わたしが料理ができないのはしかたのないことアル。マミーは小さい頃にお星さまになってしまったし、パピーはハゲ散らかるのもかまわず宇宙を飛び回ってたし、兄貴はあんなんだから、わたしは早くから自立した女にならなきゃなかったネ。自立した女は、しこしこ家事なんてしないものヨ。雇い主だってその辺わかってたから、何はなくともお茶漬けサラサラ食べさせてくれたネ。だいたい自立した女にちゃらついたおかずなんて必要ないアル。たくあんでもごはんですよでも持ってこいヨ、生卵ならなおよし。とにかく米が食えりゃ文句はないネ。
「ったくビンボー人はこれだからよー」
銀ちゃんはぶつぶつ言いながら、なにか赤い肉みたいなかたまりが並んだパックを包丁で破いて開けた。
「なにアルかこれ。生臭いアル。男と女の隠れた事情並みに生臭いアル」
「週刊誌かおめぇは」
銀ちゃんはわたしの頭を肘で小突いた。お返しにふくらはぎをスパーンと蹴ってやったらグエッと言った。
「ちょ、やめなさいよ。人がせっかく旨いもん食わせてやろうと親切に」
「こんな生臭いもんが旨いわけないネ」
わたしがそう言うと、銀ちゃんはにたあっと笑った。えっなんなのそのいやらしい笑顔、この青いバディを狙っているの、って思ってちょっと引いた。
「そんなこと言っていいのかー?」
銀ちゃんはガスレンジの真ん中の、引き出しみたいなやつを引っ張った。なんだっけ、グリ、グリ、
「グリルな」
「それな」
「それなじゃねぇよ」
赤いかたまりを箸でつまんで乗っける。
「お前が鮭茶漬けサラサラとか言うから、食いたくなっちまったじゃねぇかよ」
「えっ」
かたまりをふたつ並べて火をつけて引き出しを閉めた。ボボッとしけた音がして、オレンジ色の炎がかたまりを炙り始める。
「鮭」
「これが?」
「そう」
「鮭茶漬けの鮭アルか?」
「だからそうだって。火加減いじるなよ」
グリルを覗きこむわたしの頭をぽんと叩いて、冷蔵庫を開けてあれやこれや出して、銀ちゃんはわたしがうろうろくっついていても気にならないみたいに、さっささっさと鍋やおたまを使って、あっという間にいい匂いのするものを作った。
ご飯が炊けてもすぐに炊飯器を開けちゃだめなんだって。十分待って、それからしゃもじで混ぜる。ぐちゃぐちゃこねるんじゃねぇ、スッスッとこうスッスッと、とか難しいことを言う。マダオが。
ほかほかのご飯をお茶碗にてんこ盛りにして、お箸を出す。お茶碗は欠けてるし、お箸の先っちょははげてるけど、自立した女はハードボイルドに生きる運命だから、わたしは気にしない。
銀ちゃんは色々なものを並べて、わたしは目を丸くしてそれを眺めた。これはこれはと指さして聞くと、名前を教えてくれた。焼き鮭、豆腐とネギのお味噌汁、卵焼き、大根おろし。
「これは知ってるネ!たくあん!」
「コラ!箸を突っ込むんじゃねぇ!ったくここは動物園か」
わたしと銀ちゃんはぎゃあぎゃあ言いながら、そうやって初めてふたりだけの朝ごはんを食べた。初めて食べた焼き鮭は、わたしが知ってる鮭茶漬けの鮭とはちょっと違った。卵焼きも、生卵とは全然違う味がした。ずぞぞっとお味噌汁をすすったらまた怒られた。
銀ちゃんがわたしの手元を見て頭を掻いた。
「そういや古いもんしかねぇもんな。しょうがねぇなあ、あとでおめぇの茶碗と箸、買いに行くか」
「ほんとアルか!だったらこんなちっちゃいのじゃなく、ご飯三杯くらい入るお茶碗がいいネ!ラーメンのやつがいいネ!」
ご飯をかきこみながら言ったらまたまた怒られたけど、わたしはとっても嬉しかった。
あれからずいぶん長いこと経って、炊飯器は二回壊れたし、ガスレンジも一回取り替えた。銀ちゃんは相変わらずマダオで、最近は加齢臭に怯えている。このあいだ、おめぇここから嫁に行く気か、ってすごく嫌そうに言うから、心配しなくてもその気になったら駆け落ちでもなんでもしてやるネ、って言い返したら怒られた。
もう鮭も焼けるしお味噌汁も作れる(卵焼きはわたしのことが嫌いみたいだ)けど、わたしはハードボイルドとはいえ優しい自立した女だから、銀ちゃんがわたしの世話を焼きたいうちはしたいようにさせてやるネ。今日の魚は鯵の開きで、お味噌汁はわかめとお揚げにしたヨ。そろそろ銀ちゃんを起こして、卵焼きを作らせるアル。
「起きろヨー、マダオー」
襖の向こうでうーっと唸る声を聞きながら、ふたりぶんの朝ごはんの準備をする。あの日買って貰ったお茶碗とお箸は、毎日丁寧に使って洗って、今朝もテーブルに載る。
20131103
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