18
ゆらゆらと。
身体が宙に浮いているような不安定さが原因だったのか、泥のように眠っていたはずの俺は、強制的に目を覚まさせられた。
本当に、優しくしてくれたおかげだろう。
身体は奥のほうに少し違和感が残るだけで特に痛みもなく、あれだけ汗まみれ精液まみれになっていたはずなのにすっきりしていて寝巻きを見に付けているのも、あの後気を失った俺に彼がしてくれたのだろう。
本当に、彼には何から何まで頼ってしまって申し訳ないと思う。
このことで気まずい思いをするのなら、彼を解放してあげなくちゃ、って思ったのは、多分今は現実逃避の色が濃い。
恐る恐る目を開ければ、見覚えのない廊下の壁と天井が上下に揺れていた。
誰かに横抱きに抱かれている。
そっとその人を確認してみて、驚きよりも納得した。
それは、ラオシェンだった。
まるで花嫁を抱き上げる新郎のように、お姫様抱っこで俺を抱き上げている。
表情は険しい。
足音は、三人分あった。
一人はラオシェンとして、あとの二人は誰なのか。
リャンチィではないだろう。
彼ならば、今からラオシェンがしようとしていることが無意味であることを知っているのだから。
向かう先は、俺の想像が正しければ、鳳王の神殿の奥、召喚の間。
俺は、この場でその行動を止めてやってもよかったのだけれど、なんとなく噂の渡界の水鏡が見てみたくなって、寝たふりをすることにした。
しばらく歩いていた足音が止まる。
チャッと音がしたのは、戸を開ける音だろうか。
少し立ち止まっただけでさらに歩き出し、今度はすぐにまた立ち止まった。
「シン様。申し訳ありません」
悪いと思うなら、強制送還はやめなさいって。
そう、俺は心の中で突っ込みを入れた。
伝承が確かならば、俺はこの水鏡を通り抜けることは出来ないはず。
まぁ、嘘だったら俺にはどうすることも出来ないけれど。
ラオシェンの腕が伸びて、俺の身体がラオシェンの胸から離されかけて、俺はようやく狸寝入りから覚めた。
落ちないように首に抱きつく。
さすがに、ぐっすり眠っていると思っていただろうラオシェンは、びっくりして固まってしまった。
「シン様! 起きておられたのですか!?」
耳元で叫ばれて、ちょっとうるさくて眉をひそめつつ、周りを見回してみる。
一緒にやってきたのは、どうやら神官であるらしかった。
戸口に立ち止まり、こちらを見守っているローブ姿の人が二人。
「下ろして」
いつまでもお姫様抱っこはね、ちょっと恐い。
何しろ支えているのは二本の腕だ。
そりゃ、俺は小柄な方だし、ラオシェンの腕力は信用しているけれど。
恐いものは恐い。
首に抱きついたまま、足から下ろしてもらって、俺はベッドからそのままさらわれてきたのだと知る。
寝巻きのまま、靴も履いていないんだ。
そこは、渡界の水鏡の、すぐ側だった。
足元に、一段高い壁があって、それが丸いプールを作っている。
中に満たされているのは、水。
風もないそのプールは、給水口も排水口も見当たらないけれど、どうやって水を入れ替えているのだろう。
もしかして、作った当初から水は変わっていないのだろうか。
そうだとすれば、この濁りのない水は純水だという事になるが。
自然界にはあり得ないよな、そういう水。
しゃがんで、水面に手を置いてみる。
「シン様。どうかお願いです。日本へお戻りください。貴方様まで危険に晒すわけにはいかないのです」
手は、水に触れて、それ以上中には入らなかった。
伝承は、本物だったらしい。
「ラオシェン。もう、無駄だよ」
立ち上がり、膝下まで隠れるネグリジェ型の寝巻きの裾を持ち上げ、プールの縁に登った。
そのまま、足を一歩踏み出す。
確かに水面。ふわん、と水が足の裏にまとわりつく。
けれど。
力を入れると程よい弾力を持って力を押し返してきた。
もう一歩、踏み込む。
俺は、水面に立っていた。
「ね?」
振り返る動作で、足元がパシャンと音を立てた。
たとえるなら、道路の隅に出来た浅い水溜りの上に立っているような感覚なんだ。
振り返ってみたラオシェンの顔は、驚愕そのものだった。
「い、いつですか?」
「ついさっき」
いつ、というのは、たぶん、俺が穢れを受けた時を聞いているはず。
だって、水面に立てる条件って、それだけだもの。
で、俺の答えは実に正直だ。
だって、隠す必要がない。
ラオシェンがこんな行動に出ることを見越しての行動だよ、って彼に知らしめるのも目的なんだから。
もちろん、自分から日本に帰る手段を取り上げるため、が最大目的だけどね。
「何故、と聞くのは愚問でしょうか」
「愚問でしょうね。自覚はあるんでしょう?」
「ちなみに、お相手を伺っても?」
「それは、秘密。大丈夫、それだけのために犠牲にしたわけではないから。相手はちゃんと、好きな人だよ。これが最初で最後かもしれないけどね」
かも、もなにも、よほどのどんでん返しが起こらない限り、最初で最後だと思うよ。
もしかしたら、これ以上付き合いきれないって思われたかもしれない。
それだけ、強引だったんだから。
それに、男同士だもの、気持ち悪いと思われていて当たり前だ。
でも、俺自身は後悔してない。
むしろ、すっきりしてる感じなんだ。
当たって砕けた、思い残すことはない、ってね。
ただ、好きだって告白しなかったのが、心残りだけれど。
ピシャンピシャンって音を立てながら、俺はゆっくり水面を歩く。
初めての感覚が面白くてね。
足の裏にまとわりつく水が、冷たくて気持ちがいい。
ラオシェンは、水鏡の外側に立ち尽くしたまま、俺を見守っていた。
背中に、真剣な視線を感じた。
「最初で最後? 思いが通じたわけでは?」
「残念ながら、それはない。ただ、事情を話して協力してもらっただけだよ。好きだとすら言ってない」
言えるわけが、ないじゃない。
男同士なんて、自分自身が認めてないのに。
ラオシェンには、その相手が想像できないらしい。
そうですか、と辛そうな表情を見せる。
基本的に気遣いの人だから、ちょっぴり嬉しい。
水面を進んでいくと、ちょうどプールの真ん中にたどり着いた。
足元を見下ろして、不思議なものを発見。
鳥の羽だ。
虹色に輝くその鳥の羽は、その軽さを考えれば浮かんでいる方が自然なのに、プールの床に沈んだままピクリとも動かない。
それが、多分、初代鳳の羽根なんだ。
渡界の水鏡の媒介。
もう一歩踏み出して、羽根の真上に立つ。
ぶわぁっと、足元から圧力を感じて、自分を包み込む強い光に目がくらんだ。
身体が下から持ち上げられるような錯覚を覚え、足元を踏みしめる。
けれど、俺の記憶はそこで止まった。
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