土方は雨が嫌いではない。

飲んだくれたあとの二日酔いの朝なら、好ましいとさえ思う。頭痛と吐き気に苦しみながら浴びる晴天の陽光ほどきついものはない。もちろん雨続きでは洗濯物も乾かず、むさ苦しい屯所にカビが生えるんじゃないかとか布団がジメジメして気色わるいとか、色々困ることになるのだが、たまの休日、しとしとと降る雨の中を歩くのは悪くないものだ。

薄暗い空の下、片手で傘を差し、片手にコンビニの袋をぶら下げて、土方はのんびりと屯所近くの裏道を歩いていた。時間は昼前だが、連休最後で雨模様とあって、辺りには人気もなく静かだった。傘に当たる雨粒の音と、ゆっくりと草履を引きずる自分の足音しか聞こえない。時折、一本向こうの通りを車が走り過ぎるが、そのタイヤが立てる水音さえ、静けさを憚るように控えめだった。

夕べは宴会だった。近藤の、トシの誕生日だから無礼講!というかけ声で、みな大いに飲んで騒いだ。ただ馬鹿騒ぎの口実が欲しいだけだろう、と些か拗ねた気分にもなったが、隊士たちが楽しそうに酔っぱらい、ついでに副長おめでとうございます、などと言ってくるのは、くすぐったくはあったが悪いものではなかった。夜半過ぎ、土方が私室に引き上げる時にはもう雨が降っていた。酔いと雨音がもたらす眠気にまかせて朝寝をし、起きたらこの時間だった。非番だからといって、普段仕事漬けの土方には特にやることもない。ふらりと買い物に出かけ、帰り道はこうしてわざと裏道を歩いてみるくらいしか思いつかない。

路傍に、家庭菜園の小さな畑があった。若い緑がいきいきと雨に濡れている。虫除けか、ミニチュアのビニールハウスのような、布をかけて丹精している箇所もある。ちょっとからだを屈めて眺めた。何を育てているのか、土方にはわからない。ふと故郷の様子を思い出して、小松菜やら大根やら、と考えてみたが、いま黒土から伸びている柔らかそうな苗が育ったあとの姿など、やっぱり見当がつかなかった。ただ土と緑の匂いが、雨のせいで濃く感じられ、懐かしいようなもの悲しいような気分になった。

そういえば土方の家でも畑をやっていたが、家人も使用人も、鬼子の土方に土を触らせようとはしなかった。意地悪でさえなかっただろう。彼らは土方のためにわざわざ時間も手間も割く必要を感じなかった、それだけだ。あれは−−引き取られて間もない頃だったろう、長兄に言いつけられて用事のついでに土方を呉服屋に連れていった小女が、採寸のあいだに用足しに出て、そのまま土方のことを忘れ、帰ってしまったことがあった。ああ置いていかれたな、とわかったから、土方は店の者が気を揉んで使いを出すのどうのとばたばたしているうちにそこを出た。勝手のわからぬ町を右往左往して、やがて雨が降りだしたので、どこかの店の軒先にうずくまった。腹も立ったし悲しかったが、しかたないなとも思った。自分が家にとって厄介者で、いらない子だったのだと、そのくらいはわかっていた。どこへ行くにしても雨がやんでからにしようと待っているうちに、眠ってしまったらしかった。

土方を見つけたのは長兄だった。済まなかった済まなかったと侘びながら、兄は自分の傘を差しかけ、ついていた使用人に、どこかのおたなで乾いた着替えをお借りできるように手配しておくれ、ときわめて優しく言いつけたが、横顔は剣呑に怒っていた。兄の着物の肩がみるみる濡れて、土方はぎこちなく傘を押し返そうとした。だが気づいた兄に逆に抱き寄せられた。

−−俺は、もう濡れちゃってるから、いい。

−−そんなこと。

兄は絶句し、それから、少し悲しげな笑顔を見せた。

−−だいじょうぶだよ、十四郎。わたしがいるから、もう心配いらない。

土方は熱を出してそのまま寝ついた。熱が下がって起きられるようになった日、兄がおぶって庭に出て、悠々と空を泳ぐ鯉のぼりを見せてくれた。あれはお前だよ、と兄は一番下ではたはたと揺れる子鯉を指して言った。−−お前はちゃんといるよ。





小さな畑を離れてまた少し歩いた。雨は強くはないが、しとしとと染みるように降り続いている。草履が水を含んで重くなっていたが、不快ではない。静かで暗く、誰もいない。……いや、いた。

道端に不意にあらわれる、とってつけたような児童公園のひとつだった。色鮮やかな遊具が濡れている。子供用のぶらんこに、万事屋が窮屈そうに座っていた。気まぐれに揺らすので、キイ、と鎖が不規則に軋む。万事屋は傘を差しておらず、濡れ鼠だった。土方に気づいて、いつもの憎らしい笑いかたをする。気づく寸前まで、心が虚空に飛んだような虚ろなツラをしていたくせに。

「なにしてんの、多串くん」

「てめえこそ」

「はは。ちょっと用事でこのへん来たんだけど、なんか帰りそびれちまって」

万事屋はぶらんこに座ったまま、ゆらゆらと揺れた。全身で濡れていた。鎖を掴む手はどんなに冷たいだろう、と土方は想像した。

「寒くねえのか」

「寒みいよ」

「帰れよ」

「そのうちね」

アヒルの形をした公園の車止めを挟んで、意味のないやり取りをした。万事屋はやたらにやにやしている。雨で冷えて、顔の作り方をしくじっているのだろう、と土方は思った。雨はひとを感傷的にさせる。なんとなく気まずいのはお互い様だ。

土方は車止めをよけながら公園に入った。歩道とは違う、柔らかい砂地の感触が足裏に伝わる。

「なに?」

万事屋はまだにやにやしながら見上げた。

「ぶらんこ、押してくれんの」

「馬鹿」

土方は傘を突きだして万事屋に差しかけた。肩に雨が振りかかる。傘に隠れて、万事屋のにやけ顔は半分見えなくなった。

「貸してやる。さっさと帰れ」

「いらねえよ。こんだけ濡れりゃいまさら傘さしたって、違いはねえよ」

「ある」

「ん?」

「いいから帰れ」

万事屋の口元が見えていた。それは笑いの形のまましばらく動かなかったが、やがて、にやにや笑いを引っ込めて、微笑んだ。

「おひとよし」

「……」

「今度飴あげるよ、雨だけに」

そう言いながら、万事屋は傘に手を伸ばしてきた。指先が一瞬触れて、離れた。やっぱりひどく冷たかった。

どっこいしょとわざとらしい声を出して立ち上がり、傘を回して雫を撒きながら歩き出した万事屋の背中を、つかの間土方は見送った。こいつも、雨が嫌いじゃないのだろう。懐かしいようなもの悲しいような気持ちになるけれど、雨は静かに土に染みて流れていく。

と、傘ごとくるりと万事屋は振り向いた。

「早く帰んなさいよ。銀さんならまあ、水も滴るいい男っていうやつだけど、多串くんはちょっとね」

「……」

土方の仏頂面を見て、万事屋は笑った。背を向けて、今度は振り返らずに遠ざかっていく。土と緑と血の匂いがする、と思いながら、土方も反対の方向へと歩き出した。雨が急に強くなり、土方のからだはたちまち濡れた。傘を貸すなりこれかよ、と土方は苦笑いした。後ろで、ぶらんこがキイと音を立てた。古い記憶の気配が、雨煙と共にたちこめているような気がした。












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