部屋に戻る前にざっと水を浴びた。頬と二の腕に掠り傷をつくったが、あの人数に−−死んだふたりの他に、三人を捕縛していた−−囲まれてこれで済んだのだから、どうということはなかった。水が染みるのも構わず、土方は丁寧に傷を洗った。

着流しを引っかけて部屋に入ると、文机に肘を突いて待っていた銀時が、感情のない目で見上げてきた。小さな手元用の明かりだけをつけていて、銀時の顔には深い陰影がついていた。唇が動いて、少し掠れた声が「おかえり」と言った。

「……何時から、待ってたんだ」

土方は濡れた髪を拭きながら聞いた。正直、柔らかい照明の光を受けて気だるげにしている銀時の様子に、幾らか心が乱されていた。

「一時間くらい」銀時は後ろの畳に手を突いた。「……疲れたろ。悪かったな、手際が良くなくて」

「……」

土方は少し間を空けて自分も畳に座り、煙草をくわえた。銀時は浴衣に着替えており、今夜は屯所に泊まるんだな、と土方は考えた。

「……もう少し早ければ、死なせなくて済んだのになぁ」

「馬鹿か」土方は煙を吹いた。「生きて捕まえても、どのみち斬った」

「嘘だね」

銀時がやけにきっぱり言い、土方は驚いて横を見た。銀時は一度唇を噛み、そしてふっと笑った。

「お前は斬らなかったよ、たぶん」

「どうして」

「……例えば、あの娘がお前にほんとに惚れてたのを知ってたら。あの娘があんな真似をしたのは、親父さんの昔の戦友が、弟を盾に脅迫めいたことを言ってきたからだとしたら。……あの娘が、お前につれなくされて悲しくてたまらなかったとしたら」

「やめろ」

「ごめん」

銀時はこちらを見ずに、平淡な声で謝った。

実のところ、夕霧の死に顔を見下ろした時、土方の中にもひとつの「もし」が湧いていた。もし−−次の約束をしていたら。ほんのもう少し、情をかけていたら。

女はもしかしたら、賭けをしていたのかも知れなかった。男が約束をくれたら打ち明けよう。くれなかったら裏切りの合図をして、喉を切る−−

想像に過ぎない。

だが、女の虚ろな顔が、一瞬、ミツバのそれと重なって見えたのには我ながら嫌気が差した。夕霧とミツバとは全然似ていない。なのに、同じだ、と思ったのだ。幸せにできないまま死なせた、ということだけで、ふたりの女の死は繋がっていた。それ以外は夏と冬のように違う。

銀時が思い出したように傍らの一升壜の首を掴み、ふたつのグラスに酒を注いだ。

「飲んで、寝ろよ。布団敷いてやる。特別サービスだ」

グラスを受け取った。縁側に向いた障子が、仄かに明るんで見えてくる時間だった。夏の朝は早い。ひとくち酒をあおった銀時がごそごそと立ち上がり、押し入れを開ける。

土方はミツバを抱かなかった。望めば彼女は拒まなかったかも知れない。ただ、土方が臆病だっただけかも知れない。

もし彼女を抱いていたら、なにか変わっただろうか。

くだらないうえに情けないことを考えているな、という自覚はありながら、土方は「もし」をとめられずにいた。

先のことなど思い煩わずにミツバを抱いていたら。もっと早く彼女を江戸に呼んで医者に懸からせていたら。彼女と一緒になっていたら。−−生きていたら。

「……なに考えてんだ、馬鹿馬鹿しい」

土方は低く呟いた。布団を引っ張り出していた銀時が、「なに?」と振り向いた。

「なんでもねぇ」

「そう」

夕霧がよこした、責めるような目つきを思い出した。ミツバがあんなふうに生々しく執着を見せたことは一度もなかった。男女の関係がなかったから。ミツバを愛してはいても、手に入れようとはしなかった。言うなれば、額に飾って大事に眺めていただけだ。

土方は半分ほど空けたグラスを置いて、仰向けに体を倒した。するとシーツを伸ばしていた銀時と目が合った。「ん?」と逆さまの銀時が首を傾げた。

「酔っちまったか?いま、できるからな。あれだ、たまには寝坊して、その眉間のシワ伸ばしなさいよ」

枕をぽんと放って、掛布を広げる。

「布団も煙草くせぇ」

そう笑った銀時が、膝立ちで近づいてきた。土方を真上から覗きこんで、ちょっと目を細めた。

「ぼーっとしてる。ほら、寝ちまえよ」

銀時の目にも声にも、純粋に土方を気遣う温度が溢れていた。不意に、炙られるような焦燥と欲望に突き上げられて、土方は手探りで銀時の手首を掴んだ。引き倒すと、唇と唇の端がぶつかった。銀時が息を飲んだのがわかった。土方は跳ね起きて銀時の身体を捉え、逆にのしかかった。

「ひじかた、」

ひどく頼りない声だった。すぐ下で、灰色がかった瞳が揺れていたが、唇を重ねるまぎわに閉じられた。白い頬を両手で囲い、言葉も抵抗も封じるように口づけた。銀時は反射的に手首に指を食い込ませてきたが、それ以上抗わなかった。苦しげに呼吸を求めて僅かに開いた唇のすきまから舌を滑り込ませると、びくっと震えたが、すぐに体から力を抜いてされるままになった。深く深く舌を絡ませながら、土方は銀時の匂いを吸い込んだ。ふわふわとおさまりの悪い髪が額を撫でる。一度口を離して見つめると、青白いまぶたが上がって、銀時も見返してきた。土方がその瞳の奥を覗きこむと、困惑と、諦めに似たなにかが瞬きと共にゆっくり揺れていて、鋭く胸が痛んだ。

−−お前を傷つけたい。傷つけて、手に入れて、安心したい。

土方は身体を起こし、銀時の腕を引いた。銀時はおとなしく布団に導かれながら、ぽつりと「変な感じ」と言った。

「なにが」

「うん」銀時は向かい合う土方の肩に額を押し当てた。「俺たち、いつそうなってもおかしくなかったけど、もう一生そうならないような気がしてた、みたいな」

ぎゅっと抱き締めると、女とは違うずっしりとした厚みと、骨っぽさを感じたが、それが土方の欲望を削ぐことはなかった。重なった胸から、互いの速い鼓動を聞いた。

「なんでもいい、抱きたい」

銀時の柔らかい耳たぶに唇をつけて土方は囁いた。





土方エロい、と愛撫のさなかに銀時が口走った。こういう時にエロくない男なんているかよ、と、土方は持ち上げた銀時の内腿を甘噛みしながら答えた。

そうじゃなくて。銀時は唾を飲んだ。こうやって下から見上げるとぞくぞくする。怖い。

浴衣をはだけた銀時の肌のあちこちに、土方がつけた唇と歯の跡が、点々と連なって道をつくっている。短い時間のあいだに、土方は銀時の感じやすい場所を既にいくつか発見した。うなじ、肩関節と鎖骨がぶつかるあたり、あばらのすきま、へそ。それらのひとつひとつを見つけるたびに土方は獰猛な興奮を覚えた。舐めて吸い、歯を立てる。その跡を指でなぞる。銀時が時おりあげる喘ぎ声が、土方の背筋を震わせていた。

もっと、声、出せよ。銀時が恥じたように手で口を覆ってしまったのが不満で、土方はそう注文をつけた。銀時が、外に聞こえるだろ、と睨むが、溶けかけた氷のように目を潤ませているものだから、迫力がない。その目尻に舌先で触れ、手の蓋を外させて口づけをした。身体が重なって、互いの濡れた性器が擦れ合った。男どうしなんだな、と当たり前のことを意識したが、それに萎えることはなく、むしろ煽られて腰を動かした。絡まった舌のあいだで、銀時が呻いた。塗りつけるように唾液を混じらせ、啜った。

息が上がった銀時が、土方の胸から腹へ手を這わせ、固い隆起に触れた。土方は漏れかけた声を詰めた。銀時は親指やてのひらを淫靡に動かしながら、入れたい?と聞いた。快感をこらえて土方が頷くと、わかった、ちょっと待って、と目を閉じた。

銀時が足を開き、自分の奥まった場所に正確に指をあてがって差し込み、ゆるゆると抜き差しするのを、土方は見下ろした。非現実的な光景だったが、同時に、ああこいつはそうなんだろうと納得もした。銀時は慣れているのを隠そうともせず、微かに眉を寄せながらも当然のように二本目の指を捩じ込んだ。そして目を開けて挑戦的に土方を見上げた。こんな俺はいやか、と言っているようだった。

答えるかわりに訊ねた。気持ちいいのか、それ。声が上擦っていた。

銀時は唇を緩めた。うん。気持ちいい場所があるんだ。指じゃ届かないけど。別に、気ぃ遣わなくていいから、お前がいいように動いていいよ。俺は−−正直に言うけど、お前に入れられるって考えただけで、今すごく興奮してる。

その告白で脊髄が痺れた。土方がのしかかろうとすると、銀時はそれを押し留めて、肘を突いた四つん這いの姿勢になった。かまわなかった。流れた体液で濡れ、銀時自身が行った前戯で綻んだ小さな開口部に、さっきから痛みを覚えるほど勃起しているものの先端を押し込んだ。

銀時が喉を潰されたような声をあげたのが聞こえたが、気にかける余裕もなかった。そこはきつく、先端がめり込むと締め付けてきて痛かった。銀時の腰を掴み、身体を丸めて、土方は喘ぎながら少しずつ銀時の中に侵入していった。亀頭が納まったところで、目の下のグロテスクな結合のさまに無理なんじゃないかと腰が引けかけたが、読み取ったように銀時がだいじょうぶ、と言った。好きにしていいよ、俺はそんな簡単には壊れねぇから。それを証明しようとするように、銀時は何度も深呼吸し、力を抜こうとしていた。その呼吸に合わせて挿入していくと、内部は少し広く、緩やかに蠕動しているのが感じられた。それでも、ようやくだいたいを納めることができた時には、土方は身体中に汗をかいていたし、銀時も涙と涎でシーツを濡らしていた。

ぐったりと上半身を落とし、肩で喘いでいるその銀時の姿を見下ろして、土方は放心した。俺もこうしたかったんだ、と、口には出さぬまま語りかけていた。ずっとお前を欲していた。喉がひりひりするような欲望だった。いつからそうだったのかよくわからない。−−性的に求めることを禁忌としていたミツバの存在と表裏一体に、光と影のようにそれは分かちがたく、俺は長いことお前に狂っていた。だけど、俺たちがこうなることをためらわせる不文律があって、ふたりとも恐れていたんだな。まるで、俺たちが結びつくと天罰が下るのではないかというような、そんな−−

「土方……?」

不安そうな銀時の声に、我に返った。銀時は首をねじって、気遣うように見上げていた。濡れた目が、穏やかなのに不安定で、土方が後悔していないかどうかを計っているようだった。

「銀時」

土方が呼ぶと、銀時の目はふっと凪いだ。無理やりに銀時を抱き寄せて、唇を合わせた。舌を擦り合わせながら、不自由に腰を使う。銀時が息を荒げ、呼応して動き始めた。

銀時の熱い内部が蠢いて控えめな収縮を繰り返し、自分を快楽に導こうとするのを感じた。動くたびにふたりで様々な音を立てた。筋肉のぶつかり合う音や濡れた粘膜の音、シーツに皮膚が擦れ、喘ぎ、息づかいが乱れた。

「ごめん、もう、いきたい」

やがて銀時が切なげに囁き、身体を起こして体重を預けてきた。受け止めてあぐらをかいた土方の上で、銀時は巧みに腰を振った。後ろ向きのまま片方の腕を振り上げて土方の首を抱き、片手はもどかしげに自分のものを扱いた。土方は手を添えてやり、好きにさせた。何度か押し殺した声をあげて銀時が達し、小刻みに痙攣した。

肉の輪で結合部を絞られて暴発しそうになったが、銀時の顔を見ながらいきたいと思い、土方は、まだ息の整わない銀時を仰向けに押し倒した。身体の中を捻られて銀時はのけ反ったが、すぐに土方の背に腕を回してきた。絶頂に向かって激しく動きながら、土方は銀時を見つめていた。緩んだ眉間や半ば開いて喘ぐ唇が、いつまでも見ていたいほど愛しかった。

「土方、いい?」

虚ろな目で瞬きしながら、銀時は聞いた。

「すげぇ、いい。……っ、出すぞ」

銀時は頷いてしがみついてきた。彼の喉仏に歯を立てて、土方は上り詰めた。尻が締まり、尿道が灼けるように熱くなった。呻きながらシーツを握り締め、土方は、自分が長く多く射精しているのを感じた。やがて、腰を挟んで膝を立てていた銀時の脚が、力をなくしてシーツに伸びていった。荒く浅い呼吸をしながら、土方はまた、銀時を見つめた。今までとまったく違って見える、と思った。沸騰していた頭がゆっくりと理性を取り戻し、銀時を抱いたことを実感する。−−俺はこいつを抱いた。こいつをこじ開けて中に入り、蹂躙して刻みつけた。ずっとしたかったことをした。これからのことなどわからない。今はただこうしてぐったりと脱力したまま、離れずにいたい。なにも考えずに。

「銀時」

そういったすべての混沌を込めて呼ぶと、銀時は土方の肩やうなじを撫でながら「うん」と答えた。

「銀時、……銀時」

「うん、だいじょうぶだ。お前は、だいじょうぶだから」

疲れの滲んだ声で、銀時は静かに何度も繰り返した。部屋は早朝の青に満たされて、まるで水の底にいるようだった。土方は腕の中に銀時を引き寄せ、普段より更に乱れた銀色の髪に鼻を埋めた。いつもの甘ったるい匂いの奥に、汗と体臭の混ざった、いつもは感じない銀時の匂いがした。銀時が土方の体に腕を回し、「おやすみ、土方」と囁いた。おやすみ、と照れくさく思いながら土方は呟いた。離すまいと思っていたのに、昼前に目覚めた時、銀時はいなかった。












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