですよ」

「はは、子供はこっちの方が好きかもしれないねぇ」

銀時は言ってから首をすくめた。

「いけね、沖田くんに聞かれたら、子供扱いするなって怒られちまう」

「子供ですから」

ミツバは言った。銀時がにこにこしているのにわずかに甘える気持ちになって、「子供なんです」と繰り返した。懐手をした銀時が、ん?という顔をする。

「……あの子、張り切ってます」

ミツバはたすきを外した。そうすると、力が抜けて楽になるかわりに、がくんと肩が落ちる気がした。銀時と並んで縁側に座ると、洗いあがりの洗濯物の匂いがした。

「私、具体的には何も聞いていませんけれど、総ちゃんは近藤さんについて行くんでしょう。もちろん、それでいいんです。私たちには親もありませんし、いずれあの子は何とかして自分の身を立てなくちゃならないんですから。あの子は頭も悪くないけれど、あの通り、剣を持つのが何より好きですから……」

解いたたすきを手の中で握りしめて、ミツバは言った。庭の隅で、夏の終わりの花が赤く揺れていた。

「私、あの子が周りに恵まれて本当によかったと思ってるんです。私ひとりじゃ男の子はどうしても難しくって」

銀時が少し前屈みになり、うん、と言った。

「だから皆さんによくしてもらって、総ちゃんが元気で幸せなら、それでいいんです。でも……やっぱり時々心配になって」

ここにいない男の横顔が浮かんで、消えた。長い髪に触れた時の、指に心臓があるのではないかと思うような感覚がよみがえる。

「こうやって熱なんて出して、寝てる顔を見ていると、まだまだ子供なんだって、私がついていなくちゃダメだって」

銀時は自分で置いた瓶を手に取り、珍しい物を見るかのように眺めていた。少し眠そうな目が、まぶたの下で左右に揺れた。

−−ああ、違う、きっと、違う。銀さんは違うとわかっている。

ミツバは手を頬に押し当てた。赤面しているのか、血の気が引いているのかわからなかった。銀時が瓶を縁側の上に戻す。そのごとんという音が、からだの中に響いた。

「……」

銀時の唇が、言葉を押し出そうとし、やっぱり飲み込み、やがて困ったように笑うのを、ミツバは見た。その唇から出てきた言葉は、だから、本当に言いたかったことではないのだろうと思った。

「心配だろうねぇ。思い詰めないで、相談するのがいいよ。俺なんか頼りにならないだろうから、あいつにさ」

わかってる、わかってる。ミツバは俯いたまま、何度も頷いた。身の置き所がないような気持ちだった。

自分の不安や寂しさを弟に置き換えて狡く仄めかしたのだということくらい、わかっていた。−−相手もわかったのだということも。

銀時はいつの間にかいなくなっていた。ミツバは彼が置いていった瓶に手を載せてしばらく動かずにいた。やがて、蝉の鳴き声が降るように聞こえてきた。












人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -