墓地の土は、いつ踏んでも湿っているような気がする。ところどころ苔が這い、踏むと柔らかい。風通しは良いが、日当たりはイマイチだ。春と夏はことさら伸び伸びと繁った緑陰が光を遮り、閑静な場所柄とあいまって、街中に突然ぽかりと空白が口を開けたような静寂に沈んでいる。
 菊の花を包んだ薄紙が風を受けてカサカサと揺れた。おれは花などわからない。子供の墓に手向けるのだと言ったら、店員は嫌悪するような気の毒がるような顔をしながらも、それではかわいらしいお花が良いでしょうと、バケツに山盛りになっていた手毬のような白い花を選んでくれた。菊ですけど、と手際よく葉を落としながら店員は言った。丸くて愛らしいでしょう。
 花の中にも愛らしいのとそうでないのとがあるなどと、そんなことは考えたこともない。くるくると紙に包まれていく花を見ながら思ったのは、くるんと丸くて白いところが知り合いに似ているな、ということだった。
 靴の下で砂利が鳴り、頭上で鳥が囀る。顔を上げると額をじりじりと日が焼いた。隊服の黒が吸い込んだ熱が汗に変わって吹き出してくる。
 淡い色の墓石はやはり変わらず佇んでいた。きれいに磨かれ、足元にもゴミどころか雑草一本ない。花立には、まだ瑞々しい白い花が奥ゆかしく頭を垂れている。これはたぶん百合だ。花粉がつくとなかなか落ちない。おれはどうしてそんなことを知っているのだろう?
 その花を取り替えて持参した花を立てる気はない。もちろん。恐らくおれには、この墓に指一本触れる資格もない。ただ身を屈めて花を置き、一礼した。二年前にこの墓に納められた骨を思う。小さくて、きっと柔らかい。
 安らかに、と語りかけそうになって唇を噛む。そんなのは、欺瞞だ。
 供養だなんだってきれいな口をきいたって、そんなのはみんなこっち側に残ったもんの言い訳さ。
 これは誰が言ったのだったか。



 周到に備えたはずだった。日付もとうに変わった深夜、連休中で周囲の建物は軒並みカラになっていた。そうでない数少ない店舗や事務所には隊士たちが密かに廻り、早く帰らせた。直前に規制線を敷き、最小限の被害で済むよう気を配った。神経質なほどにそうしたのは、相手がタチの悪い爆発物を備蓄しているとの情報を得ていたからだ。
 不意をついて踏み込めた時点で、成功したようなものだった。薄汚れた雑居ビルに隊士たちの乱暴な足音と怒号が響き渡り、刀と銃を振り回して下手くそに抗った敵はすぐに諦めた。
 素早く制圧できたこと、予想以上の爆発物と麻薬を押収する見込みがついて、みな安堵と高揚に包まれていた。だから誰も気づかなかったのだ。ビルの最上階に子供が隠れていたなんて。子供は空き家になっていた事務所の椅子で眠っていて、突然の捕物騒ぎに驚き慌てて逃げようとして階段を転げ落ち、踊り場で冷たくなっているのを翌朝の現場検証の際に発見することになるとは、誰も思いもしなかったのだ。
 子供は父親と二人で暮らしていたが、父親は夜は酒を飲んでそのまま気絶するように眠ってしまうような毎日だったらしい、と聞いた。やんちゃ盛りの男の子だ。かまってくれず酔って寝てしまう父親が嫌だったのか、あまり懐いてはいなかった。寝込んだ父親を置いて家を出て道端で石を蹴飛ばしていたり、一人で隠れんぼをしているのを見たという人がいる。一度は警察に保護され、父親には厳重注意がされた記録も残っている。
 そのせいなのか、世論は珍しく真選組に同情的だった。
 そりゃあそんな時間に小さい子供があんなところにいるなんて思いませんよ、ねえ。親が悪いでしょう。子供は気の毒に。誰か気にかけてやる人はいなかったんですかね。真選組もとんだことでしたね。
 聞きながら、何もかも言い訳だ、とおれは思った。後味の悪さを誰かに押し付けてごまかして、そうしておれたちは免罪されたつもりになって、朝目が覚めるとほっとするのだ。
 あなたたちのせいじゃありませんよ。
 子供の母方の祖父だという男は、目を伏せて言った。決してこちらを見ようとはしなかった。その人の娘は子供を産んですぐに病死したという。娘と孫に先立たれた白髪の男の体は薄く、声も小さかった。
 恨んじゃいません。誰も知らなかったんだ。だからこそ不憫だが、あなた方を責めてもしかたないし、そもそも何も知らずにいた自分こそ責められるべきだ。
 男はごつごつした手で顔を撫でた。その手が震えているのを見た。
 子どもの日なんて、ねえ。
 男は絞り出すように言った。



 歌舞伎町に入り、目が痛くなるような街の明かりを見ると肩の力が抜けた。喧騒に飲み込まれる感覚は悪くない。おれはちっぽけな点のひとつになって、誰に気に留められることもない。こもったような熱気を感じて、いつの間にか体が冷えていたのだと気づく。
 見当をつけてのれんを潜った居酒屋のカウンターには、案の定銀髪頭がのんきに舟を漕いでいた。ああやっぱり供えた花に似た頭だとおれはひっそり笑う。隣に座って熱燗と肴を頼み、しばらくぼんやり飲んだ。
 花粉。
 どれくらい経ってからか、低い声がやけにくっきりと耳に飛び込んできた。
 あ?
 花粉。着いてんぞ。
 万事屋は自分の袖を差した。
 どこで触ったかな。
 とぼけると、万事屋は小さく笑った。それから身を乗り出してオヤジ、と呼んだ。
 あれ。開けて。
 あいよ、と応えた店主が後ろを向き、一升瓶を下ろす。東北の名高い酒蔵のラベルが神々しい。万事屋は両手をこすり合わせた。
 こないだ、仕事の礼にもらってさ。奢ってやるよ。
 おれは顔をしかめた。
 雨でも降るんじゃねえのか。
 まあまあ、ありがたがって飲みなさいよ。
 万事屋が近づいてくると、ふわっと甘い匂いがする。こいつこそ花粉でも纏ってやがるんじゃねえのか。
 誕生日おめでとう。
 コツンと猪口を当てられておれは瞬きした。万事屋はにやにやしている。
 びっくりさせんなよ。
 なに言ってんだ。銀さんは、年に一度の日を寂しく飲んでるおめえをかわいそうに思ってだな。
 いつもの軽口。酒と眠気で上がった体温。ふと離れがたい、と思う。
 心の中、底の方の出口のない場所だけで。
 煙草に火をつけていると、土方、と万事屋が呼んだ。
 なんだ。
 万事屋はふっと微笑み、潔く猪口を干した。
 いつだって誰かの記念日で、この瞬間も人は産まれたり死んだりしてんだ。そう思うと、すげえな。
 おれは、カウンターに投げ出された万事屋の手を見ていた。ややあって、熱くて冷たいなにかの塊がこみあげてきて、おれの喉を詰まらせた。ごまかすために煙を吐きながら、おれは落ちない花粉を袖から払う真似をした。



END







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