ギャアギャアと、不吉な声が響いている。赤と黒の絵の具を混ぜて流したような夕空には、黒い凶鳥の群れが騒ぎながら羽ばたき、ぐるぐると頭上を旋回していた。

死体の腐肉を狙うカラスたちは、たいていは敵であり、稀に味方になった。カラスに導かれて打ち捨てられた死体を見つけ、同じカラスの攻撃をよけながら死体の懐を探る。その機械的な繰り返しが、もうどのくらい続いているのか、日にちを数える術を持たない子鬼は知らない。ただ汚れて硬くなった手で目についた死人の持ち物を剥ぎ、雨露を凌げる場所を探して短い眠りを貪る。それだけだ。

そんなある日の夕方、やはりカラスが低く飛ぶ空の下に突然ひとりの人が現れて、小鬼を拾い、人里に連れ帰った。





銀ちゃん!と大きな声で呼ばれて、はっと目を開けた。全身にべったりと寝汗をかいていた。

「あー、ああ、神楽か。おはよう」

とっさに出した声が大人の自分の響きで、おかしな気がした。さっきまで見ていた夢の中で、自分は小さな子供だったから。

首を持ち上げて見ると、半分ほど開いた襖から、明るい橙色の頭がひょっこりと覗いていた。

「銀ちゃん魘されてたヨ。あとおはようじゃないネ、何時だと思ってるアルか」

口では文句を言いながら、青い大きな瞳が心配そうに見つめている。銀時は縺れた髪に手を突っ込みながらあくびをして見せた。

「おめぇが食いすぎてとうとう腹がはち切れる夢を見てたんだよ」

「心配ご無用ネ。私の胃袋は宇宙アル」

へいへい、宇宙っつうかブラックホールだけどな、と呟きながら布団をはね除けると、青い瞳は安心したように瞬きした。少女らしいすんなりとした身体が、ぴょんと跳ねて襖から離れ、軽い足音が台所へ向かった。

「卵かけご飯食べたいアル」

「ウチはレストランじゃありません」

「いたいけな女の子を空腹で放り出すアルか」

炊飯器の蓋を開ける音がした。

「いたいけってどこの毛だ」

銀時は笑いながらぼやき、頭を反らせて時計を見た。昼近い。そういえば朝早く一度目が覚めたのに、非番を幸い二度寝を決めこんだのだった。二度寝をするとたいていろくな夢を見ないものだ。

汗で張りついた寝巻きの甚平を脱ぎ、着替えて布団を直すと、少し気分が落ち着いた。天気がいい。今からでも布団を干すべきかどうか少し悩み、結局まあいいか明日にしようと口の中で呟きながら襖を開けた。

居間のテーブルでは、神楽が卵かけご飯を掻きこんでいた。この少女はいつも全力で飯を食うのだ。

ひょんなことから銀時と半同居している神楽は、地球の人間ではない。遠い宇宙からやってきた、夜兎と呼ばれる種族の天人だ。まだ少女だが恐ろしく強く、おまけに尋常ではない食欲を持っている。出稼ぎにはるばる地球まで密航してきて、夜兎族ならではの戦闘能力を素性のよろしくない組織の連中に利用されていたところを、組織と攘夷浪士との繋がりを追っていた銀時が拾った。行くあてのない彼女は普段はここに暮らし、銀時が仕事で家を空けるような時は、銀時に懐いてくれている見習い隊士の実家に預けている。

「銀ちゃんも食べる?」

小動物を思わせる頬を思いきり膨らませて卵かけご飯を咀嚼しながら、神楽は銀時を見上げた。

「お前を見てるだけで腹いっぱいになっちまう」

「そんな繊細なタマかヨ」

唇についた米粒をぺろりと舐め、神楽は空になった茶碗を片手に、炊飯器をガコンと開けた。口に詰めこんだご飯を飲みこみ、銀時を見ずに言った。

「怪我した?」

「ん?」

「なんとなく、血のにおいがするネ」

銀時はテーブルに肘をついた。

「お前は鋭いな」

「ウチで寝てたってことは、大した怪我じゃないんダロ」

憎らしいものを痛めつけるかのようにご飯を茶碗に盛り上げながら、神楽は口を尖らせた。

「ああ、擦り傷だ擦り傷」

神楽は自分を納得させるように、しかつめらしく数度頷いた。

「まあ、銀ちゃんも仕事だからな」

「おう」

なんとなくくすぐったい気持ちになり、銀時は立って冷蔵庫を覗きに行った。棚の奥にしっぽがしなびかけているたくあんを発見したので切ってやると、神楽は歓声をあげた。

たくあんをおかずに新たな一杯を食べ始めた神楽を、銀時は茶を飲みながらぼんやりと眺めた。彼女はたしか十四だ。まだ子供っぽい顔つきと、未成熟な手足を持ち、毎日を無心に生きながら、掴んだ銀時の袖を離すまいというようにまとわりついてくる。それは決して不快ではなかったが、時々、銀時を不安にさせる。

−−あんまりかわいがるな。別れる時がつらくなる。

神楽より幾つか幼い年の頃、拾った子猫の飼い主探しに走り回っている銀時に、幼馴染みのひとりがそう言ったことがあった。ただの猫なら野良のまま餌をやってもよかっただろうが、そいつは事故か病気か、後ろ足が一本麻痺していたので、近所の子供たちを巻き込んで貰い手を探すことにしたのだった。きれいな黒猫で、銀時が当座の名前を「クロ」とつけると、幼馴染みは嫌そうな顔をした。

−−名前なんてよせ。情が移る。

その通りだった。あまり幸せではない思い出だ。抱いていると温かくて、かわいくて、いつまでも見て、撫でていたかった。そういう執着は、自分を不幸にするのだと、その時銀時は知った。

「銀ちゃん、パチンコにでも行ってこいヨ」

「ん?」

神楽は仕上げとばかりに、茶碗の飯に薄い茶を注いでいる。たくあんを口に放りこみ、気持ち良い勢いで茶漬けを啜ってから言った。

「そんなしけた顔してるくらいなら、パアッと遊んできた方がいいネ。パチンコでも吉原でも」

「ガキが気ぃ遣ってんじゃねぇよ」

銀時は笑った。神楽は鼻息を立て、ずずずともう一口啜った。

「仕事、ヘマしたわけじゃないんダロ?新八、そんなこと言ってなかった」

新八というのが、神楽の面倒をみている見習い隊士の名前だ。

「まあな。銀さんが下手こくわけねぇだろ」

「のわりにはしょっぱい顔ネ。もてなくて天パで足くさいからって、そうヒカンするなヨ」

うるせぇよと神楽の頭を軽く張って、銀時はようやく喉のつかえが降りたような気がした。彼女は小さな頃に母をなくし、仕事で宇宙を飛び回る父とは離ればなれ、兄とも長く音信不通だという。それでも、彼女には絶望に押し潰された子供の、拗ねた暗さがない。その強さが、銀時には時々眩しかった。





住み始めた頃、この街の適当さ、一見排他的に見えてなんでも飲み込む懐の深さに驚いた。もちろん、その懐の深さはそのまま暗闇につながっていて、沈んだきり浮き上がれない多くの落伍者をも底なしに腹に飲んで知らん顔をしているのが歌舞伎町の歌舞伎町たる所以だが、それはそれで、銀時はこの街が嫌いではない。

銀時は自分の正確な生まれ年も、出生地も、親の顔も知らない。もしかすると、知らないのではなく記憶の奥に封じ込めたのかもしれないが、今さら掘り返す気もない。そのせいばかりではないだろうが、どこにいても何をしても、いつも少し尻の収まりが悪いような気分を味わいながら生きている。腰を据えようとした場所はどれも、ちょっとはみ出したりちょっと余ったり、時には、落ち着いたと思ったとたんに座布団を引っこ抜かれたり、そんなことの繰り返しだった。

だからきっとこの街が居心地がいいのだ。ここだってそうぴったりと尻にはまったわけではないが、少なくとも、はまっていないと指さして笑うような暇人はいない。代わりに、余りがあるならこれを敷けとゴザの切れ端をくれるおせっかいなら何人もいる。

「おや銀時、ごゆっくりだねぇ」

玄関から短い外廊下を経て、途中で折れる階段を地面まで下りたところで出くわしたくわえ煙草の老女も、そういう、ゴザをよこした人間のひとりだ。スナックを営むお登勢という女で、歌舞伎町の顔役である。

「顔色が良くないねぇ」

店の前に打ち水をしながら、こちらをちらりと見ただけで、お登勢は言った。柄杓から撒かれる水がキラキラと小さな放物線を描き、乾いたアスファルトを濡らしていく。

「疲れてんだよ」

ふん、とお登勢は鼻で笑い、曲げていた腰を伸ばした。痩せたきつい顔をしている。この浮沈の激しい街で、さほど流行ってもいないが閑古鳥が鳴いているほどでもないスナックを長年続けている女は、その気になればそれなりの威圧感を醸し出す。

「あんた、泣く子も黙るお上のお務めに就いてるわりにゃ、だんだんしょぼくれていくじゃないかえ。もうちょっとしゃっきりしたらどうなんだい」

くわえていた煙草を指に挟んで、ふうと煙を吐いた。梅雨明けの重い熱気に、薄い煙が飲まれて消える。

「あいにく、こちとら肩で風切って歩くようなお役目じゃないんでね」

銀時は顎を掻いた。お登勢は舌打ちし、骨ばった手で、白髪の筋が混じった髪を撫でつけた。

「そんな顔しなきゃならないお務めなら、早めに見切りをつけた方がいいね。あんた、ひとり者で気楽なつもりでいるかも知れないけれど、神楽の保護者なんだからねぇ」

「へいへい」

苦笑いで歩きだそうとした銀時の背に、少し刺を緩めた声がかかった。

「あとでお寄り。旨い塩辛を貰ったから、ひと壜持っておいき」

そいつは楽しみだ。

−−あんた、ただのプー太郎じゃないね。事情をきちんと聞いてからじゃないと、部屋は貸さないよ。看板?ありゃあ昔の店子がかけたもんだ。取っ払うのもただじゃないからそのまんまにしてるのさ。……まあ座ったらどうだい。いい若いもんが腹減らした犬みたいな顔してさ。飲み屋だからしょっぱいつまみしかないけどね。

初めて会った日、そう言って食わせてくれた冷やっこに葱と一緒に載っていた塩辛がべらぼうに旨かったのを、銀時は覚えている。





昼間は静かな歓楽街の片隅に、銀時が贔屓にしている甘味処がある。売りは善哉だが、夏場はソフトクリームの模型が店頭にでんと置かれる。銀時も「ソフトひとつ」と注文した。

「暑いね」

「ほんと、じりじりくるなぁ。今日はソフト売れるだろ」

「はは、まだ時間が早いや。子供たちが学校帰りに買い食いしてくれなきゃ」

顔も声も枯れた初老の店主からソフトクリームを受け取って、銀時は店先のベンチに腰を下ろした。ぐるぐると巻かれた艶やかなクリームをてっぺんからぱくりといくと、ひんやりと甘く口の中に溶ける。ここのクリームは少し粗く、氷の粒の舌触りが残るのがいいのだ。うめぇ、と思わず声が出た。

「お前はまた、そのようなものを嬉しげに食いおって。隙だらけだぞ」

路地から音もなく現れた男がそう言い、ベンチの横に立った。墨染めの法衣を着けて網笠を深くかぶっている。托鉢の僧侶に見えなくもない−−が、背中に届くつやつやとした黒髪が、違和感を与える。

「お前こそ相変わらず暑苦しいな、ヅラ」

「ヅラじゃない桂だ」

「はいはい。お前、ちゃんと飯食ってるか?声に張りがねぇぞ」

銀時は垂れたクリームを舐め、隣の男を見上げた。格好はうさんくさいが、面差しはキリリと締まってまっすぐ前を向いている。その頑固な潔癖さが、彼の長所で、短所でもあると銀時は思っている。

「お前は」

かつての戦友は無表情に言った。

「また太ったのではないか?肩が丸い」

「失礼な」

午後の早い時間で、通りは閑散としていたが、それでも、夜の仕事なのだろう若い女が、たった今寝床を抜け出しましたというようななりでコンビニに入っていったり、サラリーマンが忌々しげにネクタイを緩めながら歩き過ぎたりした。ソフトクリームを食い終わった銀時は、腿に肘を突き、手に顎を載せて、ぼんやりとその風景を眺めた。もう慣れたが、江戸は自分が子供時代を過ごした場所とは余りにも違う。いい悪いではない。ただ、違うのだ。隣の男もきっとそう考えているのだろう。しばらく無言だった。

「……捕り物でねぐらを空けていたようだな」

やがて桂がそう言って、銀時は瞬きした。

「ああ。用でもあったか」

「用があるのはお前じゃないのか」

桂の口調には、微かに皮肉がこもっていた。

「……お前に同志を裏切れなんて頼みやしねぇよ、安心しろ」

その声は、我ながら物憂く響いた。暑いせいだろう。

「ただな、ヅラ」

銀時はだらりと手をおろし、地面にできた自分の影を見た。

「お偉いさん御用達のどこだかのクラブを爆破する計画は、やめとけ」

「……」

墨染めの袖が、視界の隅でちょっと揺れた。銀時は笑った。

「これは別に俺が転向したとかそういうことじゃなくてよ、巻き添えを出して余計な恨みを買うようなやり方は賢くねぇよ、ヅラ。……お前だってわかってんだろ」

時代も街も、人も変わる。地面に落ちる影が伸び縮みするように、中身が同じものであっても在り方は変わっていくのが、むしろ当たり前なのだ。

「……忠告か」

「おせっかいだよ」

「そうか。……では、俺からもひとつおせっかいを焼いておこう。お前、尾けられているぞ。仲間に」

「……」

銀時はベンチに両手を突き、空を仰いだ。ちぎれたような雲が幾つも浮いている。遥か上空を、飛行船が一隻ゆっくりと横切っていく。いや、ゆっくりに見えてきっととても速く飛んでいるのだろう。物事はいつも、目に見えるままではない。明るい星ほど寿命が尽きかけているように。あんなに青く見えても海の水に色がついているわけではないように。

「計画は中止させよう」

桂は言った。

「こうも早々とお前にばれているようでは、確かに我々もやり方を考えねばならんな」

「地道にやれ、地道に」

「お前が言うな」

桂は小さな笑い声を残し、出てきた路地へと消えた。銀時はなおもしばらくのあいだ空を見上げ、そういえば昼も星は出ているのだ、と思った。明るくて見えないだけで。












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