−−聞いたかい、あの、道場の近藤さんのとこ、

−−聞いた聞いた、よかったじゃないの。

−−でも寂しいねぇ。みんないい子だからねぇ……。

−−銀さんも一緒に行っちゃうのかねぇ、せっかくここにも馴染んで、いい若い衆が増えたってうちの爺さんも喜んでたのに。





「旦那!」

「お、粋じゃねぇの沖田くん、似合う似合う」

ようやく薄暗くなってきた縁側でうちわを使っていた銀時は、下駄を鳴らして駆けてきた総悟を見て目を細めた。

「新しい浴衣かい?」

「姉上が、もう俺も子供じゃないからって」

麻混らしいパリッとした浴衣の袂を自慢げに持って見せる。白地に薄い線が入った男物に、帯も角帯を前を低めにきりりと着つけて、甘く幼い顔立ちが確かに大人びて見えた。

「誰が、子供じゃないって?」

蚊取り線香に火をつけながら、土方が笑いもせずに茶々を入れた。こちらは昔風の藍染めの浴衣を着ているが、それも、銀時の着た灰色のも、近藤のお下がりだった。

総悟は土方をひとにらみし、銀時の横にすとんと腰かけた。最近、口を開く前に小さく咳払いをするのは、そろそろ声が変わり始めているからだ。

「旦那」

「だからぁ、その旦那、ってのやめない?俺はまだそんなお年じゃねぇのよ」

銀時は鼻を掻いた。ひまな時間に縁側で猫など撫でて昼寝に勤しんでいたら、いつの間にか道場の門弟たちに「旦那」とあだ名されていた。隠居と呼ぶには若いから、ということらしい。

「旦那は旦那じゃねぇですか」

総悟は頓着せずに言い、銀時の肩越しに、奥を窺った。

「……まだ、お客ですかぃ」

「そうみたいだねぇ」

「近藤さん、どうするのかなぁ」

「……」

銀時は総悟を見下ろした。大人びて見えてもまだまだあどけない。つるんとした頬に、素直な不安が浮かんでいた。栗色の髪を梳いてやると、子供扱いするなと言いたげにちょっと唇を尖らせた。

「もしこの話が決まったら、沖田くんはどうすんの」

銀時が聞くと、総悟は背中をしゃんと伸ばした。少し離れたところで畳に寝転がって、土方が聞いていた。

「俺はもちろん、近藤さんについて行きまさぁ。……旦那だって、そうでしょ?」

一瞬、袖をぎゅっと握られた。銀時は答えず、微笑んでまた総悟の頭を撫でた。





近く江戸に新設される武装機関に奉職しないか−−。

その話が、親戚やら知人やら昔やっておいた根回しやら、色々な関わりを巡りめぐって近藤の上に落ちてきた。しかも組織のトップを任せるという。門弟たちも丸ごと抱えてくれるという。

近藤さんは松平なにがしという偉いさんにひどく気に入られているから−−と、土方から聞いた。まず間違いなくこの話、受けるんじゃねぇかな。近藤さんはずっと、これを待ってたんだ−−。

俺は近藤さんに従う、とその時こともなげに土方は言った。お前もそうしろ、とは言わなかったが、鋭い目でしばらく銀時をじっと見ていた。銀時は黙っていた。

答えは、まだ出ていない。





「お役人なんでしょ」

「お客さん?うん、そうだねぇ」

「仕事できねぇんじゃねぇですかね。話がなげぇ」

そうけなす総悟は両手を後ろに突いて、足をぶらぶらさせている。麦茶をいれてやりながら銀時は笑って言った。

「そんなこと言ってもよ、もしかしたら、沖田くんもお役人になるんだよ」

「そうかぁ」

「ゴリも、土方も」

「げ」

ものすごく嫌そうに顔をしかめて、総悟は土方のほうを見た。土方は面倒くさそうにごろりと背を向けてしまったが、姿勢を変えながら一瞬息を詰めたのを、銀時は感じた。本人は認めはしないだろうが、ここのところのきつい稽古がこたえているのだ。昨日はどこかに湿布を貼っていた。土方が言ったわけではないが、においでわかった。

半年ほど寝食を共にして、土方のそういう、意地っ張りで、弱さを見せるのを嫌う見栄坊なところはだいたい理解したつもりだから、銀時はあえて気にかける素振りをしない。今回の話が出てからひっそりと稽古量を増やしたことや、時々、道場にぽつんと居残って考え事に耽っている事も、土方は知られたいと思っていないし、知られていないとも思っているだろう。

表の道を、子供らが嬉しげに歓声を上げながら通り過ぎるのが聞こえた。総悟が耳を立てる仔犬のように首を伸ばす。銀時は笑いかけた。

「ゴリは置いて、そろそろ行こうか。腹も減ったし」

「行きやしょう!俺、射的の賞品総ざらいしてやりてぇんでさ」

「はは。土方、行こうぜ。ゴリも待たねぇでいいって言ってただろ」

うちわでパシンと腰のあたりを叩いてやると、意地っ張りな男はのっそりと起き上がって、ん、と短い返事をよこした。





祭り囃子が夕べの風に乗って聞こえてくる。三人はのんびりと砂利道を歩いた。

小さな農村の常で、例大祭となればほとんど村人が総出でかかる。追い越されたり追い越したりするたびに、暑いねぇ、おや色男が揃って粋だねぇ、なんだよ婆ちゃんも洒落た格好してんじゃねえか、などと軽口まじりの挨拶を交わしながら、煌々と明かりのついた境内を目指した。

軽口を叩くのはもっぱら銀時に任せて、土方は暗くなった足元を眺めて歩いていた。総悟の子供らしい軽い足音が近づいたり遠ざかったりを繰り返していたが、途中で行き合った同じ年頃の子供とよお、と挨拶し、ヨーヨー釣りやろうぜ、俺は射的がやりたいんで、などと言い合っていて、土方は意外に思って振り向いた。総悟は楽しそうに笑っており、白い頬がうっすら上気しているのが見てとれた。

「ああいう顔もするんだねぇ」

足並みを合わせて隣を歩きながら、銀時も総悟を見て、言った。射的なら負けやせん、と言った総悟の声が上擦ったと思ったら、すぐに咳払いが聞こえ、男ふたりで同時にちょっと笑った。

「いっちょまえに声、掠れてやがんなぁ」

「あはは、ものすごい低音のいい声になっちまったらちょっとショックだな」

「それは……ねぇんじゃねえか」

「土方もあの頃だった?声変わり」

「そんなもんだろ、だいたい」

「あれだよな、毛が生え揃うまでひとと風呂入りたくないよな」

くっくっと笑いながら、夜風が乱した髪に手をやる銀時を、土方は見やった。ふと、そうかこいつはあっちも銀髪なのかもしかして、などと胡乱なことを思った。

「そのうちこそこそ自分で下着洗ったりすんのかね。だいじょうぶかな、あいつ姉ちゃんしかいないのに」

「……あいつはだいじょうぶだろうが、」

「そうだよねえミツバがショック受けるよねえこの場合」

へらへらする銀時の頭に軽く平手を張った。





境内に着くと総悟は宣言どおり射的の屋台に張りつき、銀時もここぞとばかりに食べ歩きに行ってしまったので、土方はぶらぶらとそこらを見て回った。誰も彼も笑いさざめき、子供たちはお面を被ってはしゃいでいる。いつもは濃い闇に沈んでいる夜の境内はありったけの明かりを灯されて、まるで別世界だ。

「十四郎さん」

駆り出されて屋台の手伝いをしていたミツバが、土方を見つけて走りよってきた。浴衣にたすき掛けで、眩しいほど白く細い腕が露になっている。

「……からだ、平気か」

土方がぼそりと言うと、ミツバは花のように明るく笑い返した。

「だいじょうぶ。心配しないで。総ちゃんは?」

後れ毛を気にしながら首を伸ばすしぐさが、弟とよく似ていた。

「あっちで遊んでる。友達と一緒みてぇだ」

「あら!そうなの。よかったわ、ふふ」

目を細め、口元に手をやる。ああ女だなと土方は不意に思った。

「ずっとここにいるのか」

ミツバは肩を竦め、土方に近づいた。内緒話をするように口を土方の耳に寄せた。

「花火があがる頃には手が空くと思うわ」

「そうか」

土方は誰にも見られないよう、一瞬ミツバの指を握り、すぐに離した。ミツバが頬を染め、俯く。

「一緒に、見ましょうね」

「……ああ」

微かな笑みを交わした。ミツバはひらりと手を振り、土方は不器用に頷いて見送った。





−−あら、まあ。

ひ、と声が出かかったところで土方がひとりではないことに気づいて口をつぐんだ。つぐんでよかった、と思いながら頭を掻き、片手に持ったままだったべっこう飴を口に押し込んだ。甘いのにどことなくほろ苦い、懐かしい味がする。

「そりゃあカノジョと逢い引きするよなあ。……逢い引きって、へへ」

銀時はもごもごと呟き、こっそりと笑った。遠目にも土方の仏頂面が照れ隠しなのがわかって、これは後で存分に冷やかしてやろうと思う。

「あら銀さん、こんばんは」

「どうもどうも」

「銀さん、たこ焼き食わねぇかい」

「食べる食べる」

平和な祭りの夜が賑やかに更けていく。みんな笑っていて、親切で、自分のような胡散臭いよそ者にもその笑顔を向けてくれる。太っ腹だなあ、と思う。笑顔もたこ焼きも世間話も、みな惜しみなく振る舞われて、気づけば腹も胸もいっぱいになっている。

たぶん−−きちんと働けばきちんと飯が食えて、飯を食って明日のちからにする、その当たり前のことが、彼らを優しくさせているのだと銀時は思う。こういう平坦な暮らしを忘れていた数年間、知らず知らずのうちに身のうちが削られて痩せほそり、がらんどうになっていたのだと、今更のように思い知る。

−−腹へったなあ。

−−なんもねぇよ。

−−わかってるけど、へるもんはへるなあ。

−−口に出しても腹は膨れねぇんだ、黙ってろ。

そんなやり取りをだらだらと、何度しただろう。爆発しそうになる苛立ちを必死に腹の底に押し込めて、なんでもないように笑いさえしながら、何度も。

「……?」

ふと視線を感じ、銀時は振り向いた。子供が三人、てんでにお面をつけて肩をくっつけるようにして立っていた。キツネとおかめとひょっとこだ。さっと鳥肌が立ち、足元の地面がぐにゃぐにゃに歪んだような気がして膝がわらった。

−−銀時、金魚すくいをしよう。……へただなあ、こうやるんだ、そう。……銀時、あっちで綿あめを売ってるぞ。食ったことないのか、お前の頭みたいにふわふわした甘い甘い、

−−おいしいねぇ、これ。お祭りって楽しいねぇ。

−−それはよかったですね。みんなよく働いて平和だから、今年もいいお祭りになったんですよ。ああ、銀時が笑うと幸せな気分になりますね。さあほら手を洗って、……

「銀さん!」

「銀さん、誰かわかる?」

お面の中から、鈴を転がすようなかわいらしい声が聞こえて、我にかえる。三つのお面がくすくす笑い、肩をつつき合ったりぴょんぴょん跳ねたりして、嬉しそうに答えを待っている。銀時はぐいと唇の端を持ち上げた。

「なんだよ、お前らか!こら待てくすぐってやる!」

ときどき道場に遊びにくる、近所の子供たちだった。両手でくすぐる真似をして見せると、キャーと歓声をあげて一斉に逃げる。短い浴衣の裾から伸びた子供の足が、重力を感じていないような軽やかさで走っていく。走っていく。

ドン、と肩に誰かがぶつかった。

「おっと、ごめんよ、銀さん」

「ああ、いや、ごめん」

背中に冷たい汗をかいていた。祭り囃子が遠くなり、近くなり、頭の中をぐるぐると回った。明かりがぼんやりと輪郭をなくし、色と音が判別のつかないかたまりとなって流れ込んでくるような錯覚に襲われた。

−−だいじょうぶか、銀時。

「なんでもねぇよ、暑いなここは」

口に出してはっとする。誰もいないのに、でも今自分は確かに声を聞いて、

「銀さん」

すれ違いかけた顔見知りの奥さんが首を傾げたのを、かろうじて目の端に感じた。

「どうかしたのかい?顔色がよくないよ」

「あ、いやちょっと立ちくらみがね」

「やだよ、いい若いもんが」

「はは」

笑えている。そのことに安堵しながらじゃあねと手をあげ、歩き出した。息が苦しかった。

















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