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そういうわけで、訪れたのは、王都郊外に位置する我が邸宅。
王族でも随分と高位にいるはずの私が、歩いて四半刻かかるこの郊外に居を構えたのは、純粋に、この広さの邸宅を建造する土地がこのあたりにしかなかったからに他ならない。
元々、私はおまけのような存在だ。
王位継承権が私にあったことは、生まれてこの方一度もない。
しかし、それでも元王の実子であるからには、それなりの地位を表す邸宅に住まう義務があり、その結果の折衷案として用意されたのが、この邸宅なのだ。
ちなみに、我が家には通いの使用人が二人いるだけで、夜間にしか戻らない私は、彼らと顔を合わせることも滅多にない、気ままな一人暮らしだ。
使用人には、大きすぎる邸宅の管理と、私の朝夕食の世話を任せている。
珍しく昼間に邸宅に戻った私に、昼食後の休憩のためか、ゆっくりと寛いでいた彼女たちは、大慌てで迎えに出てきた。
そして、私の背後に隠れるようにいたシン様に、大騒ぎだった。
シン様にお仕えできるのが嬉しくて仕方がないらしく、普段以上に張り切って、紅茶を淹れ、自分たちのために買ってあったらしい茶菓子を供し、客間の埃を払い、夕食の支度を整え、夕刻には名残惜しそうに帰っていった。
身の回りの世話は侍従のミントゥに任せるより自分でしてしまうシン様は、女性に世話をされることに慣れておらず、少し気恥ずかしそうではあった。
けれど、それよりも、訪問先で粗相をしないようにと気を張り詰めていたらしく、彼女たちが帰っていくと、途端にシン様はため息をついた。
「あぁ、びっくりした。パワフルなおばちゃんたちだねぇ」
「家のことは彼女たちに任せきりです。事前にお話しておけば良かった。お疲れでしょう?」
「ん。でも、まぁ、平気。おばちゃんたち、明るいしね。後宮の陰湿なのと比べたら、楽しいよ。良い職場なんだね。雇い主の目の前で、あれだけ楽しそうに仕事してるなんて、凄いなぁ」
それは、シン様がそこで見ているから、という理由がたぶんにあると思うのだが。
それをシン様が自覚していないのならば、自覚を促す必要も見当たらず、私は苦笑して返すのみだ。
「俺の身の回りには、いなかったからな、ああいうおばちゃんキャラ」
「おばちゃんキャラ、ですか?」
キャラ、というのがどういう意味なのかはわからないが。
おそらく、シン様のいた世界の言葉なのだろう。
時折、こちらの言葉に直せない言葉を、シン様は遠慮なくそのままで口にされる。
それは、正しく伝わらなくともニュアンスが大体伝わればそれで良い、とシン様が判断したときにこそ顕著で、今回もシン様は楽しそうに笑ったまま教えては下さらなかった。
その代わり、私の腕に擦り寄って、うっとりとした視線を向けてくださる。
この表情を見られるのは、私だけだ。
あの親密な様子のラオシェンすらも、知らないはずの、シン様の艶めいた表情。
ドキリ、と心臓が強く跳ねたことを自覚した。
「他に、使用人は?」
「彼女たちだけです」
「じゃあ……」
「えぇ、二人きりですよ。シンさ……」
ま、とまで言い切ることはできなかった。
寄せられた唇に、吸い取られて。
小柄なシン様は体重も比例して軽く、私の膝に乗りあがられても、さして痛いと感じない。
二人がけのソファは、二人座って丁度良いサイズのため、彼を押し倒すには少々狭いのだけれど。
かまうことなく、私に向かい合わせに座るように、私の腿を跨いで擦り寄ってくるシン様の、武道を嗜んでいるとは思えない細い腰を、私は強く抱き寄せた。
確かに反応しているシン様の御標が、私の腹部に押し付けられるのを感じて、私自身も否応もなく昂ぶる。
合わせた唇と、絡み合わせた舌が、湿った音を周囲に響かせ。
「シン様。食事は……」
「今、食べてる。ね、もっと……」
シン様のお夕飯は私ですか。
積極的になったシン様の言動は、思いもよらず色っぽく、元の世界でも、偶然未経験であっただけで男性的な興味は旺盛な普通の青年であったことが感じ取れる。
こんな、まるで娼婦のような台詞も、私を煽ろうという意思の下に迷いなく選ばれるのだから、知識として習得済みであったに違いない。
そういう意味では、シン様がファーストキスのお相手である私とて、男ばかりの軍部や親衛隊で暮らしたなりの知識は備えている。
ただ純真無垢であったなら、シン様の艶めいたお言葉を、理解できなかったはずだ。
ならば、私もまた、遠慮なく。
「私にも、シン様を食べさせてくださいね」
「ん。美味しく召し上がれ」
くすくすとした笑い声は子供のようなのに。
囁く言葉は手加減のない煽り文句。
それは、私にだけ有効なのだと、信じている。
こうして、余裕なく肉の快楽を強請り、私に擦り寄ってくるシン様の態度が、それを信じさせてくれるのだ。
まるで食人鬼のように、シン様の首筋に齧り付く私の頭を引き寄せて、シン様は小さく身もだえ、熱い吐息を吐く。
シン様の呼気が私の額や髪の間を抜けていくのを感じながら、私はその身体に覚えた快感の糸を一つ一つ丁寧に弾いていく。
時には焦らすように、時には執拗に。
やがて、くたりと力の抜けてくるシン様を、狭いソファに押し付け。
きっと、見下ろす私の目は、獣のような獰猛さを宿しているに違いないのに。
そうして欲望をむき出しにする私にこそ、シン様は心底幸せそうに微笑むのだ。
離さないように、腕と足とを絡めて。
「リャンチィ。大好き」
「愛している。……シン」
こうして彼を陵辱している間にしか、様を除いて呼べない私は、まったく情けない男だと、自分でも思う。
それでも、こうして呼び捨てる形で名を呼べば、彼は一瞬驚いて、それからふわりと表情を和らげる。
本当に、心底嬉しそうに。
この表情を、いつでもそばで見られるようにと思うならば、私がすべきことはやはり、唯一つなのだろう。
まだ、覚悟はつかないけれど、近い将来、必要に迫られることもまた、事実だ。
「俺の、伴侶になってくれるか? シン」
「して。ずっと、そばにおいてくれるなら。心も身体も、貴方のものに」
所詮は、身体を繋げ、快楽を追っていた最中の睦言だ。
だからこそ、私も正直な胸のうちを曝け出すことができたのだが、それがシン様もまた、最中であったからこそ言えたのだとわかるのは、まだまだ先の話。
その返事が、シン様の中でどんな意味を持っていたのか。
私が彼自身の口から聞くことになるのは、私が正式に彼に求婚した時のことだったのだ。
後から思い返せば、この時すでに、彼の心のうちでは結論が出ていたのだと、気付かされる一件だった。
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[mokuji]
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