「あ、雨降ってきたんかな」

唐突な坂田の声に顔をあげた。坂田は、肘をついて地下街の人の流れに目をやっていた。早足で通り過ぎる人々の中に、確かに濡れた傘を持つ手がちらほら見えた。坂田が俺を見る。

「傘持ってる?」

「持ってねぇよ。見りゃわかんだろ」

「いやいや土方くんならその四次元ポケットから何でも出せそうじゃん?」

「出せてもお前には貸さねぇよ、のび太」

なんだよ土方のくせに、と文句を言いながら、坂田はコーラを啜った。俺は冷たくなったポテトを食べた。ふやけて、まずい。

坂田はまた、携帯の液晶に目を戻した。新作ゲームに次々と手を出しては、すぐ飽きるくせに。

「…お前、ちょっとは自習したら」

「んー」

生返事。銀色の髪に、なんだかふざけた髪留めをつけている。

「あれだ、勉強前の軽いエクササイズだ。脳トレ?みたいな?」

「…かれこれ一時間くらい、エクササイズしかしてねぇぞコラ」

「馬鹿だねー。ちゃんと準備運動しないと、突然アキレス切ったりするんだよ?大事なこと言ってるよ俺いま」

「へー」

ポテトの塩がノートに落ちたので弾き飛ばした。ひと欠けらの結晶が弧を描いて床に落ちてゆく。坂田がいきなり、あ、あ、あーあ、と悲しげな声を出して肩を落とした。よく知らないが、負けたかどうかしたんだろう。

「やられちったー」

「あっそ」

「つまんねー。土方、なにやってんの」

「古文」

「後で教えて」

「断る」

「ケチ」

坂田はよりだらしなく座り直した。

「俺もねーこないだねー、助動詞だかなんちゃらをノートにまとめてみたんだけど」

「まとめたところで飽きたんだろ」

「そうそう」

坂田は、我が意を得たりとばかりにニヤッとした。ツルンとした頬に光が当たる。

何でもそうだ。坂田はすぐに飽きる。要領よくやっているからそこそこなんとかなっているが、受験勉強には、そろそろ本腰を入れてはどうか、と思う。

「眠い。眠ければ、眠かりし。眠いなり」

「最後コロスケみてぇになってんぞ。コロッケ食えや」

「おめーこそ、勉三さんみてぇだぞ。訛れや。……あ、」

坂田がいきなり手を振りだしたので、つられてガラスの向こうを見た。ウチの制服を着た女どもが数名、キャーキャー言いながら手を振り返している。

「うわーブスばっか」

笑顔で手を振りながら、なかなかひどいことを言う。

「土方、サービスサービス」

坂田が俺にぴったり顔を寄せ、俺の手を掴んでブンブン振った。女どもはいっそう騒いで、やがてバイバイ坂田くーんだの、明日ねだの、やかましく去っていった。

「俺を巻き込むな。疲れる」

「いいじゃん。イケメン二人がじゃれてっと、女の子は喜ぶんだよ」

「イケメン?」

「あ、お前は心がイケメンね」

「……」

なんだか、俺は結局いつも黙るしかない気がする。主導権を取るのは坂田。決めるのも、坂田。

「俺も、古文やろうかなー。雨みてぇだし」

地下街は、さっきより確実に傘確率が高くなっている。みな急ぎ足だ。ダラダラ歩いているのは、俺たちくらいの年齢のガキばかり。急ぎ足の大人たちは、きっとちゃんと行く先が決まっているのだろう。そこに行けば、何かしらのパズルのピースの一部としてきちんと嵌め込まれる、場所が。

坂田が携帯をパタンと閉じる。白い手に、少しだけ無駄な力が入っているような音がした。俺は聞いた。

「お前、将来なんになりたいの」

「海賊王」

「あー、そう。頑張って」

「今ならコックのポジション空いてっけど」

「どっちかってっと、剣豪の方がいい」

「うーん、それだとらし過ぎるなぁ。考えとく」

ホッとした。坂田のこういう言動に、俺は時たま余計な焦燥を溶かして貰っているような気持ちになる。馬鹿だけど。馬鹿だから。俺も坂田も、種類は違うが、馬鹿なガキに違いない。ガキは可能性のカタマリなんかじゃない。けれど、可能性を口にする権利は、ある。

「とりあえず海賊王になったら、宝は山分けしてくれ」

「おー。じゃ、ドリンクお代わり買って来ようっと。はい、土方のオゴリ」

当たり前みたいに差し出されたてのひらに、薄っぺらい財布を載せてやった。確か、小銭の他にはビデオ屋とカラオケ店のポイントカードしか入っていない。

「今度、返せよ」

「宝払い!」

坂田は軽い足取りでレジに向かった。制服のネクタイがヒラリと翻る。まるで小さな旗のように。俺は、薄くなったアイスコーヒーを飲み干した。地下街の匂いがした。










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