鳳王の恋人 1
ある日突然、シン様が私におねだりをされた。
いや、おそらく、おねだりなのだろう。
自信がないのは情けない限りだが、我儘だとご自分でわかっていらして、それでもなお、私にお願いをされるのだから、やはりおねだりに違いない。
城下に構えた私の邸宅に、招待して欲しいとおっしゃったのだ。
私の名は、リャンチィ。
現王の鳳王としてこの世界に降臨なされた、シン様の護衛官を拝命している。
任命された当時、私は親衛隊の副隊長を務めており、それなりの実力も自負もあったものであったから、内心不本意ではあったのだ。
しかし、シン様のお人柄に触れるにつれ、この方の身をお守りし、常にそばにつき従うことのできる自らの立場に、現在では深い感謝の念を抱いている。
ただし、その一方で多少困った事態には陥っていたりもするのだ。
何しろ、公の立場では護衛官ながら、私とシン様の関係はそれだけに留まらず、恐れ多くも、恋人同士といった言葉を当てはめることのできる、複雑な事態なのだ。
もちろん、その感情を否定するつもりはまったくない。
もしも、シン様が鳳王という唯一絶対の存在でなければ、我が伴侶として永遠を誓うことも吝かでないのは事実だ。
だが、それは仮定の話。
シン様が鳳王である事実は変えようもなく、その事実がなければ私たちは出会うこともできなかったのだから、仮定するだけむなしいものもない。
自由奔放を信条となさるシン様には、歯痒い思いをさせてしまっているのは、重々承知している。
けれど、私にはまだ、シン様を我が伴侶であると公に宣言するだけの度量は、備わっていなかった。
そんな関係も、すでに半年。
後宮にてシン様が置かれている境遇を打開するためにも、シン様の思い人は我らが王ではなく、私であると宣言するのが一番良いことは承知している。
まるで兄弟か従兄弟のように仲の良いシン様とラオシェン王の関係を、ラオシェン王の寵愛を受けてきた女性たちが疑惑の目で見ているらしい。
また、シン様が自由に空を舞い、二日に一度の空中散歩を楽しんでおられるのが、この世界で穢れを受け、渡界の水鏡を抜けられなかった副産物であると、おそらく神官から洩れたのであろうけれど、知った権力者たちが、ならば自分の娘を、孫を嫁に、と縁談を持ちかけてきてもいる。
それらすべてを跳ね除けるだけの力が、自分の宣言にはあるのはわかっているのだ。
けれど、護衛官の立場で何たる不始末、と謗りを受ける覚悟が、私にはまだない。
情けない話だ。
わかっていて、手をこまねいている。
シン様は、どうやらそのあたりの私の心情も察しておられて、何も言わずにそれでも私に甘えてくださっている。
そんなシン様のお心に、早くお答えしなければと思うのだが、なかなか踏ん切りがつかないままだ。
その中での、珍しいおねだりに、私が拒否できようはずもなく。
頷いた私の返事に喜んで、シン様は跳ねるように軽快な足取りで、王の執務室へと向かった。
外出の許可を得るためだ。
ラオシェン王の返事は、快諾だった。
どうやら、夜間の私がいない時間帯にも、お二人は親密に交流を深めているようで、まるで内緒話をするようにくすくすと笑いながらの会話は、後宮の女たちが噂する疑惑を、肯定するかのようでもあった。
ちなみに、お二人の絆が家族愛に似た親愛であると、正しく理解している私ですら、軽い嫉妬を覚えるほどである。
変な噂は、お二人の自業自得ではないかと思われる。
「ようやく念願のお宅訪問ですね、シン様」
「だって、いずれ、って言われたっきりだもの。思わず強引に強請っちゃったよ」
「遠慮しておられるのですよ、我が叔父上は。遠慮深いお方ですからね」
「遠慮深いにもほどがあるっての。拒否されてるのかと思うじゃない」
ねぇ、と私に同意を求めないでください。
確かに、私の煮え切らない態度が、シン様をヤキモキさせている自覚はあるので、私は否定することもできず、ただ困って顔を伏せるだけだ。
赤くなっちゃって、可愛い、と嬉しそうにシン様が私をからかわれる。
それを無邪気な笑顔でおっしゃられるのだから、シン様の方こそ可愛らしいと思うのだけれど。
思わず見詰め合ってしまった私たちを眺め、ふいにラオシェンがパンと手のひらを打つ。
自分に注目を促すためであろうそれに、私たちは大慌てで従った。
誰が見ているとも知れない公の場で、なんと恥ずかしいまねをしてしまったのか。
「さぁさ。思い立ったが吉日と言いますし、早速今日にでも御出でなのでしょう? シン様に謁見希望の入らないうちに、お出かけなさいませ。お帰りは明日ですね?」
「うん。お泊りで良いの?」
「どうぞどうぞ。シン様が遠慮なさることはありませんよ。親しくしている友人の家に泊りがけで遊びに行くのに、誰が咎めますか? ゆっくり羽を伸ばしていらしてください。時には休養も必要ですよ」
どうやら、シン様が緊張を強いられている現状を、ラオシェンも正しく理解していたらしい。
これには、シン様も真面目な顔をなさって、深く頷いた。
「うん。ありがとう」
突然異邦より呼び寄せられて鳳王としての義務を押し付けられて、それでも求められる以上に心を砕いてくださるシン様に、われわれができるのはたった一昼夜の休養程度を与えることだけ。
ラオシェンが、王の立場でもできる、休暇の許可や外泊の手続きを引き受けるならば、護衛官としておそばにつき従う私がするべきは、シン様のお心を休ませる大事なお役目なのだろう。
その方法が私自身の欲望に直結してしまうのは、実に情けない話ではあるけれど。
「シン様。参りましょう」
「いってらっしゃいませ、シン様」
にっこりと笑って見送ってくれるラオシェンに、シン様は嬉しそうに笑い返した。
「行ってきます」
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