「…んが」

自分の間抜けなイビキで目が覚めた。よだれが出ているのを感じて口元を拭おうとしたら、腕の不自由さに舌打ちが出た。ひとの腕を枕に傍若無人な寝息を立てている男は、まるで子供のように体温が高い。また寝起きに暑い暑いと騒ぐに決まっている。オノレのせいなのに。

「お、もい、わ、コノヤロー」

少々乱暴に振りほどいて、腕の自由を取り戻した。男の頭はゴンと敷布団に落ちたが、彼は相変わらず気持ち良さそうに熟睡している。それだけはうらやましい艶やかな真っすぐな黒髪が、これみよがしに目の下にある。一掴みほどひきちぎってやろうか。

さっきまであんなことやこんなことをして乱した布団は、敷いた位置よりだいぶずれている。くしゃくしゃに丸められたティッシュを、恨みがましく眺める。ちゃんと後片付けしろよな。

「…って、こないだも言っ、た、よな」

こっちを向いている耳たぶをつまんで文句をつけたが、返事はない。まったく、人んちでよく寝やがる。会うたび、忙しい忙しいと眉間にシワを立てるから、一度、そんなに忙しいなら来なきゃいいと言ってやったら、分かりやすく拗ねた。拗ねたのだ。いい大人が。

「まだ暗くなってもいねぇってのによ」

いうことを聞かない髪の毛に指を突っ込んで独り言を呟いた。半分ほど開けたままの窓の向こうには、水墨画に水に溶いた朱墨を流して金粉を散らしたような、終わり切らぬ夏の黄昏の空が、のびのびと広がっている。屋根に反射し、ガラスに照り返し、それでも真夏とは違う、斜度の緩やかになった夕日が、肌にじんわりと染み込んでくる。

しばらく、ぼんやりと空を見ていた。ふと、目の奥が痛くなった。どうしてわけもなく涙が出てきそうになるんだろう。懐かしい何かの匂いがする。なんだろう、これは。

−−ああ、あの温かい手が頭を撫でた、あの時の匂いだ。草いきれや温められた土の乾いた薫り。夕日を背にして柔らかく微笑むあの手の持ち主は、穏やかな声で何か言っている。もどかしく記憶をまさぐってみても、彼がなにを言い、自分がそれになんと答えたか、それとも答えなかったのか、よく思い出せない。−−あの夕暮れは、いつまでも終わらない。幸せも不幸も、あの夕景に閉じ込められている。額縁の中の絵のようだ。

あの人がそうしたように、眠る男の頭に手を置いた。夕空はしだいに眩しさを増し、風は涼しくなってゆく。今日という日が、惜しみなく燃え尽きようとしている。子供時代もそうだったし、これからもそうだろう。人間がどう足掻こうと、空はあの日と何も変わらない。太陽は沈み、夜を越えてまた昇る。美も醜もなく、ただ繰り返す。

優しく手首を掴まれて、男が起きていたのを知った。彼の、まだいくぶん寝ぼけた目を覗き込み、その中にも黄昏の光が映りこんでいるのを見つけて、思わずちょっと笑った。あの人と見た景色とはまた違う、ふたりだけの一瞬が重なっていく。ふと昔に戻ったり、未来を描いたりしながら、でもここにしかない今を生きている。

ああ、時間は止まりも戻りもしない。だが縮んだり引き伸ばされたりはするのかも知れない。閉じ込められていたあの夕焼けが、今、頭上の空に溢れ出す。なかなか悪くない。

「見ろよ、きれいな空だぜ」










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