真選組とほぼ同時期に設立された警察機関に、見廻組がある。どちらも、江戸の公的機関がいっせいに刷新された時期に新設されたもので、組織の歴史が同じ長さであることに裏があるわけではない。だが、捜査対象がしばしば重なること、自分たちが文字通りの武力で対抗勢力に当たり、頻繁に犠牲を出しているのに対し、見廻組は、その手柄を横からさらっていったり、やっとの思いで押さえた証拠を葬るよう口出ししてきたりと、権力者の威光を笠に着た活動が目立ち、真選組内部からは大いに不満を持たれている。こちらが煙たがればあちらもいい顔をしないのは当然で、二つの組織は互いに「狗」「使い走り」と陰口を叩きあう間柄だった。

見廻組局長佐々木異三郎は、純白の隊服の裾を気にしながら、馴染みの料亭「やな瀬」の玄関に立った。先刻まで晴れていた空が急に暗くなったと思ったら激しい夕立ちになった。くるまから降りて磨かれた敷石を歩く僅かなあいだに、傘からはみ出した肩と裾がわずかに濡れた。出迎えた女将が拭くものを持って来させようとするのを、佐々木は断った。

「お見えになっているかな」

「はい。いつもの通りですわ。お声をかけて参りましょうか」

「いや、けっこう」

佐々木は案内も断り、一人で奥へと向かった。贅沢なつくりで、廊下から座敷の声は聞こえないし、仲居たちが客同士が顔を合わせることのないように気をきかせる。磨かれて艶の出た廊下を、佐々木は摺り足で進んだ。いつもの部屋の前で立ち止まり、声をかけると、面倒くさそうな返事があった。

「入りますよ」

襖を開くと、室内は明かりが落とされ、隅に置かれた行灯がぼんやり灯っているだけだった。部屋の真ん中に置かれたどっしりとした座卓に肘を突いて、銀時が丸窓の方を見ていた。手酌で飲みながら、雨を眺めていたらしい。

「お済みですか」

佐々木が聞くと、銀時はくすりと笑った。服の上に片袖を外した着流しを巻きつけたいつもの格好だが、事情を知っている佐々木の目には、今はより着崩れているように見える。銀時は銚子を持ち上げ、手首を傾けて透明の酒を注いだ。

「つつがなく」

とぼけた顔で言いながら、腕を伸ばして佐々木の分も注いだ。佐々木は座卓を挟んで向かいに座り、しゃれた膳にあつらえられた猪口に、形ばかり口をつけた。朝顔を象った箸置きを見て、ああ夏か、とふと思った。

「先方は」

「あっちで寝てるよ」

顎で適当に指して、銀時はつまみを口に運んだ。自分の膳を見るに、何かのぬたのようだ。しゃくしゃくと食いながら、「薄すぎる」と銀時は文句を言った。

「確かここの料理長は京都の名店から引き抜いた一流のはずですが、坂田さんのお口に合いませんか」

「肉体労働の後はしょっぱいもんが欲しいのよ。……んで」

「ええ。あ、ついでに幾つか野暮用を持ってきたのですが」

佐々木は書類入れを覗いた。

「来月に予定している、合同研修会の名簿」

「それは土方くんに送って」

「わかりました。では、先日の御前演習の報告書は」

「それもあっち」

「はあ。やっぱり」

箸の尻でこめかみを掻きながら、銀時は苦笑を浮かべた。

「わかってるくせに、なんで聞くの?嫌味?」

「心外な。最近土方さんはますます忙しくしておられるようだから、あなたも少しは雑務を分担なさっているかも、などと思った私が馬鹿でした」

銀時はひょいと肩をすくめた。

「すみませんね。俺は副長っていっても名ばかりなんで。実務的なことはこれからも向こうにお願いします」

「……それでいいんですか、坂田さん」

銀時は上目遣いで佐々木を見た。それからぐいと猪口を呷り、唇を歪めた。

「本題」

「わかりました」

佐々木は書類を戻し、片眼鏡の位置を微調整した。もうひとつの書類入れを開く。

「どうぞ」

ぺらりと座卓を滑らせた紙に、銀時は猪口片手に目を走らせた。いつも半分閉じているような目が一瞬開き、また眠たげにまぶたが重くなる。

「……世の中には物好きがたくさんいるんだな」

というのが銀時の感想だった。銀時が目にしているのは幾つかの名前や組織の羅列に過ぎないが、どれも重要人物であることには違いなかった。官僚、政治家、実業家。ああ、と佐々木は思い出して言った。

「一番上の名前を消すのを忘れていました。彼は先日視察旅行先で客死しましたよ」

「気の毒に」

「まったく」

「口ばっかり」

「感情を表に出さないのが習い性になっていまして」

銀時は呆れたように首を動かしたが返事はせず、指ですうっと名前の列を縦になぞり、やがてため息をついた。

「土方くんも、相変わらず人気があるなあ」

「……」

佐々木も、銀時の指が止まった場所に目をやった。真選組副長、土方十四郎。

「とは言え彼の名前はいまだかなり下位ですから。連中も、狙いやすい敵に必死ですよ。……第一、土方さんに万一のことがあれば、あなた方は草の根分けても相手を殲滅するでしょうし」

「警察官の暗殺は割に合わねぇか」

「当然です。そうでなければ、誰もこんな仕事しやしません。こっちが割に合わない」

「そりゃそうだ」

銀時はようやく顔を上げて苦笑いし、今度は湯葉刺しらしいものにわさびを載せて口に放りこんだ。

要警戒要人リスト、と紙には記されている。つまりは暗殺対象者が列記されているのだが、そうやって並べられるとただの記号だった。どこの攘夷浪士が誰を討ちたがっているか。佐々木は、真選組よりそういう情報を得やすい場所にいる。

「ひどくなってきたな」

「はい?」

「雨」

「ああ、そうですね」

佐々木は丸窓を見やった。俯きかげんの銀時の横顔が映っている。鼻筋がすっきりとしていて、色が白いのが、濡れたガラス越しでもわかる。どことなく繊細で儚げに見えた。

佐々木が銀時に初めて会ったのも、この料亭だった。ちょうど一年ほど前のことだ。それは佐々木のひどい失態というべきで、手洗いに行って戻る部屋を間違えたのだった。部屋は静かだった。芸妓のひとりもおらず、座卓の陰で、洋装の男が誰かを組み敷いていた。佐々木は「失礼」と呟いてすぐ出て行こうとしたのだが、意外なことに、男の下からこれも男の声が、「あ、あんた、見廻組のなんとか」と言ったのだ。

−−あなたは真選組の、坂田さん。

−−よく知ってんね。会ったことあったっけ?

−−ありませんが、書類でお顔を拝見しました。

−−俺も俺も。

洋装の男の下から這い出してきた銀時は着ているものがあちこち乱れたまま、人懐っこく話しかけてきたが、場に漂う気まずい空気に、頭を掻いて照れ笑いした。洋装の男は背を向けて黙っていたが、佐々木は彼の素性に気づいていた。警察庁の人間だった。

「やっぱり、俺の名前はないんだよね。真選組で載ってるのは土方くんだけ」

銀時がリストを返してよこし、佐々木は窓から向き直った。ガラス越しではない実体の銀時には、それほど線の細い感じはない。佐々木は彼の剥き出しの右腕に巻かれた包帯を見つめた。

「……かすり傷と聞きましたが」

「まあね」

「相手は命を狙っていたと?」

「っていうか」銀時は箸を置き、後ろに手を突いて天井を仰いだ。「誰が俺の正体をばらしてくれちゃったのかなあって」

「……あなたが潜入するのはそろそろ限界だということでは」

「土方くんもそう言ってたけど」

銀時はつまらなそうに鼻の下を伸ばして見せた。

「わかるんだよ、実際に潜ってたのは俺なんだから。連中ははじめはなんにも知らなかった。明らかに誰かに吹き込まれたんだよ、俺がネズミだって。空気が変わったもん」

「そうですか」

「うん」

子供っぽく頷いて、銀時は横目で佐々木をじっと見た。

「最近、高杉と会った?」

「……連絡は取りました。が、あなたの話はしていないし、あちらも匂わせもしませんでした。嘘じゃありませんよ」

「そっか」銀時はあっさり答えた。「まあ、違うだろうなあ。あいつは……あんな素人集団をけしかけたりしない、と思う」

銀時がそのかつての戦友を語る時、いつも奇妙な余韻を残すのを佐々木は感じていたが、その理由については考えないようにしている。自分が考える必要のないことだと思うからだ。

佐々木は眼鏡に手をやった。

「あちらの……背後にいる誰かが、余計な気を回した可能性はありますよ」

「かもね」

「これを機に、副長らしく適度に表に出たらどうです。あなたはそもそもネズミ役をやるには毛色が違い過ぎる」

銀時ははっきりしない唸り声をあげながら、ばたりと後ろに倒れた。着流しの袖がふわりと舞い、ゆっくりと畳に広がる。佐々木は不意に気になった。

「放っておいていいんですか」

「ん?」

「お連れ」

「いいよいいよ、酔ってっから起きねぇよ、どうせ」

片手をひらひらさせて笑う。

一年前の出会いのあと、佐々木は、銀時と相手の男との関係について、「脅されてでもいるのですか」と尋ねてみた。銀時は驚いたように笑って、「自由恋愛」と答えた。ただ、密告はしないでよね。ばれたらお店が困るからさ。料理屋であんなことしちゃいけないんだよね。

−−わかってるなら、よそで会えばいいのでは。

−−そうなんだけどさ。あそこが一番いいんだよ。店に入るとこ見られても怪しまれないし、向こうも堂々と護衛つきで来られるし。

−−本当に恋愛なんですか?

−−野暮なこと聞くね。

銀時はいつもの眠そうな目で、遠くを見ながらそう言った。佐々木はなぜか、その目を無理やり自分に向けたいような気分になった。

−−本気で好きなわけじゃないんでしょう。腹いせですか。

銀時がちょっと唇を曲げた。

−−だったら、なに。

−−本命に振られたとか?

当てずっぽうだったが、意外と核心を突いたらしい。銀時は息を吸い、そして笑った。笑うのが下手くそだな、とその時佐々木は思った。

あれから一年、銀時は定期的に男と会い続けているし、なんとなく、他にも相手がいるのかも知れない、と思わせる気配もある。一度だけ、銀時がぽろりと漏らしたことがある。

−−自分でもかっこ悪いと思うけどよ。昔から、ちょっと参ったなあって思うと、そっちに走っちゃうの、俺。だらしねぇよなあ。

それは見廻組と真選組の幹部が集まった合同会議の休憩時間のことで、銀時の「相手」が後で会議に顔を出すことを話題にした佐々木への返答で、「やっぱり、こういう場で顔を合わせちゃうような相手はだめだよな」と苦笑混じりに続いたのだが、そう言いながら、銀時の半分閉じた目は、離れた所で打ち合わせをしている近藤や土方を見ていた。土方が手元に目を落とした瞬間銀時の視線も釣られたように動いたので、佐々木はぼんやりとながら、ああ、と思った。

−−思っただけだ。

「あなたの名前がどの辺りで囁かれているのか、気にかけておきますよ。私は真選組のファンですから、なるべく皆さんには欠けずに元気でいていただきたい」

「けっ」

銀時は行儀悪く鼻で笑い、腕で頭を支えて佐々木を見上げた。

「おためごかしはいいからさ、できればそっちももうちょっと腹くくって仕事してくれませんかね。俺もそろそろ楽したいんで」

「失礼な。我々は我々の仕事に日々粛々と精励しておりますよ。−−あなた方にはできない種類の仕事を」

「へえ、知らなかった」

銀時は小憎らしい表情で笑っている。佐々木は書類をしまいながらため息をついて見せた。

「坂田さん、いずれにせよ身辺は少しずつ綺麗にしておいた方がいいですよ。つまらないことで身を滅ぼしたくないでしょう、あなただって」

「へいへい」

銀時が腹に力を入れて起き上がり、ゆらゆらと体を前後に揺らしながら、にやにやと作り笑いをして佐々木を見た。

「そしたら、あんたが相手してくれんの?」

佐々木は立ち上がり、意識して冷たい目で見下ろした。

「人をからかうものじゃありませんよ」

銀時は人を食った表情はそのままに、ひどく素直に悪りぃ、とひとこと言った。一瞬、互いに何かを飲み込んだようなもどかしい沈黙が落ちたが、佐々木はすぐに踵を返した。襖を閉めながら、元通り座卓に肘を突き、雨音に耳を傾ける銀時の気だるげな横顔を見た。












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