*遊女銀
真撰組の土方が会いたがっていると聞かされて、俺はひどく興味をひかれた。相手の狙いは読めるし、読まれていることを土方もわかっているだろう。おもしろい、と思った。
少し暑さも引いた晩夏の夕、風呂上がりの肌にお白粉をはたきながら、高杉が知ったらえらく怒るだろうな、と、俺は鏡の中にひとりごちた。高杉は蛇蝎のごとくに真撰組を、ことに副長の土方を忌み嫌っている。土方は土方で、高杉には何度も煮え湯を飲まされているから、嫌いなのはお互い様だと言うだろう。
それにしても、高杉が江戸にいない時でよかった。そういえばこの間ここに忍んで来た時、やつは俺の膝を枕に、小指をくれないかとねだった。そういうのは俺が好きでやることで、お前から言うことじゃないだろうといなしたら、ちょっとがっかりしていた。俺だってまあ、高杉が喜ぶなら小指の一本くらいくれてやらないこともない、と思ってはいるが、別にわざわざそんな痛いめを見なくてもいいじゃないか、とも思うのだ。それに、俺はそんなになんというか、真っ当な人間じゃない。小指を差し出して誓うなんて、そんな神聖な儀式に値するとは、どうにも思えない。
噂には聞いていたが真撰組副長土方十四郎はなかなかの男前で、花街の儀礼にはずれないギリギリのぶっきらぼうな振る舞いも、新鮮で悪くなかった。堅苦しくて融通がきかなくて、でも、隙がない見た目とは裏腹にけっこう抜けている。出された膳にうっかり膝をぶつけて、とてつもなくしまった、という顔をした。案外かわいいところもあるじゃないか、と俺は笑みを噛み殺した。
土方は舞や音曲などにはほとんど興味を示さず、たいこもちのお愛想にも仏頂面を崩さずに黙々と呑んでいたが、ふと気づくと、盃を口に当てながら、ひたと俺を見つめていた。その目つきはさすがに鋭く、俺は背中がぞくぞくした。高杉も目つきの悪さじゃ劣らない。が、土方の目は高杉よりだいぶ理性的で、激昂もせず前触れなしに人を斬りそうな恐さがあった。
「−−噂どおり、美形だ」
二人きりになって、土方はまずそう言った。機嫌を取ろうという口振りではなかった。そして、またあの鋭い目で俺を見た。俺はその視線をよけて銚子を取り上げた。
「どうぞ」
土方はふんと笑ったが、素直に酌は受けた。酒で少し顔が赤いが、声は低くしっかりしている。
「高杉もこうして呑むか」
「なんのことやら」
土方は唇の片端を持ち上げた。
「別に取って食う気はない。今さらとぼけるこた、ない」
「土方さまこそ、何もわざわざこうしてお金をかけて遊びにいらっしゃらなくても、お取り調べならこちらから出向きましたのに」
わざとらしく袖で口元を隠してホホ、と笑い返した。土方はじろりと横目をくれた。
「お前、高杉とは長いらしいな。ずいぶん貢いでやってるそうだが、そんなに惚れているのか」
俺は肯定も否定もせず、微笑したまま聞き流した。お互い鼻をたらしていた時分から知っているから長いは長い、けれど惚れているかといえば、小指をやってもいいくらいには情があり、そんなものやったってしかたないと思うくらいには冷めているのだなんていう、他人にはわかりっこない心情を、あえてこの男に話す気はない。
「あいつは阿呆だ」
土方がぼそりと呟き、俺は顔を上げた。彼は盃を手に、あらぬ方を眺めていた。悔しいが、絵になっている。今日は体裁よく商家の若旦那みたいな揃いを身につけているのだが、ニュースで見る、あの黒い不吉な洋装の方がより似合っているな、と思った。
「わざわざ目立つやり方で時勢に逆らって、うまくいかなきゃ駄々をこねるなんざ、子供のやることだ。あんたからも言ってやれ。それじゃ道化と同じだって」
「……」
−−わかってらぁな。……俺ぁ、時代の捨て石よ。
いつだったか、酔った高杉が、三味線をつま弾きながら淡々と呟いていた。
−−それ以上のものにはなれねぇし、なりたくも、ねぇ。……なぁ、銀時。……お月さんが綺麗だぜ……
振り切るように瞬きして見返すと、俺を見る土方の口元には薄い笑みが浮かんでいた。その顔のまま、盃をぐいと突きだして酒を催促した。かっときて、気づくと俺は思わずその盃を叩き落としていた。盃は音は立てなかったが、わずかに残っていた透明の酒がこぼれて畳に染みた。土方がククク、と笑った。
「怒ると美形が台無しだ」
引っ掻いてやろうかと腕を伸ばしたら、手首を掴まれた。体温の高い、熱い手をしていた。土方は顔を近づけて、俺の目を覗きこんだ。彼の瞳の奥の方で、苛立ちが燻っていた。
「高杉は平気なのか」
わざとらしい作り声を出しながら、土方は空いている手で俺の顎を持ち上げた。
「自分がおままごと遊びをしてる間、あんたがこうしてよその男に」
固い指が唇をなぞって、せっかく丹念に引いた紅をはみ出させてしまう。俺は土方を睨みつけた。整っているが険のある彼の顔が、すぐそばにある。今にも唇が触れそうだ。息がかかる。
ああ、いやだな、と俺は思った。こいつに抱かれるのはなんだかいやだ。
クク、とまた、土方が喉の奥で笑った。いくらか険しさを消した顔で、彼は俺の頬を両側から手で包んだ。
「商売だろう。そんなにいやそうにするな」
「……いやだなんて」
俺は目を瞑り、体の力を抜いて、土方に任せた。奥に連れて行かれ、帯のほどかれる衣擦れを聞きながら、なぜかひどく心もとない、子供の頃のような気持ちになった。
それから土方は、時々通ってくるようになった。特に高杉についてしつこく聞くこともなく、ごく普通の旦那のように小さな宴席を設け、酒を呑んで、仕事の急な知らせが入らない限りはたいてい朝まで俺と過ごした。秋も深くなる頃には、土方は俺の馴染みの中でも上客に数えられるくらいになっていた。不調法で不粋なのは変わりようがないが、下の者を邪険にせず、心付けを弾むというので店の受けもよかった。
「よく飽きないもんですねぇ」
ある夜、少し呑みすぎた土方を成り行きで膝枕してやりながら、俺はそう言って笑った。だるそうに目を閉じた土方が、ああとかううとか唸った。
「こっちはありがたいですけど。なにも律儀に義理立てしなくたっていいんですよ。男の体なんて、もう目新しさもないでしょう」
返事を期待せずに言ったのだが、土方はおもむろに目を開け、下から逆さまに俺を見つめた。まじまじと、こちらが気まずくなるくらいひとの顔を見て、やがて言った。
「ばか」
「……」
「お前こそ、飽きたんじゃないのか」
「そんな、ご冗談。高い揚代いただいてますから」
「ふん」
鼻で笑いながら土方は俺の手を取り、てのひらに唇を押し当てた。柔らけぇな、と、誉めているのか呆れているのかわからない声音で言って、今度は、指先についばむように口づける。
「最初は高杉の馴染みの顔を拝んでやろう、って思っただけなんだけどな」
土方は俺の手に口を寄せたまま、ゆっくりと喋った。目は閉じている。空いている手で、すっきりとした形の良い眉をそっと撫でてみた。
「最近、来てないんだろう、高杉」
「……」
「俺のせいかな」
「さあ……」
あっさり言ったつもりだったのに、母音が未練がましくため息みたいに尾を引いた。それを聞き取ったか、土方が小さく笑う。
「会いたいだろう」
「いいえ、別に。元より深馴染みというわけではありませんから」
「この嘘つきが」
そう言って、土方は俺の小指の先を軽く噛んだ。ちょっと痛い。
たとえ会いたいと寂しがったどころで、高杉はいま、江戸はおろか地球にいないらしい。宇宙のどこかをふわふわ漂っているとかいないとか。高杉と宇宙船なんて、似合うんだか似合ってないんだかわからなくてなんとなく笑っちまう。でもいいな、と思う。自由に空を行き来して、好きなことをやればいい。地球ひとつ、足の下に踏みつけて。
終わったら迎えにくらぁ、というのは高杉がよく口にする戯れ言だ。終わったら隠居する、終わったら墓参りに行く、終わったらおめぇと、終わったら。
あまりにも、終わったらなんとか、がたくさんで、俺は今ではもちろんそんな戯れ言のいちいちを真に受けちゃいない。ただ頷いて聞くだけだ。
「来い」
土方に促されるまま、彼の胸に倒れこむ。着流しの衿に顔をつけると、いつしか馴れた土方の体臭と煙草の匂いがする。背中やうなじを撫でている温かい手を、俺は決して嫌いじゃないのだと、突然気づく。
ああ、だからこいつと深い仲にはなりたくなかったのに。
「なあ」
「言わないで」
「……」
「言わないで、お願い」
うん、としょうがなさそうに答えて、土方はそれでも機嫌を悪くしたりしないで、じゃあこないだの小唄をまた聞かせてくれよ、なんて言う。良いですよ、と答えて体を起こしながら、俺は、やっぱり小指は高杉にやればよかったかな、などとぼんやり考えている。そんなガラじゃあないくせに。ああ、どうやら外は雨になったらしい。さあさあと、秋の夜を濡らす物寂しい音がする。
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