土方がうちに来ることになった。電話ではへらへらして見せたが、切った直後にちょっとしたパニックになった。立ち上がって座って、を二度繰り返して、神楽に不審がられて、「うんいやなんでもねぇ」とか言って座った。

別に初めてってわけじゃない。土方は何度か万事屋を訪れているし、いつだったか、酔っぱらった俺を送ってくれたこともあった。そんな、気負うこともない、はず、

なんだけど、土方が「昨日悪かった、金、ちゃんと払うから」と言い、俺が「んー別にー、次会う時でいいよー」と答え、土方が「いや金は早いとこきちんとしておかねぇと落ち着かねぇし」とこだわり、俺が「そう?じゃあ近くに来たらついでに寄ってくれたらいいよ」とゆるっと返し、土方が「あっ」と思いつき、「今夜いるか」「うんまあ」「いい酒貰ったからよ、詫びっつうか、持ってくから」「えー土方くん気ぃ遣いだねぇ遠慮しねぇけど」「しねぇのかよ」「しないよ。あー、なら一緒に飲めばいいじゃん、肴くらいサービスするから」なんて俺も思いついちゃって、じゃあそういうことで、って電話を切って、

座ったはずなのにやっぱり立ち上がって、静かにパニック起こしたまま台所に行って冷蔵庫を開けた。あんまりろくな物が入っていないのはいつものことだ。いちご牛乳や調味料の他には、特売の卵と、ちょっとヤバそうなベーコンの切れっぱしくらいしかなかった。

「買いもの行かねぇと」

そう呟くと、少し気が落ち着いた。頭の中を、献立を考えることで埋めた。土方はアレだよな、マヨ中毒だししょっぱい味のもんが好きだよな、でもせっかくだから普段食わねぇようなもん食わせてやりてぇな……。だがすぐに、これってなんだか、女が恋人にするような感じじゃね?おかしくね?と思い始めてしまい、またふわふわとした混乱に襲われた。

昨日の土方は、寝坊してよっぽど慌てていたのだろう。だいたい、あいつは朝まで宿にいたためしがないのだ。終わったらさっさと帰り支度、ってほどじゃないけど、一、二時間ほど俺を抱き枕にして寛いで、そしてお前はゆっくりしていけ、と声をかけてくれて、帰っていく。

それが昨日はずいぶん疲れていたのか、俺を抱いて夜明かしして、朝寝のあげく金を払うのを忘れた。俺は気づいてたけど、言わなかった。遠慮したとか意地汚く見られたくなかったとか、そんなのじゃない。楽しく一晩を過ごして朝寝してあわただしくじゃあなって別れる、そんな、ごっこ遊びをしたかったのだ。金であれこれなんてしていない振りで。

自分でもこう、じめじめしてるなぁという自覚はある。言えよ言っちゃえよ、と、もう何回も思った。なあ土方、ずっと言いそびれてたけど、俺よお、お前のこと、す、す、

「……すすす酢昆布も買っておかねぇとな!」

「ほんとアルか!?キャッホー!」

神楽が喜んで跳ねた。そうじゃねぇ、そうじゃねぇんだ、俺のバカ。





土方は暗くなってから、私服で、ちゃんと呼び鈴を鳴らして、酒のほかに手土産に菓子屋の箱を提げてあらわれた。なんと躾のよい子だ。受け取った俺が珍妙なツラをしていたのだろう、ちょっとおかしそうな顔になった。

「おめぇ好きだろ、甘いもん。そのプリン流行ってんだってよ」

「も、もちろん大好物です」

「敬語!?」

「ウへへ」

居間にあがった土方は、ソファに落ち着いてさっそく煙草をくわえた。灰皿は洗って置いてある。暑いから冷たいものがいいだろうと、俺は麦茶を客用の茶器で出した。それからつまみを運んでいくと、土方は切れ長の目を見開いた。

「なんかいい匂いしてっけど、おめぇの手料理かよ」

「お、お口に合いますかどうか」

「ぶっ」

土方は吹き出したが、俺はちょっと緊張していた。そりゃだって、そうだろ?

土方は俺の冷やっこを旨いと言った。俺の手抜き唐揚げも、アサリとネギの卵とじも、マグロのづけも、冷凍のをチンしただけの枝豆も、旨いと言って食べた。俺たちはとりあえずビールをやってから、土方持参の酒を飲んだ。辛すぎず、重すぎず、本当にいい酒だ。俺がそう言うと、土方はすこし嬉しそうにした。

飲んでいるうちに緊張も解れた。土方は愚痴っぽい笑い話をしながら機嫌よく飲んで食べて、神楽はお妙のところに行かせたからいない。だから、会話がとぎれ、土方がなんとなく俺を見つめ、首の後ろを引き寄せてキスしてきた時、俺は慌てず応えることができた。こういう関係なのだから、こっちだってそのくらいは想定内だ。普段とは違うけど、今夜は我が家でそうなっても、まあ、いい。一応、和室には万年床っぽく布団も敷いておいたし、風呂も洗って、タオルや浴衣も用意しておいた。さあどんと来なさい、うちにきて飯食って寛ぐ土方には慣れてないが、酔って欲情して、ちょっと甘えてみせてがっついてくる土方ならよく知ってるんだこのやろう。

……とか考えていたのに、土方はなんだかいつもと違った。俺に長いキスをして、唇が離れたら今度は俺の髪に鼻先を突っ込んだり、耳たぶを甘噛みしたりして、またしばし俺を間近で眺め、かと思うと俺を抱き寄せたまま向きを変えて酒を飲み始めた。

「……どうかしたか?」

俺が聞くと、土方は猪口を手に、なんだかきょとんとこっちを見た。酒が回って、目元がうっすら赤い。

「なにが」

「いや、こう、てっきりガバッとくるのかと」

「まだ宵の口じゃねぇか。ゆっくりしてっても、いいんだろ」

「……いいけど」

俺たちは互いに見つめ合っていた。なんだかおかしい。俺とこいつはこういう感じじゃなかったはずだ。だが土方は表情を変えずに、何を思ったか俺の頭をぐりぐり撫でた。髪に指が絡む。

「土方、」

「おめぇ、健気だよなぁ」

「はあ?」

今度は俺がきょとんとする番だった。土方は髪をいじっていた手で俺の頬を撫でている。

「こないだからなんとなく思ってた。なんだか健気で、参る。今日だってこんな、料理なんて、期待してなかったけど、旨いしよ」

俺は返す言葉が見つからなくて、口を開けて土方を見つめた。酔っぱらいの寝言みたいなもんだと思おうとしたが、土方の顔はひたすら真剣だった。

「お前」

土方の唇がためらうようにゆっくり動いた。

「俺を……その」

「……」

「言え、よ」

まるで懇願するように土方は言った。俺はひからびた喉をふるわせた。す、す、

「好き、だ。始まりが始まりだから、言っちゃならねぇ、って、」

耐えられずに目をつぶった。ごくりと唾を飲んで、拳を握った。心臓が上にいったり下にいったりしている。不意に土方がゴツンと額に額をぶつけてきて、痛え、と声がでた。

土方の声がとても近く、とても深く響いた。

「なんだ。知らなかった。なんで言わねぇんだよ、馬鹿」

「土方」

「俺ぁ鈍いからよ、言わなくても気づくだろうとか、そんなん、ねぇんだよ」

「は、はは」

手を回して、着流しの背中をそっと掴んだ。土方は俺の頭を頭でぐりぐりし続けている。なんだよこの犬みたいな、甘ったれみたいな、

「始まりがどうだからなんて気にするなんて、らしくねぇ。なんだよ、都合いい軽いフリして、健気に俺の相手してやがったのかよ」

俺は崩れるように土方の肩に目を押しつけ、そっと言った。

「……それでも、好きな相手に抱かれるのは、いいものなんだよ、土方」

「……そうか」

「ん」

俺たちは顔を上げて笑ってキスをして、もう少し酒を飲んで、土方は煙草を吸い、俺は手土産のプリンを食った。それから順番にシャワーを浴びて、布団にもぐり込み、これまで通り、でもこれまでとは決定的に違うセックスをして、ちょっと眠った。土方はやっぱり明け方にシャワーを使い、きちんと身繕いをして帰っていったけれど、帰る前に俺にキスして、次はいつ会おうかと聞いた。誤解のないように言っておくが、土方は別にいきなり優しくなったのでも、俺を女扱いし始めたわけでもない。ぶっきらぼうでへたれで、実はわりとさりげなくわかりにくいけれど優しい、要するに土方っぽくふるまって、でも俺が見送りに出るとさすがに照れくさそうな顔をして、薄暗い道を帰っていった。





その後、特別になにかがらっと変わったことなんて、ないけれど。もちろん俺はほかの誰かと寝たりはもうしていないし、土方も俺に金を払わない(ただしよくうちで飯を食うようになったので、時々食費は入れさせている)。子供らにはすぐばれて、「まあ……幸せならいいんじゃね?」くらいの温度で見守られているらしい。土方は相変わらず忙しい。たまにけんかもするし、お互い好きになれない欠点も、そりゃあある。ただそういう面倒を計算に入れても、この幸福感にはかなわないな、と、隣で熟睡する土方の顔を眺めながら考える夜が増えた。抱き締めると寝ぼけて抱き返してくる腕がいとおしくて、俺は時々、眠る土方の腕をかじる。なにすんだいてぇ。いや、夢かなと思って。馬鹿じゃねぇのお前馬鹿じゃねぇの。−−それが現在の俺たちが交わす、最も甘ったるいやり取りだ。












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