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シンの生活は事件を境に一変した。
事件前は勉強に明け暮れる毎日だったが、今は『かめら』とシンが呼ぶ機械の作成に取り掛かっている。
一つは光沢を持つ紙の開発。
一つはガラスを丸く切り抜いて作る『れんず』の開発。
そもそも製紙の技術も発展途上のため、シンは定期的に製紙工場を訪れて学者に混じって研究に参加している。
その一方で、紙やすりでもってガラスを少しずつ削っては、光にかざして具合の確認をするような毎日だった。
その合間を縫って、この国の経済や政治、外交の勉強にも余念がなかったりする。
今では、リャンチィでも詳しくは知らないような質問も飛び出す始末で、ラオシェンの相談役に近い。
ただし、夕方の親衛隊の武術鍛錬には欠かさず参加しており、相変わらずリャンチィを相手に楽しそうに稽古に励んでいた。
付き合うリャンチィも、おかげでだいぶ賢くなったのではないかと思うのだが。
「どうかなぁ。俺だってさ、向こうにいた頃は、昔開発されて世の中に溢れていたモノをただ利用するだけだったから、詳しいことは知らないんだし。
せっかく高度な技術を知ってたのに役に立たないよなぁって、毎日実感してるよ」
というそれが、シンの感想だ。
それを、情事後の寝物語に語るのだから、二人の間はどうも色っぽくならない。
事件から三ヶ月ほど経ったある日のことだった。
いつものように護衛官のリャンチィを連れて、製紙工場へ向かう途中。
まだ乗馬に慣れないシンは、どうせ歩いて三十分かからない城下のはずれにある工場まで、徒歩で行く。
その、城下町の大通りで、騒ぎに遭遇した。
どうやら、荒くれ者の一団が二組、衝突しているものらしい。
いわゆる喧嘩だった。
街の住民が野次馬に集まっている。
あらら、とシンは少し心配そうに呟いた。
「この国でも喧嘩はあるもんなんだね」
「おそらく、下町の宿無しの一団だと思いますが。回り道をしましょうか」
「っていうか、止めないの?」
「そろそろ、軍部が駆けつけると思います」
城内の警備は親衛隊の仕事だが、城下は親衛隊と軍部で手分けをしている。
総門の管理や時報の鐘などを司るのが親衛隊、見回り、荒事処理が軍部だ。
もちろん、喧嘩の仲裁も軍部で行う。
言っているそばから、笛の甲高い音が聞こえ、数人の軍靴の音が近づいてきた。
ね、とリャンチィがシンを見下ろせば、シンも安心したように笑った。
喧嘩はあっという間に静まり、双方共に縄にかかる。
喧嘩は両成敗だ。
罰金もしくは数週間の禁固が課せられることになるだろう。
野次馬たちが四方八方に散らばっていく中、二人もまた本来の目的地へ向かって歩き出す。
「宿無し、かぁ」
なにやら考えてしまっている口調に、リャンチィはシンを見やった。
シンの表情は少し悲しそうだった。
「どこにでもあるもんだよね、その問題は」
「両親をなくした子供や商売に失敗した者が多いですね。盗人となることが多いですから、内政でも常に問題として取り上げられます。
この城下以外にも、主な都市部には必ず貧困層と宿無しは存在します。救済措置も考えられてはいますが、根本の解決には至らないのが実情です」
「孤児を養う施設とか、就職相談窓口とかって、作ってないの?」
「孤児保護施設はいくつか存在しますが、すべての孤児を受け入れるには至っていませんね」
さすがは王族にして元親衛隊副隊長。
自分に直接関わりのない国政についても把握しているらしい。
説明を受けて、ふうん、と頷きつつ、シンは一度後を振り返った。
が、すぐに目的地に向かって再び歩き始める。
何か考えが浮かんだのだろうか、とリャンチィは彼に付き従いながら少し笑った。
シン自身は、自分は何事に対しても無関心だと思い込んでいるようだが、反面、思いついたら行動は早く、しかも結構頑固で、努力せずに諦めることを良しとしない。
何か改善策を考えているのだろう。
シンの起こす行動は他人を動かす求心力を持っている。
きっと、何かが起こるはずだ。
そんなシンの行動をすぐ側で見守っていける立場の自分の境遇に、リャンチィは心から大満足していた。
いくらでも振り回して欲しいと思う。
すぐ側で、その命を守りながら、どこまでもついていく。
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