去年の銀誕の続編みたいなつもりで書いたけど、全然繋がってはいない





 ちょっとはしゃいでいたのは確かだ。土方くんがわざわざ予約をして感じのいいこぢんまりとした店でご飯をおごってくれて、シャンパンとワインでふわふわと酔って、外に出ると週末の街はほどよい賑やかさで、空を見上げると、排気ガスやネオンの向こうにふっくらとした月があった。振り向いたら土方くんが目を細めて笑った。
 あ、いいな、とおれは思った。美味しいご飯と普段は飲まない華やかなアルコールと、男ふたりがにやけて歩いていても気にしない、素っ気なく優しい街の空気に、おれは浮かれた。くすくす笑うと、土方くんも「酔ってんな」と苦笑した。棘のない、柔らかい笑いかただった。
 だけど、おれが調子に乗って絡めた腕を、彼は素早くほどいた。そして一歩ぶん体を離して、まじまじとおれを見た。おれはすぐに後悔した。
「ごめん」
 おれが謝ると、土方くんははっとしたように息を吸い、首を振った。
「いや、違う、ごめんな、おれこそ」
 おれは目を伏せ、へへっと笑って見せたが、その声は我ながら情けなく響いた。
 知り合って一年になる。おれは当時、なかなかヘビーな恋愛の打撃から立ち直れていなくて、それでも、土方くんは友達づきあいから徐々に距離を縮めてきた。彼はとても慎重だったと思う。かちかちに固くなった土方くんが、お付き合いしてくれませんか、と言ってくれたのは三ヶ月ほど前。よろしくお願いしますと頭を下げ返したら、土方くんはごくんと唾を飲んだ。ふたりの間で涼しげに氷を浮かべていたアイスコーヒーのグラスを、おれたちはしばらく黙って見つめた。やがて土方くんが長く長く息を吐いて、「よかった……」と呟いた。からだじゅうから空気が抜けたような声だった。
 そう、あれは夏だった。冷たいものをどんどん摂取したくなるくらいの暑い日だった。そして、もう、秋になってしまった。おれたちはあの日から進めずにいるというのに。
「ひ、じかたくん、さ」
 ぎくしゃくと口を開くと、土方くんの食いつきそうな視線を感じた。
「うん」
「こ、うかいして、んじゃねぇの?」
「……えっ?」
 聞き取れなかったのか、土方くんが顔を寄せてきた。眉をしかめている。
「後悔してんじゃねぇのかなって」
 言いながら俯いた。口がへの字になるのがわかった。
 だって、男と付き合うの初めてだって言ってたし。おれは全然初めてじゃないし。人前で手も繋げないし、抱き寄せてもきゅんとくるような小さい体じゃないし。−−だいたい、おれたち、それらしいことのひとつもしてないだろ。キスはした。何度か。おれの家から帰る、別れ際に、そそくさと。それだけ。
 それって、つまりそういうことなんじゃないの?
「め、めんどくさい感じになって悪いけど、やっぱり、土方くんは男となんてごめんなんじゃないかって、おれがかわいそうだから、言い出せずにいんのかなって」
「違う!」
 土方くんが腕を掴んだ。慌てて、声を上擦らせていた。
「そんなことない。あの、ごめん、そんなに不安にさせてたなら、ごめん」
 ぎゅっと、痛いほど掴まれた腕から、甘い痺れが広がっていく。ああ、今おれ、物欲しそうな目をしてるんだろうな。そういうところに引いちゃってんのかな。だけど、だけどさ。
「銀時」
「……っ」
 ずるいなあ、土方くん。手も出してこないくせに、そんないい声で名前を呼ぶなんて。
 恨みがましく見上げると、土方くんはおれの腕をしっかり捕まえたまま、斜め上を眺めていた。その顔にネオンが薄く映っては消える。なあ、と唇が動いた。
「あれ、乗ろうか」
「あれ?」
「あれ」
 指差した先に、大きな輪が見えた。



 街中にいきなりそびえる観覧車は、きょうび珍しくもなんともないが、おれは乗ったことはなかった。土方くんもそうだという。ふたりで戸惑いながら入場券を買い、乗り場のそばでアイスを買った。土方くんは甘いものを好きじゃないが、一緒に食べようとねだったら笑って頷いてくれた。
 好かれてはいるのかな、とおれは迷う。誕生日にご飯をおごって、ぐずぐず言われてもいやな顔をせず、観覧車に乗ろうなんてカップルっぽいことができるくらいには、彼はおれに誠実なのだ。「その先」を望む自分が、なんだかひどくいやらしいような気がする。
 ガコンと腹に響く音を立てて、ゴンドラが乗り口に入ってくる。係員の男の子が「どうぞー」と間延びした声を出した。土方くんが意を決したようにおれの手を握り、エスコートの動きでおれを先に乗せた。
「……見られてたよ」
 ドアが閉まってから、おれはそっと言った。彼は首を振り、真剣な目でおれを見た。
「そういうのがいやなわけじゃない。ほんとに。ただ、」
 口ごもった土方くんの横顔を見つめた。ああきれいだなと思った。夜景の明かりに縁取られて、ほっそりしてはいるが弱さのない輪郭の線が、ゴンドラの動きに合わせて浮かび、消える。
 間を持たせるようにアイスのコーンをかじったら、そのパリパリいう音がやけに大きく聞こえた。
「ただ、おれはあんたに嫌われるのが恐くて」
 おれはびっくりしてアイスから口を離した。
「なんで。おれが嫌うようなこと、ないよ。おれこそ、付き合ってみたら想像とは違ったんじゃないかなって」
 土方くんはおれを見て、ふっと笑った。指を伸ばしておれの口もとを払う。
「コーンくっつけて、なに言ってんだか」
「お、お恥ずかしい」
 目を合わせて笑った。一気に、気やすい恋人っぽい空気が戻ってきて、嬉しくなる。
 土方くんもサクサクとコーンをかじった。ついでに、垂れてきたチョコをべろっと舐める。あの舌で舐められたいなあと、おれはまた不埒なことを考える。頬が熱い。
「ごめんな」
 土方くんがため息をつく。
「ん?」
「あんたを傷つけたくない、嫌われたくないなんて、言い訳だ。おれは自分に自信がねぇから、そうやって臆病に逃げてただけだ」
 おれは自分のアイスを見る。ストロベリーとバニラのダブル。溶けていく。早く食べなくちゃ。
 待っていたら溶けて消えるのは、きっと恋も同じだ。
 冷たい指が顎を持ち上げるのを、おれは他人事みたいに感じている。唇も舌もアイスで冷えて、甘い。ディープなキスは久しぶりだ。夜景が滲んでぼやけていく。ごまかすように目を閉じた。
「あんたはわりと重たい恋愛経験があるから」
 土方くんはそう言って、おれの唇を軽く啄んだ。
「おれなんかでいいのかなって、ばかみたいに、そんなことをぐだぐだ悩んでた」
「ああ……うん」
 そうか、そりゃそうだよなあ。
 おれは笑ったのに、涙がころんと一粒こめかみににこぼれた。土方くんはそれを拭って、宣言するように言った。
「でもそのせいで」指に続いて唇がこめかみを撫でる。「あんたを寂しがらせてたなら、自分に腹がたつ」
 だからもう泣かないで。
 ゴンドラはゆるゆる揺れながら空にのぼり、肩を寄せ合って見下ろした景色は、でたらめな色彩で、ところどころ輝き、ところどころ暗く、美しいが同時に醜くて、夜風に揺らめいていた。
 土方くんがいい。
 強くそう思った。彼の手をぎゅっと握って、念じた。
 土方くんが、明かりの途切れる彼方を差した。暗闇が、遥か遠く広がっている。
「今度、海に行こうぜ」
「いいね」
「誕生日おめでとう」
「はは、ありがとう」
 アイスの最後のひとくちを口に押し込んだら、またキスされたけど、土方くんの唇はもう冷たくなかった。
 観覧車がのんびりと下降していく。地上に着くまでの短い接近。名残惜しく思いながらそっと体を離しかけたら、ぐっと肩を抱かれた。
「今夜、うちに来ませんか」
 おれは、頑固にこっちを見ない土方くんの首に頭を押しつけて、頷いた。伝わっているか不安で、もう一度頷いた。
 ゴトゴト揺れ、鉄錆のにおいがしていても、おれたちを乗せたゴンドラは、確かにその時、魔法の馬車だった。










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