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夜になって政務から開放された私は、その足で急いで彼の部屋へと向かった。
先触れは出してあり、一緒に夕飯を食べようとお誘いも受けていたので遠慮することはない。
いや、そうしておかないと鉢合わせる可能性があるので気を使ったのだが、おそらく彼にはお見通しだろう。
それは、我が鳳王様の部屋だ。日が暮れて人目につかなくなると、身辺警護として常にそばにいる恋人とイチャイチャする時間なことは、私も良く知っている。
叔父にはまだ内緒だと鳳王様が言うので従っているが、あの事件のすぐ後に私は彼の思い人を知っていた。
よく考えればわかることだ。
あの短時間に私の短慮を事前に阻止するためとの名目であの人が行為に及ぶことのできる相手など、あまりに選択肢が狭い。
その後の仲睦まじさを間近で拝見していれば、わからない方がおかしいというものだ。
その部屋で待っていたのは、シン様一人だけだった。
この時間ならまだここで警備の職務中であるはずの叔父は、なぜか姿が見当たらない。
きょろきょろと探してしまったのがわかったらしく、シン様は軽く苦笑を見せた。
「リャンチィなら今日はお休みだよ。風邪引いたんだって」
「おや、それではお見舞いにいらっしゃればよろしかったのに」
「場所知らないもん。それに、俺の立場で護衛官の共もなく一人で外出なんてできないだろう?」
破天荒な性格の割りに、ご自分の立場をよく理解されて私に対しても無茶をおっしゃったりしないシン様に、私は少し悲しい思いをさせられてしまったのだが。
ある日突然この世界に攫われてきてまだ一年も経たないというのに、国の生い立ちをご存知なせいなのか、国の先行きを案じ国民を想いやり自分の置かれた立場を歴代のどの鳳王よりもよくわきまえておられる。
そのための判断なのはわかるが、だからこそ好きな人の病の時くらいその気持ちのままに振舞わせてあげたいと想うのだ。
私が不甲斐ないばかりにこの人に思いのままに動いていただけない現状が実に歯痒い。
最近では私と彼の関係を誤解した心無い人間に陰口を叩かれているのも耳にしている。
いちいち反応していては反対に肯定するようで、何をすることもできないのだ。
彼自身は根も葉もない噂など気にもせず、態度を変える様子は見られないのがありがたいのだが、これは彼が大人の分別を持ち合わせているからに他ならないのだろう。
「で、どうしたの?」
こんな時間に珍しい、と先に用意させていた料理に手をつけながら問いかけてくるシン様に、私も食事に手を伸ばしながら答えた。
相変わらずシン様に用意される料理は辛味を抑えた家庭料理で、彼自身の食の好みが伺える。
ニホンも箸の文化があるそうで、はじめはこの世界の箸が少し長いと使い辛そうにしていたがそれも慣れたらしい。
流れるような箸使いと箸先しか汚さない食べ方は実に上品だ。
「いえ、シン様の歌声が謁見の間にまで届いていましたので、そのためいろいろと伝言を預かりました」
「伝言?」
「えぇ。良いものを聞かせていただいた、是非場を改めてお聞きしたい、鳳王様の歌をお聞きできる催し物など企画してはどうか、などといったことですよ」
「え〜? そんな大したものじゃないよ。っていうか、そっちにまで聞こえてたの? ごめん、仕事の邪魔だったでしょう」
「皆の手が止まってしまうので確かに仕事には支障がありましたが、たまには心安らぐ歌謡など聴きながらのんびりと仕事をすることも必要ですよ。毎日あくせくしていては気持ちが疲れてしまいます」
本心からそう答えたのだが、シン様はそれを何と感じたのか、嬉しいけれど甘やかすと図に乗るよ、と苦笑された。
甘やかしているつもりはまったくなかったので、どうぞ乗ってください、と私も笑う。
「それで、催し物を企画するという件ですが、大臣や政務に携わる高官たちが大層乗り気なのです。シン様に歌っていただくことが大前提なのでこうして意思をお伺いに参ったのですが、歌っていただけますか?」
「わざわざ企画するほどのものじゃないでしょ、俺の歌なんて。建国日の祭典でちょっと祝いの歌を歌うくらいならもちろん引き受けるけどさ」
「歌っていただけないのですか?」
「国王命令なら歌っても良いよ」
その反応は実に微妙だ。
彼には本当に国のためにも私のためにも心を砕いていただいていると知っている私は、あまり彼が望まないことはしていただきたくはないと思っている。
生まれも育ちもこの世界とは異なる文明の進んだ世界で生きてきた彼が、ここまでこの世界での生活を思いやってくださっている事実は、国の王として感謝の念に絶えるものではない。
それを前提として、この反応だ。
国王命令などできるはずがないとわかっていてそうおっしゃっているのだろう。
「では、建国日にはそのように時間を設けましょう。わが国には国歌もあるのですよ」
「そうなの? じゃあ、歌うならそれが必要だよね。教えてくれる人とか紹介してくれる?」
「はい、もちろんです。二三日中には手配するようにいたしましょう。鳳王様にご教授することとなったら、どんな偏屈でも二つ返事で駆けつけますよ。わが国でのシン様の人気は私も嫉妬するほどです」
「そんな風に言わないの。雲の上の存在と思われている守り神を、手の届く高さに引き下ろしただけだよ、俺は。国王様は敬われる存在であり続けることこそが肝要なんだし、その分守り神様は身近な方が安心感があるでしょう?」
彼の言うことはもっともだし良く理解できる。
国王は国という括りを纏めるために象徴としても必要だが身近である必要はなく、彼らの精神を支えるのは今も昔も守り神様の存在だ。
心の支えになるのは守り神様だが、生活基盤を支えている国王という存在も欠かせないもの。
つまり、どちらもこの国になくてはならない存在なのだ。
それを、彼はこうして言葉で言い聞かせてくださる。
シン様の言葉は、漠然とした人の思いを言葉に移し替えてくれるもので、名言というほどではないが深みがあるのだ。
だからこそ私もこうして彼の元に通ってしまうのだろう。
「それにしても、みんな物好きだよね。俺の歌なんかが聞きたいなんて」
「何をおっしゃいます。シン様の歌声は、それはそれは見事なものですよ」
「あぁ。やっぱり鳳だからなんだろうなぁ。元の世界ではカラオケ行っても大した得点も出なかったし、ガキの頃の音楽の成績も中の上程度だったし。歌を誉められるなんて、こっちに来てからだもん」
鳳だから、と簡単におっしゃいますが。
歴代の鳳王様の中で唯一の存在である事実を、そろそろ自覚していただけると大変助かります。
人として生まれながら鳥の姿に変化し、七色の翼を羽ばたかせて大空を舞うその姿はあまりに荘厳で、いつ見ても神々しさに目を奪われてしまう。
「鳳にできることなんて、飛ぶことと歌うことくらいだもの」
「そのどちらも、普通の人間にはできないことですよ。飛ぶことはもちろん、今日拝聴した歌声も、さすが神々を魅了した声だと驚嘆しました」
「うん、そうなんだろうね。そもそも、鳥だからできることなんてそのくらい、って意味だったんだけどな」
そんな簡単なものでもなかったんだねぇ、と本人こそがようやく気付いたようなのんびりした感想を述べるのに、私はなんだか気が抜けてしまって。
本当に、我が守り神たる鳳王シン様という方は知れば知るほど奥の深い方だと、改めて思ったものだ。
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[mokuji]
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