学生土銀




グラスのなかで氷のキューブが崩れ、カラン、と涼しい音がした。俺のは麦茶だが、坂田はコーラがいいと言って聞かず、俺は近くのコンビニまでパシらされた。このじめじめした曇り空の下を。坂田は誰に対してもわがままだし傍若無人だが、俺には特にそうである気がする。

「俺はね、別に、そんないいガッコ行こうとか思ってないわけ。だからさ、そういう生徒にはそれなりの扱いをして欲しいわけ。なんで俺とお前が同じ内容のテストを受けなきゃならないのだ?」

「同じ高校だからだろ」

麦茶のグラスを掴んだら、グラスが汗をかいていて、危うく滑りかけた。坂田はストローでコーラをずずずと啜っている。そう、彼はストローも要求し、おかげで俺は、勝手のわからない台所を、罪のないお袋を罵りながら掻き回すはめになった。彼によれば、「コーラにストローがないなんてありえねー」んだそうだ。

確かに成績順位では、坂田は俺より少しだけ後ろにいる。極端なのだ。国語や世界史では、俺が及びもつかない点数を叩きだすくせに、微積分や物理になると、どうしたらこの回答になるんだ?というような不可解な迷路にはまり込む。たまに手を貸して引っ張り出してやろうと試みるのだが、そのたび坂田はいつも、「なんでやりたくもないことを、お前に教えられなきゃならないの?」ってな顔で唇を尖らせる。

小学校は隣だったが中学からは一緒になり、高校も同じになった。そして今、坂田は「このご時世だから大学くらい行っとかないとアレだけど、ウチは余裕ねぇから国公立じゃないと困るんだよね」という理由で、やっぱり俺と同じ大学を第一志望に挙げている。こないだの模試では、まぁもうちょっと無理すりゃなんとかならないこともない、くらいにはなっていた。こいつはいわゆる「本番に強い」、または「火事場の馬鹿力が人の倍は出せる」タイプだから、俺は楽観している。きっと一緒にあの馬鹿でかいキャンパスを歩いたり、学食で飯を食ったり、図書館でレポートを書いたりできるだろう。俺がレポートの下調べをする横で、坂田は居眠りをしているかも知れない。柔らかそうな銀髪をテーブルに押し付けて、幸せそうに寝息を立てて。−−

想像すると、それは、とても幸福な光景に思えた。彼が窮屈だと嫌う制服も、面倒な校則ももうない。きっと坂田は常に楽な格好しかしないだろう。半分寝ているような緩んだ顔で、好きな講義ばかり選んで、後から単位のやりくりに苦労する。こいつは間違いなくそういうやつだ。

「できた」

ぐいと差し出されたプリントは、案の定、迷路の袋小路に突き当たって突破を諦めたとしか思えない内容だった。

「…できてねぇよな、これ」

「知らねぇよ、もう無理ー。お前ね、まずは頑張りを誉めなさいよ。よしよし良くやったねって頭のひとつも撫でてから、どこがどうできてないのかわかりやすーく説明しなさいよ」

言いながら、本当に頭を差し出してくる。馬鹿だろ、お前馬鹿だろ、と俺は心の中だけで坂田を罵倒した。片思いの相手と家に二人きり、しかも相手は暑い暑いと制服の上を脱いで、ボタンを外したポロシャツからくっきりした鎖骨やほどよく筋張った二の腕を見せて、女だったら全面的に、もうパーフェクトに、誘っているとしか思えないシチュエーションだ。なのに俺は、小難しい応用問題をしかめつらしく眺めている顔を作って、ふわふわした天然パーマの頭をわざと乱暴に押しやることくらいしかできない。理不尽だ。俺に無邪気に甘えかかったり、無防備にじゃれついてきたりする坂田に、本心なんてひとかけらも見せることができない。

「知ってる?お妙も志望校、おんなじなんだって」

「…志村?」

「そう」

坂田はストローをくわえたままコクンと頷いた。俺の頭の中で、小さい音で警報が鳴る。自己申告に反して、坂田はそこそこもてるのだ。自慢じゃないが、俺は中一からずっと、こいつひとすじなんだ。横からかっさらわれちゃたまらない。

とは言え、とは言えだ。俺が男でこいつも男で、と昔の青春映画みたいなセリフを思い浮かべては、頭を掻きむしりたくなる。どうすりゃいいんだ、この難題。数式や化学式を解く方がよっぽどラクだ。その分の学力を失ってもいいから、俺と坂田は最高の組み合わせだ、と証明できる式を見つけたい。

「あっついなぁ。コーラ、おかわり」

「自分でやれ」

「アイスある?」

「買って来い」

「土方ぁ」

「はい、残念。またおんなじとこ間違えてる」

坂田がうにゃあと変な声を出してテーブルに突っ伏した。いつだって触れる距離にあるのに、触れられないきれいな髪。切なくて泣ける。

窓に吊した古めかしい風鈴がチリチリ鳴った。

「お、いい風」

坂田が少し顔を持ち上げた。目を細め、更に胸元を寛げる。その、思いのほか白い横顔が、柔らかく笑った。どうしてだろう、俺は郷愁めいたものを感じた。

−−難しく考えるなよ。風まかせで、いいんだよ。

どこからか、そんな声を聞いた気がした。都合のよいことに。

風鈴はまだ緩やかに揺れている。きれいな音と、坂田。俺は何かを書き留めたいような気持ちになったが、プリントの端で、シャーペンの芯が不粋にもポキンと折れた。










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