京都に一週間の出張が決まった。会議と視察が数件の平和な日程だから、さほどいかめしくすることもない。何かと使いやすい山崎のほかに、三名ほどを選んで連れていくことにしたのだが、山崎が部屋にきて、ある隊士の名を挙げ、連れていってやれませんか、と直訴してきた。

「……内勤のやつだな」

「はい」

「まあ、書記役に連れていっても構わねぇが、どうしてだ」

故郷があっちの方だったか、と記憶をたぐりながら山崎を見た。やつはえーと、と言いにくそうに髪を掻いていたが、やがて、女です、と言った。

「女ぁ?」

「はい。あいつ、前に局長のお供でやっぱり向こうに行ったことがありまして、その時、その」

「あっちに女ができたのか」

「できたといいますか、その、相手は廓の女性なんですが」

「……金で相手して貰った女が忘れられないってか」

純情なんですよう、と山崎が情けない声を出す。買ってやっといて何が純情だ、とは思ったが、聞けばそいつと女は奥ゆかしく手紙のやり取りなんざ続けていて、お互い惚れあっているのだという。話半分にもならないだろうとは思ったが、そこへ近藤さんも目をうるうるさせてやってきて、連れてってやってよトシ、一晩一緒に過ごさせてやってよ、俺そういう話弱くって、などと言うものだから、ああわかったわかったと答えた。





支度は簡単に済んで晩飯も食った。明日から一週間か、と考えて、なんとなく携帯に手が伸びた。相手にも都合や気分はあるだろうし、自分もそれほど切羽詰まっている感じでもなく、まあやれたらいいなくらいの気持ちで呼び出し音を聞いていたが、応答した声はひどく嗄れていた。

「どうした、その声」

「あー、風邪ひいて、熱が八度あって、は、はっ」

ぐしゅん、げほっ、とくしゃみと咳をして、「わりい」と電話口に戻ってきた。

「いや、タイミング悪かったな。おとなしく寝ろ」

相手は鼻をぐずぐずさせて、ちょっと笑った。

「せっかく臨時収入のチャンスだったのに、残念」

「またそのうちな」

「ん。たぶん二、三日ありゃ治るからさ、またご贔屓に」

「ああ、俺明日から一週間出張で留守にすっから、戻ったらな」

「えっ」

相手が少し慌てたような気配があった。

「あー、出張の前に一発やっときたかった?俺使えねぇな、ほんと、わりい」

風邪のせいもあってか、ちょっとしょぼくれていた。俺は笑った。

「別にそんなアレじゃねえよ、病人は馬鹿言ってねぇで寝ろ」

電話を切った。





やつとは金を介した付き合いだ。俺は金を渡し、やつは身体を開く。だがそれだけってわけでもない。少なくとも俺は今まで、金で買った相手と、外で飲んだり喋ったり、要はセックス以外のことをしたことはなかった。

やつは万事屋という商売柄か、人あしらいが上手いし、同じ男だから色んな意味でツボをわかっている。最近は、溜まってるなと自覚するとやつの顔が浮かぶ。これもはまっているというのかね、と俺は苦笑いした。

「副長ー」

「入れ」

山崎が襖を開けて俺を窺う。

「いい夜ですよぉ副長、あったかくて晴れてて」

「書類」

「はい」

山崎がぺたぺた近づいてきて、俺が出した手に書類入れを差し出す。地味な顔に地味な不満の色を浮かべているのは、見なくてもわかる。

京都の夜も五日目だ。平和な日程だがスケジュールはぎゅうぎゅうの上、延びたり崩れたりした。今日は初めて、暗くなりきらないうちに宿に帰れた。俺は煙草に火をつけて、山崎を見た。

「なんだ」

「いえ」

「てめぇもこっちに女がいますとか言うんじゃねぇだろうな」

「違います!」

山崎が心外だという顔をして、俺は思わず笑った。

「くれぐれも羽目を外し過ぎねぇようにな」

「は、はいっ」

「明日の朝酒のにおいなんざさせてたら、切腹」

「はいっ」

俺が頷くと、山崎は頭を下げながら小さくガッツポーズをした。いそいそと出て行こうとする地味な背中に言った。

「山崎」

「ははは、はいっ」

「不粋な真似して、なめられんじゃねえぞ」

はいっ!と叫んで、山崎は襖を閉め、元気よく廊下を走っていった。てめぇ普段よりよほど威勢がいいじゃねえかよ、と俺はくわえ煙草でぼやいた。





翌朝、厠へ行こうと部屋を出たら、隊士がひとり、もうきちんと隊服を着て廊下の隅に直立していて、俺を見るなりぴーんと更に背中を伸ばした。それはもう、ぴーんという音が聞こえそうだった。

「……お前か」

そいつは微かに赤面し、「ありがとうございました!」と直角に礼をした。総悟とたいして変わらない年にしか見えない、小柄でおとなしい顔つきの、いかにも内勤らしい隊士だ。−−こいつがねぇ、と、俺は何度か思ったことをまた思った。

「会えたか」

「は、はいっ」

「そりゃあ、よかったな」

「ありがとうございました、副長」

「……惚れてんのか」

「……はい」

頭を下げたまま、小さな声で答えた。

「まだ早えじゃねえか、てめぇ会議中にうたた寝なんざしやがったら腹切らせっぞ。部屋帰って休め」

はい、と返事はしたものの、俺が角を曲がるまで、そいつは頭を上げなかった。





帰りの新幹線の中で、弁当を持ってきた山崎が、「副長もいいとこありますよね」などとへらへら言ったので、とりあえず殴った。

「痛い痛い!……でもほんと、あいつ感謝してました」

「そんなにいい女なのか」

「写真見ましたけど、そんな死ぬほど美人ってわけじゃなかったです」山崎は弁当をもぐもぐ食いながらそこはかとなく失礼なことを言った。「でもこう、細くて、可憐、ていうか、あいつも言ってましたけど健気そうな」

「健気ねぇ」

「離れたくないって、泣くんですって。でもまた会えるのを楽しみに頑張るって、帰りには泣きながら笑って見送ってくれたって」

「そいつはおめぇ」俺はため息をついた。「商売女に手玉に取られて遊ばれてんじゃねえのかよ」

「そんなのあいつだってもう散々考えたり悩んだりしたんです!副長に言われるまでもありませんから!」

山崎が珍しくしっかりした声で怒ったが、怒っている途中でトンネルに入ったので、なんとも間抜けな感じになった。山崎らしい。





戻って数日は、各所への報告やいなかった間に溜まった書類の片づけに追われて(誰かの嫌がらせで始末書や無駄な領収書が山になっていた)、てんやわんやでにっちもさっちもだった。ほぼ徹夜を二日ほどやって、やっと目処がついてやつに連絡を入れた。電話の向こうから、風邪は治ったようだが相変わらず緩く間延びした声が聞こえて、どういうわけか安心した。

よく使う宿に入って、交代でシャワーを浴びて、タオルいっちょで出てきた万事屋を抱き寄せて肩の辺りにぐりぐりと顔を押しつけていると(これは俺の変な性癖だ、わかってる)、ふっと笑ってあったかい手が髪を撫でてきた。

「帰ってきても忙しいんだ」

「ん」

「サービスしまっせ」

「どんな」

「ご希望は?」

「そうだな……」あくびを噛み殺すと、ふと体の願望が口から出た。「あー、やるよりちょっと寝たいかも知れねぇ」

ぴく、と俺の髪を撫でていた手が止まった。目を上げると、万事屋は眉を寄せて、情けないような、困ったような顔をしていた。そりゃそうだ、せっかくサービスしまっせと張り切ってみせたのに、相手が寝たいなんて言い出しちゃ、

「わりい」

万事屋を抱いたままごろりと寝転んだ。濡れた髪を撫でて、「乾かせよ」と文句を言うと、軽い口調だったにも関わらず、万事屋はまたぴくっとした。ああ、わりい、

「おめぇの髪、もふもふすんの割と好きなんだからよ」

「……う、うん」

湯上がりの背中を抱いて密着すると、万事屋もぎこちなく腕を回してきた。ついでに膝を曲げてやつの脚の間に割り込ませると、ん、とため息をついて、万事屋がぎゅっと俺の脚を挟みつけた。

「あー、あったけぇ」

「うん」

「ちょっとこのままでいろよ」

「ん」

万事屋は小さく頷いて、俺の胸に顔を埋めた。肌に唇で触れながら喋る。

「眠る?」

「かも」

「……寝たら帰ろうか、俺」

「いや、いろ、っていうかいてください」

「はは、わかった」

やっと体から緊張を解いて、万事屋はゆっくりと俺の背をさすった。背中、凝ってるっぽいねぇ、と呟く。

なんとなく、健気だなぁと思った。そこから思い出して、ぽつぽつと「隊士と女郎の恋」を話して聞かせた。万事屋は俺の背を撫でながら黙って聞いていたが、俺と似たような感想を持ったらしかった。

「泣いてすがるなんて、常套手段じゃねえの?」

「俺もそう思ったんだがよ」だいぶ乾いた銀髪に指を差し込み、梳いた。

「まあ、そもそも京都の女郎が、江戸の男にそこまで営業する必要はねぇよな、考えたら」

「あ、そうか」

「うん」

「頻繁に通ってくれる客にするよねぇ、泣き落としなら」

「俺もそうする」

「はは」

万事屋の肩がちょっと揺れた。その弾みのように、更に密着してきた。俺もやつのうなじや腕を撫で、絡んでいる脚をずりずりもぞもぞ動かした。万事屋がん、とちょっと色っぽい声を出した。

「……昨日、手紙が届いたってよ」

「ん?」

「女からの」

「ああ」

山崎が鬱陶しく涙ぐみながら聞かせてくれた。

「来年、年季が明けたら、江戸に行ってもいいですか、てよ」

「へええ」

押しかけ女房だ、と言いながら、万事屋が顔を上げて俺を見た。目を細めて笑う。

「近藤さんが泣いてよ」

「はは」

「純愛だ純愛が報われた俺もお妙さんとわーわーって」

「あらら」

「女郎が純愛なんて似合わねぇ、って思ってたけどよ」

「……」

「まあそういうことも、あんのかもな」

腕の中で万事屋が身じろぎ、間を置いて、あるのかもねぇ、と相槌を打った。脚をまたずりずりすると、ん、と息を漏らす。

「……やっぱ、やるか」

「え、やんの」

「お前が変な声出すから、ムラムラしてきた」

「お前が」万事屋が耳を赤くして睨んだ。「すりすりすりすりするから、ん」

唇を塞いで舌を入れて、のしかかりながらやつの下っ腹をまさぐった。

「たってんぞ」

「んー」

むずがるみたいに首を振り、俺の脇腹や腰を撫でてくる。唇を離すと、柔らかい表情で俺を見上げ、じゃあ一発下半身の凝りもほぐしますか、とおやじみたいなことを言った。触られて、しだいに自分の下っ腹も熱くなってくるのを感じながら、俺は万事屋の首筋に顔を埋めた。





一度深い眠りから覚めた時、俺は万事屋を背中から抱いた格好のまま寝ていた。やっぱり疲れてんだな、いつもなら終わったあとこんなに寝こけたりしねぇもんな、とぼんやり思った。そして、てっきり寝ていると思った万事屋が、ゆるゆると俺の手を撫でているのに気づき、驚いた。

万事屋の手は優しかった。自分の胸を拘束している俺の手を、ゆっくりと撫でさすり、指をなぞっていた。身動きするとぴくっとして撫でるのをやめる。寝たふりをしていると、やがてまたおずおずと手を動かし始めた。

これは目が覚めたのを知らせるべきなんだろうか、と迷ったが、眠いのと心地いいのとで、やめた。とろとろと再び眠気に負けそうになった時、万事屋が小さなため息をついた。やるせないような、押し殺したため息だった。俺は目の前にある銀色の後頭部を凝視した。不意に、愛しいような、優しい感情がこみ上げてきた。万事屋の手の優しさが伝染したのかも知れなかった。

−−抱きしめて、頭をぐりぐりしてやりてぇ。

そんな衝動をこらえ、なんというか、己と葛藤しながらまたずるずると眠ったら、すっかり寝過ごした。今度こそ万事屋もいびきをかいて寝ていたが、俺がバタバタ支度しているうちに起きて、疲れてたんだねえ、朝までいるなんて初めてじゃねえ?などと言って笑った。ちらりと見たやつの目は完全に寝不足の色をしていたが、とりあえず時間がなかったので、俺は色々先送りすることにして宿の前で万事屋と別れた。道に出ると、朝日が眩しくて目を開けていられないほどだった。腹の中ですっきりともやもやを同時に感じながらともかく早足で歩き、煙草を出そうと袂に手を突っ込んだ時、あ、と気づいて立ち止まった。

「金、払ってねぇ」

振り向いたが、もちろんもうやつの姿はなかった。朝まで一緒にいたのも、金を渡し損ねたのも、初めてのことだった。












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