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 しばらく、俺とリャンチィは無言で歩いていた。
 生活の場である王宮への道を。
 革靴で大理石の床を歩くので高い音がする。
 二人分。

 やがて、リャンチィが俺に話しかけてくる。

「シン様。王にあのようなお言葉は良くありませんよ」

「わかってるよ、リャンチィ。
 でも、ラオシェンってば俺の気持ちなんてこれっぽっちも考えてないでしょ。
 育ての母を奪われてイラついてるのはわかるけど、俺にだって叔父で教育係でこの国で一人目の友人、っていう大事な人なんだよ。
 その人放って、日本に帰れるわけないじゃない」

「それは……」

 すぐ側で聞いていたリャンチィだ。
 俺に日本に帰ってくれといいかけていたラオシェンを、叔父として見ていたはず。
 俺の言い分に、否定の言葉をとっさにつむぎ出せなかったということは、俺のほうに理があると判断したんだろうね。

 そんなことより、俺は俺の立場で、しておかなくちゃいけないことを考えないといけない。
 ラオシェンはああ見えて頑固者だ。
 無理やり渡界の水鏡に突き落とされたら、日本に強制送還されてしまう。
 なんとかしないと。

 この世界に来て、最初に教えられたのは、俺自身に関することだった。
 たとえば、王によってこちらの世界に召喚される手順とか。
 なんでも、王宮の中には鳳王の神殿と呼ばれる空間が用意されていて、その中の召喚の間にある大きなプールが、ゲートになっているんだそうだ。
 普通の人間にとってはただのプールだけれど、俺たちのような鳳王の血筋にとっては、こちらの世界と向こうの世界をつなぐ門になる。

 半径三メートルくらいの、膝くらいしか深さのない、まるで大浴場の湯船のようなプールなのだそうだ。
 その中央に、この国を捨てた初代の鳳の羽根が沈められていて、その羽根の力でこちらとあちらを結んでいる。
 その名を、渡界の水鏡。
 穢れのない鳳王にだけ、床がなくなってしまう、不思議な水鏡だ。

 見てきたように表現したのは、実際に見ているからこそ説明が出来る、叔父だった。
 鳳王はその部屋は立ち入り禁止だが、叔父はその理由を妙に納得している。
 魅せられて、引き込まれるのだ、と。

 もし、眠っている間に水鏡に投げ込まれてしまったら。
 それこそ、強制送還だ。
 しかも、あり得ないとは言い切れない。

 眠っている間のことなんて責任が持てない俺に、できることなんて限られていた。

「リャンチィ。お願いがある」

 考え込んでいるうちに、自分の部屋にたどり着いていた。
 いつもは遠慮して寝室までは入ってこない彼も、心ここにあらずで考え込んでいる俺が心配だったのか、ベッドに座るまでちゃんとエスコートしてくれた。

 その彼に、俺は世にも残酷なお願いをしようとしている。
 自分のエゴのために。

「はい。何でしょうか」

「俺を、抱いてくれない?」

 お願いが、と言われて、俺の言葉を聞き漏らすまいとする体勢になった彼には、やはり聞き逃すことなどできなかった。
 その場で、彫像のごとく、固まってしまう。

 俺は、ただ淡々と、その理由を話して聞かせる。
 彼に、否を言わせないために。

「渡界の水鏡をくぐりたくない。
 無意識でも、くぐれてしまうのは、つれて来られた時に実感してる。それこそ、寝込みを襲われれば俺には抵抗できない。
 だから、自分の身を穢しておきたいんだ。
 けど、今から花街へ行くのは時間的に無理だし、侍女をこんな残酷な理由で手篭めにするのは可哀想だ。事情が事情だから、命令して身体を開かせるよりは、理由を説明して納得してもらった上で協力してくれる相手がいい。
 リャンチィ。貴方がうってつけ」

 こんなことを頼める女性は周りにいない。
 俺が信用して身を任せられる相手なんて、俺専属の侍従であるミントゥか、専任護衛官のリャンチィか。
 まだまだ幼い年頃のミントゥを犯すなんて俺にはできないし、だったら、相手はただ一人。

 この際、恋だの愛だのと言ってはいられないんだ。

「何故、私に……」

「ちょうど目の前にいるからだよ。運が悪かったと思って諦めて」

 軽い口調で残酷なことを言うけれど。
 リャンチィには俺の本心も伝わっているらしい。
 真面目な顔で、考え込まれてしまった。
 真っ先に断られると思っていたから、ちょっと意外な手ごたえだけれど。

 びっくりな反応が返ってきた。

「では、私を抱いてください。恐れ多くて、私にはシン様を陵辱することなどできません。ですが、シン様のお覚悟を思い直させるだけの説得力は私には持ち合わせがない。ですから、私が受身となります」

「……ごめん。勘弁して。さすがに自分より大柄な相手は抱けない」

 思っても見なかった結論だったよ、今のは。見事撃沈。

 そりゃ、無茶を言ってる自覚はあるけどさぁ。
 無茶だからこそ、自分が傷つく方を選んだのに。
 なんでそんなに自己犠牲できるんだ、この人は。

「では、諦めてください」

「……あぁ、もう。血は争えないってこういうことか」

 ぐいっと、腕を掴んで引っ張った。
 バランスが崩れたところをすかさずベッドに押し倒す。
 俺が、この人に覆いかぶさるなんて、思っても見なかった。
 驚いて俺を見つめる彼の淡い色の瞳に、ぞくっと背筋がしびれる。

 本人に自覚なんてないだろうに。
 凶悪に色っぽい。
 男の色気が俺を無意識に誘っている感じ。





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