ここにケーキ屋を構えて六年になります。いえ、ケーキを売るようになったのはそれより何年か前、ほら、このお隣のパン屋さんの旦那さんいらっしゃるでしょう、黒猫を連れた魔女が主役のアニメに出てくるパン屋の旦那みたいに無口で優しい人でしょう?あの人がねぇ、ケーキを売りたいなら軒を貸してやるっておっしゃって下さって、江戸に出てきたばかりのわたしに場所と厨房を貸して下さったんですよ。ありがたかったですねぇ。
 とは言えケーキを作るしか能のない、ぽっと出の田舎むすめがヘロヘロした声で、粗末なお手製の箱に入ったクリスマスケーキを売ったって、たかが知れてますわね。売れやしませんよ。パン屋さんの店先で、いかがですかぁって、寒さに震えながら、売れないケーキをもてあまして、クリスマスイブの夕方、もう日も暮れて、街は帰りを急ぐ人たちで賑やかで、ああやっぱりだめか、誰も見向きもしてくれないか、ってしょんぼりしておりました。そのうえ雪までちらちら降ってきちゃって、手も足もかじかんでねぇ。
 そうしてふと顔をあげましたら、その道の向こう側にね、若い男の人がひとり、寒そうに肩を縮めて立っていたんですよ。寒空に薄着で、その頃は今みたいな派手な格好はしていなくって、借り物だったのかしら、黒っぽい丈の合わない単衣で、雪のなか素足にちびた下駄をはいてねぇ。袖の中に手を引っ込めて、ぼんやりとこっちを見ておいででした。ぼさぼさの銀髪が風に吹かれて、いかにも食いつめた浪人さんという感じでねぇ。いいえわたしを見てたんじゃありませんよ。ケーキを見てたんです。ええ。
 わたし、かわいそうになっちゃって。街は浮かれて賑やかなのに、わたしとその人だけ、なんだか置いてきぼりみたいでねぇ。だからいい男の人に失礼だけれど、おいでおいでと手招きして、その人を呼びました。
 不審そうに近づいてきた彼に、わたしは試食用に切り分けたケーキを楊枝で刺して、どうぞ食べて、と言いました。彼はぱちぱち瞬きして、いいの?と聞きました。こころもとないような、怪しんでいるような声で。
−−食べて食べて。買わなくってかまわないから。
−−……どうも。
 彼は楊枝を受け取って、とても嬉しそうにしました。あかぎれのある、冷たい冷たい手をして。ケーキの切れはしをもぐもぐ召し上がって、ぱっと笑顔になって。笑うと子供みたいで。
−−美味しいなぁ!
 と彼は言いました。大きな声で、道行く人が何人か振り返ったくらいでした。
−−ほんと?ほんとに美味しい?
−−美味しいよ。すげぇ美味しい。イチゴ入ってんの?ぜいたくだなぁ。
 あの頃はまだ、今ほど出回っておりませんでしたから、冬にイチゴは。
 わたしも嬉しくなってしまって、もうひとつもうひとつと勧めて、彼は美味しい美味しいと言ってくれて。おまけに、彼が客寄せになったのか、気がつくと、売り台の周りにお客さんが集まってて。そしたら彼が、ほら商売しねぇとって言って、わたしから試食の盆を取り上げまして、どうぞどうぞってお客さんにね。
 まあそれでもね。大入り御礼というわけにはいきませんでしたけど。でも彼は帰りしなに言いましたよ。来年も売るんだろ?俺もお姉さんのケーキを買えるように、来年はがんばるからよ。そう言ってまた、子供みたいに笑いました。
 それが銀さんとの出会いでしたね。





 約束どおり、銀さんは毎年わたしのケーキを買いにきてくれました。まだまだ商売が軌道に乗らなくてよ、と言いながら。はじめは小さなショートケーキを買って、これしか買えなくて悪いな、と頭を掻いて。翌年はちょっと奮発してミニホールケーキを。その時はもう、今のあの格好でね。なめられないようハッタリだよって笑ってましたっけ。
 次の年は大きい、そう、これくらいのホールを買って、一年がんばったんだからご褒美だって、それはもうでれでれと。わたしにじゃなくて、ケーキに。
 それが何年かするとがっくり肩を落として、医者に止められたからホールは食べられないんだって、ミニに戻って。わたしへの付き合いで無理しなくていいのよって言ったら、冗談じゃねぇ俺は街いちばんの店のケーキを食いたいんだって、まあ、嬉しいことを言ってねぇ。
 そうこうするうちにありがたいことにわたしもねぇ、あちこちで間借りして売ってたのがいくらか評判を取って、そしたらお隣の旦那さんが、隣の店舗が空き家になるから店を構えちゃどうだって声かけて下さって。ここを開けた時には銀さん、花持ってきてくれましたよ。相変わらずだよって笑って、でもあの人もいつの間にかすっかり街の顔になっちまって、ねぇ。その辺歩けば銀さん銀さんって。明るくなって、落ち着いて、わたしはひそかに、これでしっかりしたきれいなお嫁さんでも、誰か世話してくれたらいいのにって思ってましたよ。いえ、その頃わたしもね、お隣の旦那さん奥さんが世話を焼いて下さって、今の亭主とくっついたもんですから。
 そしたらですよ。気がついたら銀さん、あの子たち、そうそう、男の子と女の子、ふたり連れて歩くようになって、まあ。もちろん自分の子じゃありませんけど、家族みたいなもんでしょうよ。それでケーキも、大きいホールをふたつ、って。それまではイブに買いにきていたのが25日になって。ほら、25日はお値下げしますでしょ。他にもいっぱい買いものして、いくらあっても足りねぇってぼやいて、だからわたしも、スポンジの余りとかイチゴのよけたのとかね、たまに持たせてあげるんですよ。三人のお誕生日のケーキは特別にこしらえますしね。だって、銀さんがいなかったら、わたしはこんなふうに好きなケーキを作り続けられたかどうか、わかりませんものねぇ。
 そんなのがまた二、三年続きましたかしら。そうそう、去年なんか、大家のお登勢さんやホステスさんまで連れてきましたよ。何かの罰ゲームで、銀さんがみんなにケーキをおごって。銀さん、泣きそうになりながらも、これはクリームとフルーツが絶品だとか、ババアは歳なんだからもたれるぞとか、まあみんなの面倒をみて。ああこの人はすっかりここに根を張って幸せそうだって、わたしも幸せでしたよ。
 それで今年、ねぇ、銀さんったら先月のうちにここにみえて。ホールふたつ、これはいつものですけど、それと別に、小さくていいからうんとビターな、辛党でも食べられそうなケーキをひとつ、って予約しにきたんですよ。今年はイブに貰いに来るからって念を押してね。誰と食べるのって冷やかしたらまあ、照れた顔して鼻を掻いてました。
 これはもう、他ならぬ銀さんの頼みですから。腕によりをかけて、甘さを抑えて洋酒を効かせて、苦みのあるチョコのコーティングをかけてね。イチゴじゃなくてラズベリーを飾って。
 ええ、さっき取りにみえましたよ。子供たちが大喜びでホールケーキを受け取ってねぇ、銀さんはいつもどおり、物いりでかなわねぇってぶつぶつ言いながら、でも、嬉しそうで。わかりますよ、長い付き合いですから。銀さんは嬉しいんです、あの子たちとああやって騒いでクリスマスをするのが。
 小さい箱を大事そうに抱えて、じゃあまたって帰る銀さんをお見送りしようと外へ出ましたら、じゃれあう子供たちと、荷物をしょったあの大きい犬と、それから、どこかで見たような男の人がひとり、銀さんと一緒に帰っていくのを見ましたよ。こりゃあ確かに辛党だろうなって雰囲気の、様子のいい人でした。黒い着流しにどてらを羽織ってくわえ煙草で、刀を差してましたからお侍さんですわねぇ。わたしが毎度どうもって言いましたら、ふたりで振り返って照れくさそうに笑っていましたよ。
 ああまた家族が増えたんだって、わたしは嬉しくなって。もう大昔のことになっちまいましたけど、あの時、その道の向こうで寒そうに立ち尽くしていた銀さんが、だんだんに大人になって、ひとりじゃなくなっていくのを、わたしはずっと見てきましたから。ほんとに嬉しくってねぇ。
 来年はきっと、お誕生日ケーキの注文が、もうひとつ増えるかも知れませんねぇ。ビターなケーキをもっと研究しようと思いますよ。ええ。
 あら、雪。思いだしますねぇ。あの時は冷たくていやな雪と思ったけれど、今はね、ホワイトクリスマスもいいじゃありませんか。銀さんもきっと、ねぇ。












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