昼間のうすら寒い街中を巡回していると、色々なことを、考えるともなく考えてしまう。街にはあらゆる類の人間がいる。それが普通と言えばそれまでだが、あまり楽しそうな顔は見ない。寒さも手伝ってか、皆、マフラーに口元までうずめ、肩を竦めるようにして足早に歩いてゆく。中には、隊服姿の俺を見て、眉をひそめたり、よけるそぶりをする者さえいる。角を曲がって路地に入ると、着ぶくれた学校帰りの子供たちのひとかたまりが、からっ風に逆らうように大声を出して走っていった。ガキどもには、この国の現状を憂える必要などない。それでいい。が、俺たちが道を誤れば、そのしっぺ返しを食らうのは、そのガキどもなのだ、しかし、

「あー危ないですよー、そこのマヨヤニ野郎ー」

「うおっ」

とぼけた声が聞こえたかと思うや、いきなり鼻先をかすめるようにして、何かが地面に落下した。金属音を立てて歩道に跳ね返ったそれは、見れば、脅すように尖った歯を剥いた、小型のノコギリだった。声の主は見なくても分かっていたが、はぁ、と息をつきながら一応目を上げてみた。思った通りニヤニヤ笑いのヤツと目が合う。くそ。

「…狙ったよな?今、確実に狙ったよな、殺す気だったよな?」

屋根の縁から顔を出した万事屋は、銀髪をなびかせてニヤッとした。

「やだなぁ、人聞きの悪いこと言わないでくれる?俺がそんなことするわけないじゃん、お巡りさんの命を狙うなんてそんな」

「てめぇ降りて来いやコノヤロー、とりあえず上から人を見下ろすのやめろ」

「おーよく見えんなぁ多串くんの頭がよ。あ、十円ハゲみっけ」

「…!」

反射的に頭に手をやった俺を見て、万事屋はゲラゲラ笑った。畜生。

「ふざけんなてめぇ、逮捕するぞ」

「まあまあ、そうカッカすんなよ。うわーひでぇツラしてんな、クマできてんぜクマ」

「……」

俺はまぶたを強く押さえた。−−そうだった。夕べは急な捕物で、ほとんど寝ていない。俺は仕事には不平不満はないが、捕物の後の、屯所全体が殺気立ち、そこかしこに血生臭さがたちこめているような雰囲気には、どうも馴染めない。だから、仮眠もそこそこに、こうして逃げ出してきたのだ。

そんな自分をせせら笑う声がする。とっくに骨の髄まで血に染まっているくせに、と。……いや、染まっているからこそ嫌うのか。

「宮仕えは大変そうだなオイ。俺は死んでもやだけどね」

万事屋はからかうように嫌味ったらしく言った。目が合う。やつのいつも眠そうな眼がゆっくりと細められ、瞬きした。彼は言った。

「やだねぇ、おっかねぇ顔しちゃって。…ちょっと、上がってきな。俺も一休みすっからよ」

やつは顎で適当な角度を指した。いかにもがたつきそうなハシゴが、危なっかしく地面から屋根に引っかけられていた。

「勤務中だ」

「あー、こえーの?」

「怖くねぇ!」

−−畜生。



登ってみた屋根の上は、存外眺めがよかった。このあたりは割に古い家屋が多いから、さほど視界を遮られることもない。冬の色をした薄曇りの空が、やけに広く見える。尻の下で、冷えた瓦がざらざらした。

「さみーな」

「なあ、風が強いだろ、意外と。下にいちゃ分かんねぇのにな」

万事屋はそう言い、後で倍返しなどとセコくつけ加えつつ、水筒から渋茶を注いでくれた。こんなの、チロルチョコ一個で充分三倍返しになるんじゃねぇか、と思いながら啜ったら、熱くて旨かった。万事屋がたらたらと愚痴をこぼす。

「腹減ったなあ。金ねぇなぁ。あー公務員の皆さんはいいよなー。あれ、ボーナスとか出ちゃってんじゃねぇの?うらやましー。俺なんて年すら越せないよ、おしるこの餅なししか食えないよこのままじゃ」

「そのかわり、てめぇは自由気ままにふわっふわしてんじゃねぇか。その髪みてぇによ。楽しそうだなオイ」

「ヘッ、…そうか、なるほどね」

万事屋は短く笑った。鼻の頭が少し赤い。

「諦めな、多串くん。おめぇはそっちを選んだんだからよ。そろそろ潔く諦めな」

「…なんの話だ」

茶の湯気が顎を湿らせる。半分も飲んでいないのに、万事屋はさっさと手を伸ばして茶を奪い、おーあったけーと顔を緩ませた。

「あれだよ、諦めったって、いい意味でだからね。取り違えんなよ」

「いい意味で諦めるって、なんだよ。適当なこと言ってんじゃねぇよ」

「いやいや」

ニヤリと笑うやつの顔は、腹は立つのに、なぜか嫌いになれない。笑い方に、他人を安心させる何かの秘密があるのかも知れない。が、やっぱり腹は立つ。

「俺なんか、自由と無法のきわっきわを歩いてるからね。だからこその楽しさだからね。まぁ、たいてい無法の方に傾くんだけどね」

「それは自白という解釈でいいのか」

「違いますー。これは独り言ですー。とにかく、おめぇはそうじゃない道を選んだんだから、ちょっとやそっとじゃぐらぐら傾いちゃいけねぇよ。中間管理職の悲哀を滲ませてんじゃねぇよ。人を斬るたびに自分まで斬られたようなツラすんなっつの」

俺は黙って万事屋を睨んだ。万事屋は、寒風に好き勝手に髪を掻き回されながら、半分閉じた眼であらぬ方を見ていた。

てめぇに何が分かる。人を斬った瞬間の、あの寒気がする手応えや、相手がどさりと倒れ込む、もはや肉塊でしかない音の響き。まるで、自分の一部もそこに落としたような虚無感と共に、血を滴らせた刀がゆっくり下がって、疲労感だけが残る。

−−それが、俺の仕事なのだ。こいつに分かったような口をきかれる覚えはない。

「…てめぇは自由になれたつもりか、それで」

ライターの火を風がさらう。手で庇うと、微かに指先が震えていた。疲れているのだ。寝れば、治る。

「さあな。なにしろ銀さんは宇宙一懐の深い男だからね。自由なんざ、ひょいと足の位置をずらせば手に入るもんさ。わざわざ道を変えなくてもな」

「……」

煙草の紫煙が、まるで線香の煙のようにひとすじ空へ向かう。−−俺もこいつも、いつかは焼かれて、同じように煙になって空へ上るのだろうか。なんてくだらない。意地を張っても筋を通しても、行く末は結局同じ、冷たく暗い、土の下か。そしてやがて皆、俺たちのことを忘れる。

疲れていると、つまらないことを考えるものだ。俺はてのひらで顔を擦った。

「てめぇの哲学なんざどうでもいいが、死に顔ってのは、いくつ見ても気持ちよくねぇな。立ち会いの瞬間はギラギラしてるやつも、倒れる時はもう魂が抜けちまってる。あの顔を見ると、どうにも滅入る」

「それは、」

万事屋は言いかけ、やめた。水筒を傾け、お代わりを注いだ。珍しく、口元が締まって見えた。

「なんだよ。はっきり言えよ」

「んー…。たぶん多串くんは、その瞳孔開いた眼をさらにかっ開いたまま死にたいんだろうね」

「…なんだ、そりゃ」

「いや、何となく」

万事屋はふにゃりと笑った。そして、パフェふたつな、と厚かましい要求をしたのでぶん殴ったら、瓦がガラガラ崩れて、万事屋にそれこそ倍返しで殴られた。





「あ、旦那だ」

助手席でふんぞり返っていた総悟が、不意に身体を起こして声を上げた。ちらりと目をやったら、やつはスーパーの袋をぶら下げて、ふらふら歩いていた。隣にあのチャイナ娘がいて、スキップしながらじゃれついている。

半分閉じた、あの死んだ魚みたいな目で、野郎はダラダラ歩いていく。チャイナ娘が何か言ったのか、その団子頭を軽く叩いて、大人げなく喧嘩をおっ始めた、その横を俺たちの車は通り過ぎた。

「変な人でさぁ、いつ見ても」

「…そうだな」

俺はハンドルを切りながら、懐から煙草を出した。ふと、思いついて尋ねた。

「お前、斬った相手が目ぇ開いて死んでるの、見たことあるか」

総悟は風船ガムを膨らませていたが、それを引っ込めてなんですかぃ急に、と不思議そうに言った。

「最近はあんまりないなぁ。そりゃよっぽど気合い入ってる敵じゃねぇと」

「?…そうなのか?」

総悟は馬鹿にするように鼻で笑った。

「これだから土方さんはだめでぃ。いいですかぃ、目ん玉カッと開いて死んでくやつは、死ぬ気なんてないやつでさぁ。ビビっても、捨て鉢でもない。負ける気なんざこれっぽっちもないやつが、最後まで目ぇ開いていられるんでさぁ」

「……」

ちょうど信号待ちで、俺はハンドルに腕を載せてフロントガラスから空を見上げた。この間屋根の上で見た空よりは、ずいぶん狭苦しくて遠かった。

−−それが、俺とあいつの違いなのかも知れない、という気がした。

「なんかあったんですかぃ?とうとう死ぬ覚悟ができたとか?」

総悟がまたガムをぷうっと膨らませる。信号が青に変わる。アクセルを踏みながら俺は煙草に火をつけた。どうせいずれは土の下、だ。俺もあいつも。突っ張って生きて、なにが悪い。

「残念ながら、違げぇな。…生きる覚悟ができたんだ」

目は、閉じねぇ。願わくば最期まで。

「へぇ、つまんね。……あ、雪」

総悟がはしゃいだ声を出して空を指した。










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