初めてそうなったのは最後の自由な夏休みのことで、坂田の部屋の窓からは隣の家の飾り屋根がよく見えて、それが日差しを弾いて眩しかった。だからおれは最初目を閉じてなにも見なかった。偶然かわざとかエアコンはついていなくて、じりじり暑かった。時々気まぐれに風が起こって、目隠し用の薄いカーテンが揺れ、レールと金具がこすれて音をたてた。たまに外を通る人の足音もした。
 やがておれは我慢できずに目を開けて見下ろした。おれの股間に顔を埋めた坂田は、子供のように赤い顔をして、子供のような無心さで、おれのものに吸いついていた。頬が膨らんだりへこんだりして、唇や喉が微かな音をたて、顎が疲れるのか時おり舌で舐めて、また吸いつく。坂田の両手はおれの腿と腰を掴んで、たいした力でもないのにおれは身動きひとつできなかった。布越しに、坂田の手が汗ばんでいるのが伝わってきて、それを感じたおれの背中にも、一気に汗が吹き出した。
 坂田は頑なに目を閉じ、おれのもの以外には興味はないというようなやり方でひたすらそこだけをしゃぶっていた。柔らかそうな髪がゆっくりと上下に動いていた。坂田が意を決したようにぐっと深く顔を傾けて飲み込んだ時、その襟足を汗がたらりと伝い落ちるのが見えた。全身の水分が蒸発したみたいに、おれはその光景に沸騰した。坂田の耳か頬か、とにかくどこかを手がかりに掴んで、揺さぶりながら腰を振った。
 あ、あ、あ。
 坂田は不自由な口から苦しげに呻きを漏らし、よだれを流した。おれは構わず腰を浮かせて、坂田の口蓋に、炭酸でも浴びせるように射精した。坂田はどこか恍惚としてされるままになっていた。おれが抜くと、開いた坂田の口の中が精液で汚れているのが見えた。舌がどろどろの液体にまみれていた。
 真っ昼間の光の中、その、坂田の口の内側だけが虚無的に暗く、印象に残った。



 夏から冬の始めまで繰り返されたその関係は、後から何度反芻しても奇妙なものだった。
 坂田はいつも、おれの欲望に鋭敏だった。おれが溜まっている時を狙ったみたいに、ウチ来ない? と誘う。坂田の家はたいてい誰もいなくて、がらんと静かで物音が響いた。
 おまえひとりなら、別にどこでやってもいいじゃん、とおれは唆した。居間でも玄関でも階段でも。もっと興奮するかも知れないじゃん。
 だが坂田は首を振った。だめ。おれの部屋だけ。誰にも邪魔されない、部屋の中だけ。
 階段をのぼる。しんと冷たい板壁に触れながら。薄暗い廊下。近くまで寄ったことはないが、廊下の突き当たりになにか年寄りくさい、絵手紙を趣味悪く額装したような、おかしな絵がかかっていた。坂田の部屋は二階にあがってすぐの右側で、陽当たりはいいがなんとなく荒れていた。ベッドだけはいつも清潔だった。
 部屋に入るとおれは、坂田を焦らした。坂田の髪やうなじを嗅ぎ、じゃれるように足を踏んだ。やがて坂田は子供がむずがるような声を出して、おれをベッドに押しやり、座らせて、まるで襲うように覆い被さって、おれのズボンのジッパーを下ろすのだ。
 しゃぶりつき、吸い上げながら、坂田は早い息をしていた。喉が渇いた人間がするように、蛇口を捻って水を出すようにおれのものを引っ張り出し、口に入れ、熱心に頬張る。
 息を荒らげて見下ろしながら、おれは唾を飲む。必死に下手くそにミルクを飲む拾われた仔猫のようなしぐさで、坂田はおれの股にしがみついている。髪を梳いたりこめかみを撫でたりすると、ぎゅっと閉じた目の端が緩む。
 かわいい。
 何度も込み上げてきて、口に出しそうになった言葉。だがおれは決してそれを言わなかったし、抱き寄せることも、キスをすることもなかった。おれのぺニスにしか関心がないように振る舞う坂田と、快感だけを求めて彼を利用する振りをするおれ。坂田の部屋でだけの、いびつな接触。
 ほんの十分足らず。その短い接触が終わると、坂田はそそくさと口を濯ぎ、そして夢から覚めたようになる。いつもの、熱のない眠気を湛えた目で、テレビのリモコンをいじったりする。さっきまでおれの足の間にうずくまっていたのは、同じ顔の別人だというような、ただの高校生になる。
 一方おれはまだぼんやりと温い余韻を漂いながら、坂田のつむじを見る。そう、坂田はいつも、終わった後もベッドに上がろうとはしなかった。おれの足元におとなしく座って、虚ろに響くテレビの音声に耳を傾けている。まるでよく躾けられた犬のようだ。
 こっち来いよ。となり。
 それもまた、言おうとしてもなぜか声にすることはできなかった。おれたちはしばらく横にいるのに目も合わせずに押し黙り、部屋にこもった性の匂いが消えるのを待つ。やがてそれがすっかり薄れた頃、どちらかがテレビに向かって笑ったり文句を言ったりする。するとやっと同期生の男どうしらしい、ぎこちなく馬鹿っぽい空気が戻ってきて、おれたちはそれぞれトイレに立ったり、カップラーメンを作りに行ったりした。坂田が苦手な数学の教科書を引っ張り出して教えてとねだることもあった。
 ついさっきまでの隠微な音や気配をかき消すような醤油の香り。麺を啜り、湯気を吹き、箸の尻で教科書を指して、おれたちは健全な学生にふさわしいやり取りをする。坂田はいちご牛乳のパックに口をつけて飲んでいた。おれのあれやそれを含んだ唇から、うんざりするほど甘い香料の匂いがした。
 その甘さを口実に、キスなんていくらでもできたはずだ、本当は。



 おれ、引っ越すからさ。色々楽しかった、土方。
 冷たい白い月がのぼり始めた空を見上げて、坂田はそう言った。黒いマフラーがあまり似合っていなかった。
 おれはびっくりしながらそうか、と答えた。そうか、なんて。もっと他に言うことはあっただろうに。
 うん。坂田は微笑んだ。目を伏せると、銀色のまつげが信じられないくらいきれいな曲線になる。心のなかで、いつも密かに思っていた。あのラインを指でなぞってみたい。息を吹きかけてみたい。唇を当ててみたい。
 たくさんの手遅れがうずたかく積みあがって、おれは立ち竦んだ。白い息を吐きながら、坂田は振り向いた。
 どうしたの、土方。
 おれの袖をつまんで引いた。
 今日はさ、玄関でそのままやったげるよ。土方、やりたがってたじゃん。あ、でも寒いか。
 坂田のまつげは震えた。唇も、マフラーになかば隠れながら微かに震えていた。おれはたまらなくなって顔を近づけ、まつげにキスしようとした。
 な、なに。
 坂田は飛び退くようにして体を引いた。荒くなった白い息が、おれたちを隔てた。
 まつげが、きれいだと思って。
 おれは呆然と言った。坂田の目が慌ただしく瞬きし、彼の唇は歪んだ。
 そんなのってないよ土方、今まで−−今まで一度も、キスもしなかったくせに。
 坂田はつっかえながら言い、一瞬、しゃくりあげるような息をした。
 ごめん。けど、ばいばい土方。
 歯の痛みをこらえるような笑顔で、坂田は小さく手を振った。そしてくるりと背を向けて、走り出す寸前みたいな足どりで歩き去った。
 それきり、坂田には会っていない。
 結局おれは何度もあったきっかけをことごとく逃したわけで、指一本、唇ひとつ、言葉ひとことで、本当は世界が夜から昼になるようにすべては変わったかも知れないのに、臆病で怠惰で傲慢なおれは、あそこを夢中で舐めてくれる坂田の素直さに、二人の関係を預けっきりにしていたのだ。高校生らしい愚かさだった。
 ただおれが、それを若気の至りと笑って遠い思い出にできないのは、坂田のことをあまりに知らないままだからだ。おれは彼の服を脱がせたこともない。キスさえ。坂田の内側をなにひとつ見ずに終わってしまったという後悔と未練が、彼にまつわる記憶をいつまでも生々しくしている。
 知ろうとしなかった、自分の罪の味と共に。










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