20
優しく髪を梳く仕草に気付いて、俺は目を開けた。
髪を梳く手の持ち主を見上げてみれば、母親の血筋に良く似た顔立ちの美青年が、俺に膝枕をしてくれているのがわかった。
慌てて起きあがり、くらっと眩暈がして頭を押さえる。
『そんなにいきなり起きてはいけません。大丈夫?』
気遣うようなその声は、先ほどの鳳の声と同じく、頭に直接響いてきた。
優しく微笑むその人は、どう見ても人間の青年でしかないけれど。
人間との間に子供を作った俺の祖先だ、人間の姿もありえないことはない。
そこは、どこだかわからないけれど、芝生に覆われた丘の上だった。
彼の隣に座って、周りを見回してみる。
見回す限り、何もない草の丘だ。
立ち木の一本も見当たらないのが不思議だった。
目の前が崖になっているけれど、その高さは俺の身長ほどしかないから、落ちても擦り傷か打撲程度だろう。
「ここは?」
『貴方の生きている時代より遡ること三百年前の、この世界です』
親切に教えてくれたその年数に驚いた。
千年、とか言われたら、はるか昔すぎて実感が湧かないけれど、三百年という適度な年数は、本当に過去なんだろうと思えてしまうから不思議だ。
『ごらんなさい。キャラバンが渡っていきます』
指を指された先に見えたのは、幌付きの馬車や荷物を背に乗せた馬、そして歩く人。
軽く見積もっても百人規模の大所帯だ。
『彼らは、神々に愛されながら神々を裏切った罪人とその子供たち。先導する鳳が見えますか? あれが私です』
昔、俺が存在した時代より三百年と少し前。
神々は戯れに、人間に似せられた形の生き物を作った。
人間に似てはいても、その成長は著しく遅く、寿命は成長スピードから見積もって人間の三倍はあった。
それは、退屈な神々を楽しませ、身辺のお世話をするための人形だった。
しかし、その生き物には一つだけ欠陥があった。
生殖力の異常な強さ。
あらゆる雌の神獣、あらゆる女神たちとの姦淫を繰り返し、一度の行為で確実に子を作った。
子を身ごもり産み落とした神獣も女神も、これを忌み嫌うことなく産み落とした子を慈しみ、その生き物もまたこの母を大事にしたため、しばらくの間、生き物の行為はあえて見逃されていた。
しかしそれも、神々の長であり創世神である大神がその寵愛を傾けた、愛娘である太陽の女神に生き物の手が伸びるまでのことだった。
大神の怒りに触れた生き物と、彼の血を引く子供たちは、永久に神々の楽園から追放され、山の牢獄へと送還された。
山の牢獄までの道案内役として遣わされたのは、人の姿になれば見目麗しい青年の姿となって神々の目を楽しませ、空を飛ぶその姿は太陽に愛された美鳥としてこれまた神々の目を楽しませた、鳳であった。
『神々によって作られた生き物は、神々の元でしか生きられません。出発してまもなく、生き物は死の床に伏し、牢獄に辿り着くことなく命を落としました』
あのように、というように指差した先では、キャラバンが草原の真ん中で止まり、悲しみにくれる様子がありありと見えた。
すべては、母は違えど同じ父を持つ兄弟姉妹。
嘆き悲しむ姿に、俺までもらい泣きしそうになる。
『父は亡くなっても罪を許されるわけではなく。私は子供たちをつれて山の牢獄へ向かいました。
その旅は二十年に渡る長旅でした。神々や神獣の子である彼らは、過酷な旅も耐え抜き、牢獄に辿り着きました。
その旅の間に生まれた、大地の女神の子と海の女神の子の間に授かった男の子が、王国の初代王となります。
牢獄に着いた時点で八歳であった初代王は、その年齢の頃から実に聡明で、高い山々に囲まれた荒れ果てた大地を見回し、私に言いました。
せめて人間が生きていける土地にしてもらえないだろうか、と』
「了承、したんですね?」
『神々を裏切る行為でした。
あれは牢獄。過酷な試練を与え、自らの罪を償わせるべき場所です。
でも、子供たちに何の罪があると言うのでしょう。何を償えと言うのでしょう。私は神々に疑問を感じてしまったのです』
鳳は、神々の世界に直談判に赴いた。所詮、鳳にできることは空を飛ぶことと歌を歌うことだけ。
過酷な土地に恩恵を与えるだけの力を、鳳自身が持っているわけではなかったのだ。
鳳の言い分も少しは理解しないでもない大神は、条件をつけて、その恩恵を許した。
その条件が、鳳はこの世界を去ることと、異世界から鳳の子孫を呼び寄せ、大切に扱い敬うこと。
鳳の子孫がそこに存在する間は、恩恵を与え続けよう。
そういうことだったんだ。
目の前に広がった荒野が、中央に作られた建設中の王宮を中心に、みるみるうちに春のうららかさに覆われていくのを、俺は目を見張って見守った。
自分の祖先が、今横にいるこの青年が、神々からの怒りを一身に買うことを覚悟で起こした、奇跡だった。
『シンサク。貴方は貴方の判断で行動なさい。私が出来ることは、過去を見せることだけです』
帰りましょう。
そう言われたのが、最後だった。
目の前が真っ白な光に覆われる。
最初に気を失ったときと同じように。
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