シャワーを浴びて戻ると、たいてい土方は布団の横に座って煙草を吸っている。俺はゆっくり近づいて腰からタオルを剥がす。俺を見る彼の目にはうっすらと欲望が浮かぶけれど、彼はそれを隠すように煙を吐く。おまけに吸い差しを灰皿に押し潰す指先や、ぐっと腰を抱き寄せる腕に、俺の注意はすぐに逸れるから、土方の目に光が点る瞬間をよく見逃してしまう。

「髪」

うなじから胸を伝って水滴が落ちると、きまって土方は文句を言う。

「乾かして来いっていつも言ってるだろう」

「めんどくせえ」

俺もきまってそう答える。すると土方は舌打ちしながらもタオルを掴んで俺を自分の足の間に座らせ、乱暴に髪を拭いてくれる。その時の俺はさっき土方がそうしたみたいに、タオルの陰に目を隠して見られないようにする。たぶん自分が優しく撫でられる猫のように、傲慢で幸せそうな、蕩けた顔をしているだろうと思うからだ。

土方の手が性的な意図ではなく俺に触れるのは、その時だけだ。





たまにね、と軽い調子で言ったら、土方は眉間の皺を深くしてじっとこっちを見た。

居酒屋はざわざわしていた。与太話をするのにも、それを笑い飛ばすのにもちょうどいいくらいに。

そんな空気に乗っかって、土方が笑い飛ばしてくれたらそれが一番いい、と思った。あるいは、くだらねえ、馬鹿馬鹿しい、からかってるのか、って怒ってもいい。とにかく、こんなふうに物も言わず見返されるのはたまらない。

やがて土方は目を逸らし、残っていた酒を飲んだ。俺は、彼の喉仏が動くのを見ていた。うっすらと酔いに染まった肌や、首から肩にかけての線や、煙草に伸びる手や、そんな、土方の色々を見ると、いつも体の奥の方がじりじりと焙られたようになる。

「たまにって、おまえ」煙草に火をつける。「……そんなに困ってんのかよ」

「困ってますよぉ」

「……」

土方はますます眉をしかめ、深く煙を吸いこんだ。

尋問でもないのに、俺は勝手にべらべら喋った。なにせついさっき、いかがわしい宿屋から客のオッサンと出てきた現場をつかまれたのだ。土方はひどく間抜けな顔をしていたが、とっさに笑えなかった俺も、負けず劣らずだっただろう。いちばん見られたくない相手に見られた。その恥ずかしさが、俺の口を動かしていた。

「というわけだけど、引っ張る?」

「そういうのは俺の仕事じゃねえ」

土方は素っ気なく言った。

「それに野郎の売春なんざどうでもいい」

「あっそう」

後ろの座敷でどっと笑いが起こって、俺たちはそれを背中で聞いた。土方は猪口の上で徳利を逆さにし、つまらなそうに空かよ、と呟いた。その瞬間、俺は彼の腕に手を載せていた。土方はちょっと肩を震わせたが、振り払おうとはしなかった。右手はまだ徳利を掴んでいた。

「とは言うものの俺もさ」

口だけが滑らかに回るのがおかしくて、俺はへらへら笑った。

「もういい加減ああいうオッサンの相手もいやんなっちゃってたところだからさ。ねえ土方、なんでもしたげるからお金」

土方のぎょっとした目を見なかったことにして、俺は口早に言った。

「お客になってよ土方、お前ならさっきのオッサンよりはずっといいし、サービスするよ」

土方がどんな顔をし、なんと答えたか、正直俺はよく覚えていない。頭の中が茹でられたように熱くて、くらくらと揺れていた。適当なホテルに入ってベッドで縺れ合っているあいだも、その感覚は続いた。記憶にあるのは、安っぽい黄色の明かりに照らされた土方のどことなく苦しげな顔と、暑いのか寒いのかわからない、ただ悪寒が背中を走り抜ける感覚、そして、終わったあとに土方が俺によこした何枚かの紙幣の、微かなインクの匂いだ。





「久しぶりだよね、お客さん」

ふざけたくてそう言うと、土方は嫌そうに顔をしかめた。その顔を上目遣いに見ながら、パリパリに糊のついた備え付けの薄い浴衣を彼の身体から剥がしていく。剥き出しになった肩に手を載せて、形のいい耳に舌を這わせた。土方も手を伸ばしてゆるく俺の腰や背を撫で、俺たちの距離は一気に縮まる。気持ちは繋がらなくても、体はこんなに。

「忙しかった?」

「まあ、な」

「溜まってる?」

「ん」

土方は頷き、俺の肩に鼻先を押しつけてきた。俺は膝立ちのまま土方の頭を抱き寄せ、そのてっぺんにキスをした。まだ髪が少し湿っていてつるつるする。土方はいつも念入りにシャワーを浴びるし、トリートメントも忘れない。帰る前にも同じようにする。俺はいつもそれがちょっと切なかった。

土方の手が脇腹を這い上がり、親指が乳首をゆっくりなぞる。金貰ってるんだから好きにしていいんだぜ、と何度か言ったけれど、土方は俺に無茶なことはしない。彼が首を持ち上げて傾け、唇を求めてきて、俺は応えた。これが前戯じゃなくてただの……ただのキスだったらいいのに、などと虚しく想像しながら、舌を絡める。土方の耳や首筋を愛撫し、彼の手に胸を擦り寄せた。互いの息が荒くなる。土方が俺の舌に歯を立てて、俺が思わずびくんとすると、それをきっかけのように、彼は俺を押し倒した。されるがままの俺の、首や喉、胸に唇が吸いついてくる。土方のうなじを抱いて、髪を切ったな、と手触りで気づく。たぶん昨日か一昨日。

土方が俺を見た。

「お前も」

「ん?」

「溜まってんじゃねぇの」

言いながら彼の肘が下腹に触れた。ぬるりと溢れたのがわかるくらい、俺はもう興奮している。俺は答えず、土方の背に強く腕を回した。土方の熱い息が、舐められて固くなった乳首に当たって、全身がぞわりと震えた。

好きな、とても好きな相手に金で買われて、そしてその相手はこうしている間はすごく優しくて激しくて、俺たちはまるで愛し合う恋人どうしのようにこんなことをして、俺はしている間ずっと、好きだなあやっぱり好きだなあって思い続けることができて、だけど相手はそんなこと全然知らないのだ。興奮しないわけが、ない。

土方が勃起してきたのがわかって、俺は重なったふたつの体の隙間に手を差し込み、やんわりとそれを握った。すっかり覚えてしまったそのかたちを指とてのひらでなぞり、しだいに濡れてくる感触を楽しんでいると、土方が体をずらし、互いのものを擦り合わせてきた。やらしい、と笑った俺の声は欲情に掠れている。やらしいの好きだろ、と返す土方の声も。ふたり分のものは俺の手に余って、滑ったり外れたりしていると、土方の手が助けてくれた。ぐちゃぐちゃと淫らな音を立てながら、俺も土方も喘いだ。俺は、愛撫の激しさに耐えきれなくなったふうを装って土方の背をきつく引き寄せ、彼の匂いをいっぱいに吸いこむ。好きだと言わないかわりに彼の肩に額を擦りつけ、呻いて、欲しい、と囁く。

土方はもちろん、そんな俺の言葉や仕草を、客へのサービスだとしか思わないだろう。だから俺は欲しい、と繰り返し、くれよ、とねだることができる。ふたりの先走りでどろどろになった指を尻に突っ込み、掻き回しながら、土方が欲しい、とうわごとみたいに口にする。本当にそう思っているから、そのセリフは切羽詰まっていて、我ながらおかしくなる。土方が眉間にぐっとしわを寄せるのが見えた。いつもの不機嫌そうなそれではなく、やりたくてたまらない時のそれ。俺は安堵して、開いた両足で彼の腰を挟む。熱くて硬いものが股間を滑り、指を引き抜いたところにあてがわれた。土方は俺の片足を胸につくくらい持ち上げてから、ゆっくりと挿入してきた。

「あ、あ、ひじ、かた」

「う、締めんな、馬鹿」

土方が俺の上で呻く。そのちょっと苦しそうな顔を見上げて、俺は陶酔にも似た気持ちになって、ああ今だけはこうして甘えるように土方の名前を呼んでも、怖がってるみたいにしがみついても許されるし、たとえ土方が頭の中で他の誰かを抱いてたって、実際に体を重ねて共有しているのはこの俺なんだ、という独りよがりの満足感に満たされる。

「ん、あっ」

「もうちょっと力抜けよ。きついな……」

久しぶりだったし、準備も足りなかったのか、なかなか入らなかった。こじ開けられてなんとか亀頭の部分を飲み込んで、いいよ、だいじょうぶ、と言いながらも反射的にずり上がってしまう俺の腰を掴んで、土方がやや強引にすべてを納める。しばらく、ふたりのせわしない息遣いだけが響いた。俺は土方の背中を抱き締めて目をつぶっていたが、不意に、土方がくくっと笑いを漏らしたのを体の震動と共に感じ、目を開けた。彼はぴったりと俺に覆い被さっていて、笑いは俺の肩口にじかに響いてきた。

「な、なに……?」

笑われるようなことをしたのだろうか。むくむくと不安が頭をもたげる。土方はまだ小さく笑いながら顔を上げた。少し汗をかいていて、悪意のない笑いかたをしていたけれど、それはちっとも俺を安心させてはくれなかった。

「いや……。なんでこんなに苦労してまでお前とやってんだろう、と思ったら、おかしくなって、いてぇ、だから締めんな、って」

土方は苦笑いしながら、繋がっている部分の皮膚を指で撫でた。いつもなら俺をよがらせるその愛撫も、ただただ自分たちがしている行為の不自然さを思い知らせるかのようで、俺は唇を噛んで体を固くした。土方が気づいて不審そうにした。

「どうした?痛かったか、わりぃ」

「……いや」

「んだよ」

「なんでもね」

首を振って、再び目を閉じて、土方の頭を抱え直した。こうしている時にだけ味わえる、きれいな頭蓋骨のかたち。いやだ、なくしたくない。

「……なあ、めちゃくちゃにしても、いいんだぜ」

「ん?」

土方は俺の耳の下を吸いながら聞き返した。ぞくぞくする快感がやっと戻ってくる。

「最近マンネリな感じだったかも、だよな、あれなら、なんか新しいことしてみる?SMごっこくらいなら対応するぜ。あ、お前手錠プレイとか目隠しとか好きそう」

「お前に手錠?」

土方は笑って俺の腕をとり、手首に唇を当てた。そう、そうやって欲情してよ、もっと。

「あ、土方くんMだっけ?じゃあ土方くんに手錠、ん」

土方が腰を突き上げてきて、俺は顎を反らせて喘いだ。

「それも楽しそうだけど、急にどうしたんだよ」

どうしたもこうしたもねえよ、と俺は心の中で喚く。俺たちにはセックス以外なにもないじゃないか。お前が俺とこうすることの馬鹿馬鹿しさに気づいて、面倒に感じちまったら、俺たちは終わるしかないじゃないか。お前の目が、裸の俺を見ても欲望を浮かべなくなったら、俺はすべてなくしちまう、だから、

「……ん、待て、おい」

気持ちがたかぶるままに唇にむしゃぶりついていた俺を押し離して、土方はまじまじと目を覗きこんできた。

「お前、まだ、そんなに困ってんのか。ちゃんと食えてんのか?」

どうやら土方は俺の焦燥を金欲しさと解釈したらしい。ああ、それならそれでいい、と思った。

「いつだって困ってるよ。だから、これからもごひいきに」

ね、と念を押しながら、土方の腕に爪を立てた。土方はちょっと困ったような目をしたが、曖昧に頷いて、唇を重ねて舌を入れてきた。俺が腰を動かして誘うと、その唇は笑みの形になった。よかった。始まった律動に体を預けて声を上げながら、俺は安堵して涙ぐみそうだった。





目が覚めた時、最初に感じたのは自分に残る土方の匂いだった。寝ぼけたまま、未練がましくそれを吸いこんで、瞬きした。土方はくわえ煙草で帯を締めているところだった。いつも通りシャワーを浴びて、髪もきれいにとかしてある。

「帰んの」

声をかけたらこっちを見て、頷きながら少し目を細めた。普段よりはずっと柔らかい表情をしている。

「朝まで寝てくんだろ。先に出る」

「ん」

できるなら、一度、一緒に朝寝がしてみたいなあ、と俺は贅沢なことをぼんやりとした頭で考える。かなわないのを承知で。

土方は近づいてきて、財布を出した。紙幣を抜いて枕のそばに置く。毎度あり、と呟いたら、頭に手が置かれて、俺は目を見開いた。

「ちょっとイロつけといてやったから、あんまり馬鹿やるなよ、お前」

「……ん?」

俺は目だけ動かして見上げた。煙草の煙の向こうに、瞳孔が開きぎみではあるが、気遣わしげな土方の目があった。煙にごまかされてそう見えるだけ、あるいは俺の願望がそう見せているのかも知れないけれど。

「久しぶりだった俺が言うことじゃねえが、あんまり他の客、取るな。あれだろ、ガキどもにも示しがつかねえだろ」

俺は笑った。顔がくしゃくしゃになるのが自分でもわかった。これくらいのことで、天にも昇るような、

「お前はどうなのよ」

そう聞いたら土方はむすっとした、ように見えた。

「俺は例外だ」

「あっそう」

「そうだ」

俺たちは一瞬、小さく声を合わせて笑った。ほんの一瞬だったけれど、俺はそれだけですごく幸せな気分になった。

土方が出ていったあと、俺は枕元の札を手にとって眺めた。折れ目としわと手垢のついた紙切れから、やっぱり微かにインクの匂いがする。この紙から生じる欲望が、俺と土方を繋いでいる。次に会う時も、俺は土方の目を覗い、欲望が浮かぶようにと願うだろう。

「……いっぺんくらい、タダでやってみてえなあ」

俺は紙幣に向かって呟いた。そして金を枕の下に押し込み、シーツを鼻まで引っ張り上げた。じんわりと体が怠い。閉じこめた土方の匂いのなかでしばらく眠ろう。今はそれが俺にできるいちばんの贅沢なのだから。















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