好きだ、と言われた時、俺はそれはほろ酔いでフワフワといい気分だったものだから、すうっと耳に入ってきたそのひとことは、まるで春の夜風のように心地好かった。とろけるチョコクリーム、ちょうどよく溶けたアイスクリーム、柔らかいわたあめ。そんなもののひとつみたいな感じがした。

横目で見ると、やたらいい声で好きだ、と俺に言った男は、煙草をくわえたまま、何も言ってないよとでも言いたげに、フワリフワリと煙をたなびかせていた。少し首を倒して、ぼんやりと前を見て、堅苦しい隊服の衿をわずかに寛がせていた。顎から喉仏のラインがすんなりときれいだ。何よりもそれを思った。吸った息を吐いて、あの喉を通って、好きだ、という言葉が放たれたんだなぁ、と。

そう思うと、たかが好きだ、のひとつの言葉が、なんだかとても透明で儚くて、生まれたての赤ちゃんが上げる声のように必死で純粋な、壊してはいけないものであるような気がした。できることなら、このてのひらに落ちないようにそっと受け止めて、包みこみたいくらいに。

そうするかわりに、俺は目を上げて、咲き誇る桜を見た。重なり合った花びらが重たげに緩くしだれ、まだ肌寒い夜風に逆らって揺れていた。ああ、とても、

「……いい桜だな」

さらさらと桜色の花びらが、気まぐれな春の雨みたいに降ってくる。めぐりめぐる季節の中に、こいつがいる景色が浮かぶなら、きっと俺もこいつのことが好きなんだろう。たぶん。あやふやに。ぼんやりと。まるで春霞のようだけど、確かにそれは自分の中にあるあったかいもの。

「なあ、」

「散らないうちに夜桜見物、」

捕まえようと伸ばされた手をかわして、俺は駆け出した。追ってくる足音を聞いて、頬が緩んだ。なに?このまま手に触れてキスとかしちゃう感じ?ひー、恥ずかしい。

この桜は明日には散ってしまうかも知れないけれど、この−−真っ黒い目つきの悪いお巡りさんと眺めた桜を忘れることはないだろう、と俺は思った。

「願わくば花の下にて、」

最後まで言う前に、彼の手が、俺のどこかを掴んだ。あっけない鬼ごっこは、引き分け?お前の勝ち?

とてもとてもきれいな夜のことだった。










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